詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy Loco por España(番外篇415)Obra, Juancarlos Jimenez Sastre

2023-12-12 23:04:28 | estoy loco por espana

Obra, Juancarlos Jimenez Sastre
TÍTULO : COMO EL AIRE

 Llama mi atención el pilar cuadrado. Tiene una forma muy maravilla. Lo escribí como un cuadrado, pero podría ser un prisma triangular. O un pilar semicircular. Hay partes invisibles, por lo que no sé la forma exacta.
 Y es este hecho de que “hay partes invisibles (hay cosas que no se pueden ver)” lo que hace hermosa esta obra. ¿Cómo se conecta el círculo o semicírculo del fondo con el pilar? Lo que parece ser una barra horizontal recta puede tener la misma forma que el semicírculo que se encuentra debajo. Puede parecer simplemente una línea recta horizontal porque está colocada horizontalmente.
 Si es así, ¿qué vemos con nuestros ojos desnudos? ¿O no estamos viendo algo? O tal vez sea una cuestión de lo que nuestra imaginación ve y lo que no ve.
 El arte es algo que sacude tu pensamiento.

 四角い柱に目を奪われる。とても美しい形だ。四角と書いたが三角柱かもしれない。半円の柱かもしれない。見えない部分があるから、正確な形はわからない。
 そして、この「見えない部分がある(見えないものがある)」ということが、この作品を美しくさせている。背後の円、あるいは半円は、柱とどうつながっているのか。横一直線の棒に見えるものは、その下の半円と同じ形をしているかもしれない。水平に置かれているために、横の直線に見えるだけなのかもしれない。
 そうであるならば、私たちの肉眼は何かを見ているか。それとも何かを見ていないのか。あるいは、それは私たちの想像力は何を見るのか、何を見ないのかという問題かもしれない。
 芸術とは、思考を揺さぶるものである。思考を揺さぶるものが、芸術なのだ。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(60)

2023-12-12 20:45:43 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「理解」。労務者がハーモニカを吹いている。女がとおりすぎる。そのとき、

女がおはようと誰かに言ってる。実に単純で自然な「おはよう」。


 実に単純で自然な「おはよう」というのは、「説明」である。詩なのだから、説明はないほうがいい、かもしれない。しかも、この説明は「実に/単純で/自然な」と、とても念入りである。「実に」はなくてもいいかもしれない。「単純」か、「自然」のどちらだけでも十分だろう。でも、リッツッスは、ことばを重ねている。もしかすると、この重複は、中井が考えたことかもしれない。
 ひとは、「実に/単純で/自然な」ことを理解できないときがある。そして、そのとき理解することを求められているのは、それが「実に/単純で/自然な」ことである。

 いま、ガザ(パレスチナ)では悲惨なことが起きている。ニュースを読みながら思うのだが、思想というのは、つまるところ「みんなが幸せでありますように」ということばにつきる。だれもが、言う。その「実に/単純で/自然な」ことばを理解しないひとがなんと多いことだろう。
 「思想」は、最先端(?)のヨーロッパの哲学者のことばのなかにあるのではなく、「みんなが幸せでありますように」と願いながら、それさえ言うこともできないひとのこころのなかにも生きている。
 そして、世界は、言いたいのに、言っているのに、それを聞こうとしないひとがいる。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇414)Obra, Jesus Coyto Pablo

2023-12-11 23:24:13 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo
full moon

¿Verás la luna que yo vi en ocho horas?
¿Viste la luna que estoy mirando hace ocho horas?

Ocho horas. Pero, ¿a dónde viaja la luna durante ese ocho horas? ¿Viaja al futuro o al pasado?
A la luz azul se puede ver un techo rojo, como el borde del universo que nadie ha visto antes. Es una casa conocida sólo por la luna. El techo de una pequeña casa en la cara oculta de la luna. En el ático duerme un sueño enfermizo. Mientras exhala aliento caliente.

