詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(99)

2019-08-29 08:09:29 | 嵯峨信之/動詞
* (一対-無数)

一からながれでる透明なピアニシモはとどまるところがない

 「とどまるところがない」の強さに打たれる。
 このときの「ところ」というのは、文法的には何というのだろうか。「ところ」というと「場所」のようだが、「場所」を超えた次元を指しているように思える。「こと」というのに似ているし、「とき」というのにも似ている。いや、そういう「名詞」で言いなおすよりも、「ところ」ということばから引き返すようにして、動きつづける「運動」そのものをあらわしているように感じる。
 「とどまる」自体は「動かない」のだが、それを否定することによって、おさえようとしてもおさえようとしても、内からあふれてくる運動。
 「一」と「無数」が対比されているように、「ながれでる」と「とどまる」が拮抗して、「動き」そのものが「具体的な力」になっている。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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