詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(94)

2019-08-24 09:46:06 | 嵯峨信之/動詞
* (一方から他方へ)

ぼくを移動させる透明な車がある

 「透明な」は「見えない」。「ある」は嵯峨が「ある」という状態にさせている。想像力が「ある」を生み出す。

どこにもない国へつれていつてくれる〈時の車〉だ

 「時の車」ならば、つれていくのは「どこ」というよりも「いつ」になる。「時」はふつう過去から未来へうごいているととらえられている。しかし嵯峨の「時の車」は「過去」や「未来」へゆくわけではない。「どこにもない」時間へと嵯峨を連れて行く。
 「時」がある方向へ(一方から他方へ)動く前の「時」という概念のなかへ。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

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