                                                                                                     (Un intento de cuento de infantil para adultos)

 私が見た月を、君は八時間後に見るだろう。
 私が見ている月を、あなたは八時間前に見ただろうか。

 八時間。だが、その八時間、月はいったいどこを旅しているのか。未来を旅しているのか、過去を旅していたのか。
 誰も見たことのない宇宙の果てのように青い光のなかに、赤い屋根が見える。それは月だけが知っている家。月の裏側にある、小さな家の屋根。屋根裏では、病気になった夢が眠っている。熱い息を吐きながら。

                         (大人のための、童話の試み)

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和辻哲郎の「公平」(そして向田邦子)

2023-12-10 21:44:04 | 考える日記

 和辻哲郎『日本古代文化』の「初版序」におもしろいことが書いてある。和辻はこの本を書くまで日本の古代文化のことを研究してきたわけではない。それでも書かずにはいられなかった。どういう立場で、書くか。

自分は、一個の「人間」として最も公平だと思われる立場に立って、自分の眼をもって材料に向かった。

 この文章をどう読むかはひとによって違うだろうが、私は「公平」ということばにつきうごかされた。一個の人間として公平とはどういうことか。古代文化の研究をしている人間と、それをしてこなかった人間は「学問的」には「公平」ではない。前者は「知識」をもっている。後者は「知識」をもっていない。しかし、同じ人間だから「公平」に「眼」をもっている。その「公平である眼」をたよりに、つまり「知識」にたよらずに、古代文化に向き合った、というのである。
 人間はだれでも眼をもっている。これは「公平」である。その「公平」をたよりに、和辻は考える。この眼を肉体と言い換えると、私がいつも書いていることに通じるのだが、あ、そうか、私は知らないうち和辻に影響されてそう考えるようになっていたのだと、あらためて気がつくのである。

 和辻が「序」で書いた「眼」は「目」という表記にかわって、次のような強く、美しい文章になる。古代の日本人が漢に渡り、その生活を見て日本に戻ってくる。そのときの日本人を想像して、和辻は、こう書いている。

自ら海を渡って自らの目をもって漢人の生活を見て来たものは、いかに多く新しい知識を、いかに強く新しい情熱を、得て来たことであろう。

 自分の「目で見る」、すると「情熱」が生まれる。目から情熱への変化。いったんは「知識」と書きながら、「情熱」と書き直さずにはいられない和辻。
 私が和辻の文章が好きなのは、そこに「知識」が書かれているからではなく「情熱」が書かれているからだとあらためて思う。たとえば『ニイチェ研究』を読む、そうするとそこにはニイチェに関することが書かれている。そこから「知識」を得ることができる。でも、そこで得る「知識」を頼りにするくらいなら、ニイチェの本を直接読んだ方が早いだろう。しかし、和辻を読んでしまう。それは、そこに和辻のニイチェへの「情熱」が書かれているからだ。私はいつでも「知識」ではなく、「情熱」を読んでいるのだと思う。

 脱線するが。

 私はいまイタリアの青年と一緒に向田邦子の『父の詫び状』を読んでいる。そのなかの「隣の神様」に、こんな一行がある。

私は四十年にわたって、欠点の多い父の姿を娘の目で眺めてきた。

 ここにも「目」がある。向田は「公平な目」とは書かずに「娘の目」と書いているのだが、私はやっぱり「一個の人間として公平な目」だと思う。このとき「公平」とは「客観的」といういう意味ではない。人間ならだれでも肉親を愛してしまう。そういう「必然」を「公平」と、私は呼びたいのである。
 そして人間の「必然」というのは「愛情」のことなのだ。愛してしまう、ということなのだ。

 ここから強引にひるがえって言えば。
 和辻は「日本の古代文化」を愛してしまったのだ。だから本を書かずにいられなかったのだ。「愛」だから、他人から見ればときどき「ばかげている(間違っている)」。でも、だからこそ(つまり他人から批判されるのはあたりまえの部分があるからこそ)、そこには他人にはどうすることもできない「一個の人間」としての「正しさ」がある。

 

 


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坂多瑩子『教室のすみで豆電球が点滅している』

2023-12-09 21:33:42 | 詩集

坂多瑩子『教室のすみで豆電球が点滅している』(阿吽塾、2023年11月04日発行)

 坂多瑩子『教室のすみで豆電球が点滅している』は、現代詩書下ろし一詩篇による詩集、懐紙シリーズ第十一集、という。未発表の(書き下ろしの)長い詩一篇で構成されている。
 で、坂多は何を書いているか。

人と共有できないことばをただ
わりたくなる ガラスのように
ただ
投げつけたくなる
傷つくように
おびえて 大真面目にね
大馬鹿にね

 4ページ目に登場する一連。最後の二行は嫌いだなあ。でも、この二行を書かないと、尾崎豊になってしまうのだろうか。尾崎豊、知っているわけじゃないんだけれどね。どこかで、いくつか聞いただけだけれどね。
 私が気に入っているのは三行目「ただ」。
 「ただ」は一行目にも出てきている。一行目の「ただ」はことばの勢いのなかに埋没している。無意識に出てきた「ただ」である。それを三行目では独立させている。「意識」しようとしている。意識するといっても、なんというのだろう、坂多自身が、これは一体何なんだろうと思いながら「ただ」のなかへ入っていく感じがする。
 この「推進力」としての「ただ」は、何回も何回も、この長い詩に登場する。
 たとえば、15ページ。

