* (小さな港に出た)
「来て(来る)」「休んでいる(休む)」の「主語」は何か。海の「緑(色)」が港に来て、その港の隅で休んでいる。何もしないで、ただ緑(の色)のままに、そこにある、ということか。
海はどこまでもつながっている。そのつながりのなかで、つながりから隠れるようにして、そこにある緑。
それは嵯峨の自画像だ。
書き出しの「小さな港に出た」の「出る」という動詞がとても興味深い。港に来ようとしていたのではない。歩いていたら港に出会ったのだ。「出会い」の「出る」なのだ。
それは隠れていた自分自身との「出会い」でもある。
「油津港」という註釈がついている。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
ここに来て
海の隅に
緑が休んでいる
「来て(来る)」「休んでいる(休む)」の「主語」は何か。海の「緑(色)」が港に来て、その港の隅で休んでいる。何もしないで、ただ緑(の色)のままに、そこにある、ということか。
海はどこまでもつながっている。そのつながりのなかで、つながりから隠れるようにして、そこにある緑。
それは嵯峨の自画像だ。
書き出しの「小さな港に出た」の「出る」という動詞がとても興味深い。港に来ようとしていたのではない。歩いていたら港に出会ったのだ。「出会い」の「出る」なのだ。
それは隠れていた自分自身との「出会い」でもある。
「油津港」という註釈がついている。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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