ここは帰り道
草ぼうぼうで
いつもの帰り道なのに
何かをすてる場所にたどり着きそうでわたし
さっかきから思いだそうとして
あの裏庭の
台所の
ちょっと傾いた棚の
いちばん上にあったもの
それが
ものすごく大事なものだったように思えてきて

 えっ、どこにも「ただ」がない? よく読んで。ほら、最後の二行目の「行間」に隠れている。

それが
「ただ」
ものすごく大事なものだったように思えてきて

 これは、

それが「ただ」
ものすごく大事なものだったように思えてきて

でもあり、(つまり、ほんとうに、それがのあとにくっついている)、そして、それは最初に引用した「人と共有できないことばをただ」と同じように、ほとんど無意識。無意識だから、実際は「書かれていない」。しかし、無為詩のなかに「書かれている」。そういう「ただ」が、この詩のどこにでも隠れている。どこにでも補って読むことができるし、補ったときに坂多により接近できる。あるいは坂多自身になれる。
 まあ、坂多自身になりたくないひとは「ただ」を補わずに、そのまま読んでください。 23ページ。

すると
犬は
ゆっくりと
あくびをして
たち上がる
それから
グンとかギュンとかいって

薄闇の中にもどっていく

 さて、どこに「ただ」を補う?
 私は「グンとかギュンとかいって」と「薄闇の中にもどっていく」のあいだの「空白」に「ただ」を補い、ちょっと泣いてしまった。
 坂多は、その犬を抱きしめ、家に連れて帰ることだってできたはずである。しかし、それができない。「ただ」薄闇の中にもどっていくのにまかせている。
 このときの「ただ」は、とても大事なもの。誰も知らない、坂多の「たからもの」のような「ただ」である。知られたくない。絶対に隠しておきたい。でも、何かが動いた。その証拠として、坂多は「一行の空白」を詩に残している。
 ほかにもいろいろ「ただ」を見つけることができる。見つけてみてください。見つけるために、この詩集を買ってください。

 

 

 


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(59)

2023-12-09 18:32:47 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「いつの日か、おそらく」。二人が会話している。しかし、ことばはかみ合わない。

せめてあなたは眼で見ないで、と私は言いたいの。

 「あなたは眼で見ないで」の前に「せめて」ということばがある。このことばのつかい方はむずかしい。ふたりの会話そのもののように、なんだか、ほかのことばとかみ合わない。「せめて」あなただけは、なのか。「せめて」眼では、なのか。あるいは「せめて」見ないで、なのか。これは、区別しても仕方がないことなのだと思うが。
 なにかことばでは言いあらわせないものがあって、しかし、どうしても言わずにはいられないことがあって、その「何か」を指し示すようにして「せめて」が動いている。
 「眼で見ないで」という表現自体「理不尽」なのものだが、その理不尽に通じるような、屈折した思い、撞着した思いがこのことばを動かしていると思う。
 リッツオスの詩はドラマチックというか、ある映画の一シーン、ある断片のようなものが多いが、「断片」ゆえに連続した何かがわからないが、そこには矛盾した何か、主人公が生きてきた長い時間のなかで生じてきた、当人にしかわからない何かがあり、そのためにいつまでも印象に残る。この詩の「せめて」は、そうしたもののひとつである。ひとは「せめて」ということばをつかって自分の願いを言うしかないときがある。十分ではない、しかし「せめて」……。その「つらさ」のようなものが、強く印象に残る。

 

 


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和辻哲郎の「正直」

2023-12-08 22:59:26 | 考える日記

 私は和辻哲郎の文章が好きだ。なぜ、好きか。『桂離宮』のなかで、和辻はこう釈明している。さまざまなことを和辻は書いているが、

専門家の所説に基づいたところもあるが、主としてわたくしの現状から受けた印象によったのであって、歴史的に確証があったわけではない。

 林達夫なら絶対に書かないことを和辻は書いていることになる。
 「確証がない」ことを書く、というのは、著述家にとっては間違ったことかもしれない。しかし、「印象」には、「歴史的事実」とは別の真実があるだろう。生きている人間の真実、そのひとが生きてきた仮定で身につけてきた、そのひとの真実(事実)である。和辻は、客観的な歴史よりも、彼自身の歴史(個人の歴史)を優先する。そこから「歴史」へ近づいていく。和辻自身の「いのち」をひきずって、「歴史」へ近づいていく。
 「印象」は「推測(憶測)」に、つまり、思考へと変化する。その変化は「自ずから」起きるのである。そして、和辻は、この「自ずから」に対して正直である。
 そこに和辻の「自然」が滲んでいる。
 この「自然」を「道」と言い換えていいかどうかわからないが、私は言い換えたいと思っている。
 和辻のことばが「自ずからの力」で動いた瞬間、ことばが輝きだす。「ここが好き」というときの「好き」の感情に、嘘というものがいっさいまじっていない。だから「道」と言い換えたくもなるのである。

 『桂離宮』で和辻が書いていることは、「歴史(建築の過程)」的視点から見ると間違っているのかもしれない。しかし、そこに書かれている「印象」はとても鮮やかで説得力がある。「歴史的視点」からもおなじような「美の定義」に到達できるかもしれないが、それは無意識に動いてしまう「印象」の強さを持ちうるかどうかわからない。
 「間違い」があっても、私はかまわないと思う。私は「歴史家」ではないから、そういうことは気にしない。「間違う」ことでしかたどりつけない「真実」というものがあっても、私はかまわないと思っている。「正直」なら、それでいいと思っている。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇413)Obra, Alfredo Bikondoa

2023-12-08 21:59:21 | estoy loco por espana

Obra, Alfredo Bikondoa
Arquitectura y poética de la desaparición. (2023)

 De repente pensé en un edificio en Gaza que había sido bombardeado. Luego traté de ponerlo en palabras. 
  ふと、爆撃されたガザのビルを連想した。そして、それをことばにしてみた。


  

(Para la pareja de Gaza/ガザの恋人たちのために)

 ¿Cuál fue la música que escuché contigo? No recuerdo el nombre de la sinfonía que me dijiste que querías escuchar antes de morir. Esa sinfonía donde al final se eleva el sonido de muchas trompetas. Un sonido más fuerte que el címbalo amortiguó todos los sonidos. El silencio resuena en mis oídos. No puedo escuchar ningún otro sonido. Ni siquiera puedo escuchar mi voz llamando tu nombre. ¿O ya perdí la voz? Mi corazón grita, pero no puedo oír mi voz.
 La ventana está suspendida muy alta. No sé dónde se escondía, pero la oscuridad profundizó las grietas del edificio como el cielo. Ah, una luz tan transparente cae donde el polvo volador no puede llegar. Incluso en momentos como este, el sol llueve pura luz. El viento sopla. Recto sin doblarse.
 Si puedes escuchar mi voz, intenta decir mi nombre. Lo último que quiero recordar es mi nombre.
 
 君と聴いた曲は何だったか。君が死ぬ前に聞きたいと言っていた、その曲が思い出せない。最後にトランペットの音が立ち上っていくあの曲。その音を消すシンバルよりも強い音がすべての音を消した。耳のなかに、沈黙が耳鳴りになって響いている。他の音が聞こえない。君の名前を呼ぶ、私の声さえも聞こえない。それとも、私はもう声を失ったのか。こころは叫んでいるが、声にならないのか。
 窓が、あんな高いところにぶら下がっている。どこに隠れていたのか、闇が、空のようにビルの裂け目を深くしている。舞い上がる埃が届かないところに、ああ、あんなに透明な光が降ってきている。こんなときにも太陽は無垢の光を降らせている。風が吹いている。曲がらずに、まっすぐに。
 私の声が聞こえたら、ねえ、君、私の名前を呼んでみてくれ。私は最後に私の名前くらい思い出したいのだ。

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Estoy Loco por España(番外篇413)Obra, Joaquín Llorens

2023-12-07 21:13:35 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens  

 Dos niños están mirando el trabajo. Con la misma ropa. Tal vez sean hermanos. El hermano menor colgó las manos y no se mueve.. Ni siquiera puedo preguntar: "¿Qué es esto?" El hermano mayor (o, sus manos) busca en su bolsillo las palabras que decirle a su hermano menor. La escultura mira fijamente a los dos. Como diciendo: "¿Sabeis lo que soy?"
 Un silencio misterioso, pero muy íntimo, conecta la obra y los niños.

 Las pinturas y esculturas tienen diferentes impresiones según dónde las miro y con quién las miro. Me gusta mucho ver ese cambio. Este trabajo es el abuelo de los niños. Los hermanos son los nietos del autor Joaquin. Se ve diferente de lo habitual, pero sigue siendo su abuelo. ¿Pero puedo llamarle abuelo? Quizás eso es lo que quiere decir  el hermano menor. Para este trabajo o para su hermano.

 二人の子どもが作品を見ている。同じ服を着ている。兄弟なのだろう。弟は手を垂らして呆然としている。「これ何?」と問いかけることさえもできない。兄はポケットに突っ込んで、弟に何と言うべきか、ことばを探している。彫刻は、その兄弟をじっと見つめている。「私が何かわかるかな」と言いたげに。
 不思議な沈黙、親密な沈黙が作品と子どもたちを結びつけている。

 絵や彫刻は、どこで見るか。誰と見るかによって印象が違ってくる。私は、その変化を見るのがとても好きだ。この作品は、子どもたちのおじいちゃんだ。この子どもたちは、作者の孫だ。いつもと違う顔をしているけれど、おじいちゃんだ。でも、おじいちゃんと呼んでいいのかな? 弟は、そう言いたいのかもしれない。作品に、あるいはお兄ちゃんに。
 

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「教養」とは何か(和辻哲郎と向田邦子)

2023-12-07 13:13:00 | 考える日記

 

 

 和辻哲郎『桂離宮』を読んでいると、八条宮という人物が出てくる。「教養」のある人間だ。その「定義」のようなものとして「源氏物語」「古今集」などの「古典」精通というようなことが書いてある。このときの精通とは単に熟読している、知識を持っているということではないだろう。「味わうことができる」ということだろうと思う。
 「味わう」ということは、どういうことか。その「ことば」の世界を、生きて動いていくことだろう。それは、「ことば」の動きのなかにある「自然に動き出してくる力」にあわせて、自分を動かすということだろう。世界は「ことば」に満ちている。世界に満ちている「ことば」のなかにはむだなもの、余分なものもある。それを適切に切り捨てれば、「ことば」は自然に美しく輝き出す。この「切り捨て」のことを和辻は「精神の否定的な働き」と呼んでいる。
 この「精神の否定的な働き」という文章に出合った瞬間、私は、ふと向田邦子の『父の詫び状』を思い出した。そのエッセイは、向田邦子が体験した昭和の家庭のことが詳しく書かれている。人は何を大事にし、何を整理し(切り捨て)、生活を整えたか。その「整え方」も「教養」である。それを昔は「しつけ」と言ったのだが。
 本のタイトルにもなった「父の詫び状」には、父の客が家のなかで酔っぱらって嘔吐した。それが障子だったか襖だったか何か忘れたが、敷居の溝にはさまっている。それを楊枝(だったかな?)をつかって掘り出すようにして掃除する。それを読みながら、なんというのだろう。読んでいて美しいシーンが思い浮かぶのではないのだが、なんともいえず「美しい」と感じてしまった。この「美しさ」に対して、父がぎごちない「詫び状」を書くのだが、その「ぎごちなさ」がおかしくて、うつくしい。この「おかしい」は清少納言の書いている「をかし」かなあ……。
 脱線したが。
 生活のなかで鍛えられる「教養」がある。それは「生活の味わい方」なのだ。吐瀉物の掃除は、それ自体は「味わいたくないもの」かもしれない。しかし、そのあとに生活が整えられ、「美しさ」が味わえる。それは、たんに家が美しく掃除されていてきもちがいいという味わいではない。父が侘びたように、思わず侘びたくなるような何かである。そういう「味わい」を向田邦子のエッセイは、とても自然に輝き出す形で表現している。
 和辻のことばをつかって強引に言い直せば、向田は肉体をつかって吐瀉物を生活から「切り捨てた」。そのとき、そこにはやはり「否定する精神」が強く働いている。汚れを否定する精神。そして、それが日常を輝かせている。向田自身を輝かせている。そのまぶしさに、父は思わず「詫び状」を書かずにはいられなかった。
 その「詫び状」はぎごちないが、そこにも父の「教養」が滲んでいて、私は読みながら思わず泣いてしまった。「教養」とは人間を「嬉し泣き」させるものかもしれない。「自然に動き出すいのち」が輝く瞬間、そこには「教養」が動いている。

 『父の詫び状』は、これから日本語を学んでいるイタリアの青年と一緒に読み進めるのだが、日本語の知識だけではなく、そこに書かれている「日本の生活の教養」のようなものにも触れてほしいと思っている。

 

 

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青柳俊哉「ハキリアリ」ほか

2023-12-03 21:13:25 | 現代詩講座

青柳俊哉「ハキリアリ」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年11月20日)

  受講生の作品。

ハキリアリ  青柳俊哉

海馬の中へ
太陽を無数に通過させる
酵母の床に葉を散らしつづけて

キノコの列柱の先
日蝕のかげのような傘から
脂粉の霧が黒い胸郭にふりかかる

この広大な洞でわたしは暮らしてきた

湖の鯨が月の光にうねっている
原野を永遠に氷狼が横切っていく

わたしは星の眼でみる
女王からうまれつづけるわたしの
視床の中の霧と葉の深さを

 いつもは作者に質問せず(作者の意図を無視して?)、どう読んだか、を中心に感想を語り合うのだが、今回は、詩のなかでわからない部分について質問し、そのあとで感想を語るという形で詩を読み進めた。
 「ハキリアリとは?」「海馬とは?」「わたしは星の眼でみる、とは?」
 ハキリアリは、蟻の種類。葉を切り刻み、酵母菌をまき、キノコを栽培している。一億年前から(人間が農耕する前から)、キノコ栽培をして生きている。海馬は記憶を司る大脳の部分。星の目で見るは、蟻の巨大な時間を象徴している。個々の蟻は、同じ生活をすることで、宇宙(星の世界)に通じる大きな時間の中に埋没している。
 巨大な時間(一億年)を詩の中に閉じ込めることへの感嘆の声が漏れた。
 鯨や氷狼もまた巨大な時間を象徴していることになる。それが、宇宙の現象(日蝕ということばも出てくる)だけではなく、海馬、視床という肉体器官と結びつけられ、さらにハキリアリの生き方とも対比される。霧、葉が呼応するように繰り返され、イメージが重なり、イメージが深くなっていく作品。

ペーター・カーメンチント  池田清子

--高い空に浮かぶ、
白い雲のように、
あなたは、白く、美しく、遥かです、
エリザベートよ!

ああ、わたしの郷愁

青い空と
白い雲と
風頭山

諏訪神社のおくんち、半どん
玄関に日の丸、おめかし
毎年かさ鉾の絵を描いた

一段目から飛び、二段目、三段目、四段目から飛び降り
五段目まで大丈夫

修学旅行で、小遣いをすっかり使い果たし
親はあきれていた
行った先々で、妹にお土産を買ったのだ

ふるさとは遠くにありて思ふもの
そして悲しくうたうもの

歩回り、猪鹿蝶

ああ 歌おう!

 「ペーター・カーメンチントとは?」「風頭山は、どこにある山?」
 ペーター・カーメンチントはヘルマン・ヘッセ「郷愁」の原題。風頭山は、長崎にある山。「ふるさとは……」は室生犀星の詩。
 池田自身の「郷愁」が、ヘッセと犀星のことばの力を借りて動き出しているのだが、「諏訪神社のおくんち」からはじまる作者のことばのリズムが、ヘッセのことば(だれかの日本語訳)、犀星のことばのリズムとあわない。
 三連目の「青い空と」からの三行は「風頭山」も抽象的で(受講生から、どこの山?という質問が出たのが象徴的。おくんちから長崎を連想しても、その山を具体的に思い浮かべることができる読者は少ないはずだ)、抽象的なヘッセのことばと響きあうが、後半は「具体的」すぎる。具体的なことばが悪いというのではないが、引用されている詩の世界が抽象的なので、しっくりこない。
 犀星のことばも、具体的な「土地」のにおいに欠け、抽象的。
 引用した詩と、自分のことばをどう対話させるかというのは、とてもむずかしい問題。合わせすぎてもいけないし、違いすぎても違和感が残る。
 

ふゆじたく  ポインセチア

きせつがふゆにむかうときは
ぬくもりをいっぱいひろいあつめ
いろんなぬくもりをかんじる

りんごをひとつ
まんなかにおいて
そのぬくもりを
にがさぬように
わたしのこどくで
しっかりとくるむ

それらは
ゆたかなかおりをはこび
はるがくるまで
いっしょにいてくれる

 「いろんなぬくもり、とはどんなぬくもり?」「ぬくもりを孤独でくるむはなじまない、矛盾しているのでは?」「でも、反対だから、くるむことができるのでは」という意見がすぐに飛び出した。
 「いろんなぬくもり」については、作者から「人から受けた温かさ,思い出の温かさ」という説明があった。
 温もりに対して孤独は冷たい。その対比とつつむという動詞の動きがおもしろいが、温もり/冷たさという「触覚」の世界が、最終連で「かおり」という嗅覚にかわるところに不思議な飛躍、世界の拡大があり、それも楽しい。「りんご」を「ひとつ」と限定するとき、そこには視覚も動いているかもしれない。(受講生から絵を描きたくなる、という感想が漏れた。)
 くるむ/くるまれたものが「いっしょ」ということばに変わる最終行がとてもいいという声も、受講生の中から自然に漏れてきた。

硝子  緒加たよこ

夜明け前の廊下は真っ暗で、勘でトイレまで歩く。数年前にマンションの玄関ドアが一斉に取り換えられてこうなった。ぼくは理事会のメンバーだったけど、ドアの仕様を決める日は休んでいたんだ。以前のドアは、中心に細く一直線の明りとりの硝子が埋まってて夕方なんかはそこから廊下に光が差し込んで十字架のようだったな。ちょうどポストが真ん中にあってね。新しいドアは分厚い鋼鉄の一枚板だった。住人は取り換えの時に初めて知ったよ、もう光は入らないって。僕も。誰もそんなこと、その後の理事会でも話題にしてなかったし、こんなに真っ暗になるってイメージしなかったのかな。管理会社お薦め防犯ドア。あきらめたけど。数日うちのある日、妻が買い物から帰って来て、佐里さんに会ってね、佐里さんが嘆くのよ、怖いって、真っ暗で、子供さんがお目が弱いらしくって本当に涙を流されるの、なにか灯りになるものを置くしかないわねぇ、うちもそうするわ。とりあえずアリスの発光シールを壁に貼ったりするうちに、全戸に人感センサーライトが導入された。お年寄りから苦情があまた届いたらしい。然しながらこれが感度がいまひとつ、夜中トイレに立つときは勘に頼っている。妻はもう死んだ。あの頃の夕焼けが懐かしいな。佐里さんという人はどうしているのだろう。ぼくは彼女の顔も部屋も知らないままだ。

 「舞台のマンションは、作者の生活とどういう関係があるのか」「アリスの発光シールと?」「妻はもう死んだ、ということばを書いた目的は?」七・三の割合で、現実を書いている。アリスは不思議の国のアリス。ぼくを主語にして書いたので、自然に妻になった、と作者。
 途中で、エッセイと詩の区別がわからないという声が出た。
 私は、エッセイも詩も、他の文章も特に区別して読むことはないが、ひとりの受講生が「現実を散文の形で書くのがエッセイ、センテンスの区切り方、文体に飛躍があり、イメージを喚起することばがあるのが詩」と「定義」した。たぶん、そう考える人が多いと思う。だからこそ、この散文形式的で書かれた作品に対して、詩と散文の区別は?という質問が出たのだと思う。
 私は「妻はもう死んだ」以降の部分がとても「詩的」だと思う。「夕焼け」(夕方の十字架)がふいによみがえり、その一方で佐里さんについては、妻が語ったこと以外は何も知らない、というのがいい。もしかすると佐里さんの話は、妻がぼくと対話をするために思いついた架空の物語かもしれない。……と考えるのは、まあ、考えすぎなのだろうけれど、そういうことも考えてみたい気がする。

 


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Estoy Loco por España(番外篇412)Obra, Sergio Estevez

2023-12-02 22:34:01 | estoy loco por espana

Obra, Sergio Estevez  
Cruce de caminos

 No sé los materiales exactos utilizados en esta obra. Pero recuerdo haber visto todas las cosas cuando era niño. Habían sido abandonados en un rincón de la casa del campo. Pensé que ya no era relevante. Sin embargo, cuando miro esas cosas, me doy cuenta de que hay algo dentro de mí que resuena con los deseos de las personas que las crearon. También recuerdo haber jugado a hacer cosas usando estas cosas. Creí algo más usando lo que ya estaban ahí. La alegría de crear cosas que no están aquí con cosas que están aquí.
 Esto es lo que estoy pensando ahora. La originalidad no surge de algo completamente nuevo ni del conflicto con algo que ya existe. Nace por necesidad de lo que ya existe.
 Esta es la obra que me hace sentir así.

 この作品につかわれている素材が何か、正確なことを私は知らない。しかしどれも子どものときに見た記憶がある。農家の片隅に捨てられていたものだ。私には関係がなくなったものだと思っていた。しかし、そうしたものを見ると、それを作った人の願いに共鳴するものが、私のなかにあることに気がつく。そして、こうしたものをつかって何かを作って遊んだ記憶がある。そこにあるものをつかって何か別のものを作る。ここにないものを、ここにあるもので作る、その喜び。
 私はいま、こう考えている。独創とは、まったく新しい何か、あるいはすでに存在するのものとの対立によって生まれるのではない。すでにあるもののなかから必然をもって生まれてくるものだ。
 これは、そんなことを感じさせる作品である。

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和辻哲郎と林達夫

2023-12-02 21:51:57 | 考える日記


 人はどんなふうにしてあることばと出会い、それを好きになり、その「好き」が広がっていくのか。自分のことであっても、よくわからない。私は、いろんな著述家のいろんな文体が好きだが、和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んでいて、ふと林達夫を思い出した。
 薬師寺の薬師如来の作者が誰なのかわからないが、そのことについて、和辻は、あれこれ想像している。(岩波版、全集、123ページ)

 当時の文化はむしろ書紀に名を録せられない中流の知識階級によって担われていたと見られるべきである。たとえばわれわれはあらゆる民家に仏壇を造るべき命令が下ったことを知っている。この命令はある程度まで遵奉せられたであろう。そこには盛んな需要がある。供給者もまたなくてはならぬ。もしこの仏壇の最も優秀な例を玉虫の厨子や橘夫人の厨子に認め得るとすれば、仏壇の標準がすでに徳川時代のごとき低劣なものではない。そこで一般の需要に応ずる仏壇製作家もまた相当に有為な芸術家でなくてはならぬ。そしてその数も、少なくてすむまい。そうなるとそこに芸術家の社会が成立してくるであろう。その社会においては大寺の本尊を刻むことは非常な名誉であるに相違ない。そういう社会の雰囲気のなかでは、薬師寺金堂の本尊を造った様なすぐれた作家は天才として通用するのである。この種のことは建築家についても、僧侶についても、あるいはまた学者についても、存在したであろう。そうしてそれらはみな書紀と関わるところがない。

 林達夫は、こうした文章、文献的裏付けのない「想像力」だけがことばを動かしていくような文章は絶対に書かないだろう。そういう意味では、これは林達夫とは無縁の文章なのだが、私は、あ、林達夫はここから学んだに違いない、と私は思うのだ。
 ある「事実(現象)」がある。そのとき、そこには「社会」がある。「社会」の動きが、その社会で起きた「事実」と関係がある。
 和辻は「想像力」で、それを考える。林達夫は、「文献」を探し出して社会を浮かび上がらせる。どちらも「社会」を必要としている。「背景」を必要としている。「背景」(社会)があって、はじめて「事件」が起きる。

 私は学校で習う「歴史」が大嫌いだった。年号だとか、人の名前だとか、事件とか、やたらは記憶しないといけない。そんなものは必要なときに本で見ればいいのであって、覚える必要はない、と考えていたからだ。
 だから和辻の『鎖国』を読んだときは、非常に驚いた。「事件」ではなく、「社会」が描写されていたからだ。そこにはたとえば、世界一周をしたスペインの船が、大西洋にふたたび帰って来て、スペイン(だったと思う)の船と出合う。そのとき「航海日誌」の日付が違っていることに気がつく。日付変更線がまだ「存在」していなかった時代にも、時間はある。そして正確に「航海日誌」をつけていれば、必然的に日付が違ってしまう。つまり、世界一周した船の「航海日誌」をつけていた人は、無意識のうちに「日付変更線」を発見してしまったのだ。……これは「社会」というよりも、物理(あるいは数学科何か)の問題かもしれないが、「事件」の背後には、誰も意識していなかったような不思議な広がりがあり、それは「絶対的」なものなのだ。
 年号や人名、その他の「固有名詞」は、偶然のものにすぎない。必然的なものは、なかなてか記録されない。その記録されない必然こそが大事なのだ。

 私が林達夫、和辻哲郎の文章(ことば)に惹かれるのは、ふたりのことばの奥に、「学校教育」では無視される必然に気づかされてくれるからかもしれない。そうした必然は、なかなかことばにされない。しかし、そうした必然こそが、人間を「正しく」している。「日付変更線」に戻って言えば、間違いなく毎日「航海日誌」を書き続けるというような、地道な行為、そこに「正しさ」があるのだ。それは「人間の正しさ」につながる何かだと思う。

 

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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

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