福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

第3の開国

2007年04月04日 |   〇政治・経済

多くの韓国メディアが韓米自由貿易協定(FTA)の締結を評価する
論調を掲げる中、「第3の開国」という表現が目に付くようになった。

その視点によると、19世紀末、朝鮮王朝が諸外国に門戸を開放
したのが「第1の開国」。1960年代以降、新生国家韓国が産業化
の道を歩み始めたのが「第2の開国」。

そして、国内の農業問題など深刻な不安材料を抱えながらも、
アメリカという世界最大の巨大市場にさらなる活路を求めての
今回のFTA締結が「第3の開国」になるというわけだ。

ここでは、「第1の開国」の苦い歴史を振り返りながら、今回の
韓米FTAが未来への飛躍の契機となるよう国民に決意を促した
釜山日報のコラム記事を翻訳練習し記録しておく。

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■ [밀물썰물] 쇄국과 개방
[満ち潮引き潮] 鎖国と開国
(釜山日報 4月4日)

청나라는 1757년 해외무역을 광저우(廣州) 한 곳으로만
제한했다. 주 교역국이었던 영국은 면직물과 비단,차(茶)를
수입하고 모직물을 수출했다. 그러나 중국 화남지방은 따뜻한
날씨 때문에 모직물의 수요가 없었다. 18세기 들어 영국은 차
수입량이 크게 늘어나 은(銀)이 중국으로 대량 유출되었다.
영국은 인도산 아편을 무역수지 개선에 활용하였다. 청나라는
아편 수입과 양귀비 재배를 모두 금지시켰으나,상인들이 불법
수입하는 바람에 1828년부터 무역수지가 뒤바뀌었다. 이 때문에
1840년 이른바 아편전쟁이 발발하였다. 패전한 중국은 상하이,
닝보(寧波) 등 4개 항구를 추가 개방하고,홍콩을 영국에 할양
하게 되었다.
1757年、清国は海外貿易を広州だけに限定した。主要な交易国
だったイギリスは綿織物や絹、茶を輸入し毛織物を輸出した。
しかし、中国の華南地方は気候が暖かく毛織物の需要はなかった。
18世紀に入り、イギリスは茶の輸入量が大きく増加し、大量の
銀が中国に流出した。そこで、イギリスはインド産のアヘンを貿易
収支改善に活用した。清国はアヘンの輸入とケシの栽培を禁止
したが、アヘンを密輸する商人が横行し1828年からは貿易収支が
逆転した。このため1840年、いわゆるアヘン戦争が勃発した。
敗れた中国は上海や寧波など4港を開港し、租借地として香港を
イギリスに割譲した。

근세 중국과 우리나라의 대외개방 과정은 닮은 꼴이었다. 자주적
이고 적극적인 개방이 아니라 외세의 강요에 굴복한 결과였다.
1866년 프랑스 동양함대가 일으킨 병인양요,5년 후 미국 아시아
함대가 군함 5척으로 공격해온 신미양요를 물리친 조선은
자신감이 생겼다. 대원군은 전국에 척화비(斥和碑)를 세우게
하고 쇄국의 빗장을 더욱 굳게 걸었다. 그러나 1876년 조선은
일본군의 무력시위에 굴복,강화도에서 불평등 조약을 맺고
문호를 개방하고 말았다.
近世の中国と韓国が歩んだ開国の過程は似ていた。それは自主
的で積極的な開国ではなく、列強の強制に屈服した結果であった。
1866年、フランスの東洋艦隊が起こした丙寅洋擾、その5年後、
アメリカのアジア艦隊の軍艦5隻が攻撃を加えて来た辛未洋擾を
退けた朝鮮王朝は自信を持った。大院君は全国に斥和碑を建て
させ鎖国の扉をいっそう堅く閉じた。しかし、1876年、朝鮮王朝は
日本軍の武力示威に屈服し江華島で不平等条約を結び門戸を
開放してしまった。

일본도 쇄국 노선을 걸었지만,나가사키(長崎) 항 데지마라는
작은 섬에 서양인들의 체류를 허용했다. 일본은 이곳을 세계를
배우는 '창'으로 이용했다. 네덜란드 말과 문물을 배우는 '난학
(蘭學)'붐이 일어났다. 1853년 미국의 페리 제독과 통상수호
조약을 체결할 때 일본에는 네덜란드 말을 자유롭게 구사하는
난학자가 수백명이었으며,조약 부본이 네덜란드어로 작성될
정도였다. 미국과 수교한 일본은 '탈 아시아(脫亞入歐)'를 부르
짖으며 선진문물 배우기에 몰두하였다.

日本も鎖国路線を歩んだが、長崎の出島という小さな島に西洋人が
滞在することを許した。日本はその出島を世界を学ぶ「窓」として
利用した。19世紀にはオランダの言葉や文物を学ぶ蘭学ブームも
起きた。1853年、アメリカのペリー提督と通商修好条約を結ぶ時、
日本にはオランダ語を自由に駆使する蘭学者が数百人も存在し、
条約の副本がオランダ語で作成されるほどだった。アメリカと国交を
結んだ日本は脱亜入欧を叫びながら先進的な文物を取り入れる
ことに没頭した。

'제3의 개국'이라고 일컬어지는 한·미 자유무역협정은 위기이자
기회다. 우리가 하기에 달려 있다.

「第3の開国」と呼ばれている韓米自由貿易協定は韓国にとって
危機であると同時に絶好の機会だ。その成否は今後の我々の
努力にかかっている


(終わり)


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韓米FTAとサムライ

2007年04月04日 |   〇政治・経済


△共同記者会見で握手する韓米代表(プサン日報)

4月2日、難航を重ねてきた韓米FTA(自由貿易協定)交渉が
ついに妥結した。

韓国側の主席代表は外交官のキム・ジョンフン氏。

韓国メディアでは全体的に今回の交渉妥結を歓迎する論調が
主流を占めているが、一部にはキム代表をヒーロー視するような
記事もあった。


△キム・ジョンフン首席代表(ソウル経済新聞)

ある日の中央日報の記事は彼の容貌を「日本のサムライ」に
たとえながら、彼の交渉力を称えた。

その比喩が妙に「ヲタク」の脳裏にこびりついて離れなくなって
しまい、メディアで彼の姿を目にするたびにマゲを結って裃
(かみしも)を着た彼を連想することになったのだ。


△FTA交渉、韓米両代表(東亜日報)

確かに、彼は侍の格好がよく似合うタイプの東洋人男性なのかも
しれない。

そう思うのは「ヲタク」だけだろうか?

・・・・・・・・・・

■ "피 말리는 통상협상 우린 전생에 검투사"
熾烈なFTA交渉、彼らの前世は剣闘士
(中央日報 3月31日)

-略-

하지만 협상 초기 두 사람의 '기 싸움'은 볼만했다. 백발의
일본 무사풍인 김 대표의 강인한 인상과 징그러울 정도로
침착하면서 냉정한 커틀러 대표의 쌀쌀함. 그들 특유의
이미지가 부딪칠 때마다 "협상이 끝장나는 게 아니냐"는
성급한 관측까지 나올 정도였다. '말'의 대결에도 한 치
양보가 없었다. 김 대표가 협상 초기 "1차 협상이 탐색전
이라면 앞으론 샅바 잡기-힘 쓰기-배지기의 순서로
공격할 것"이라고 엄포를 놓았다.
交渉の第1ラウンドで韓国側のキム・ジョンフン代表とアメリカ側の
ウェンディ・カトラー代表との間で繰り広げられた気迫のぶつけ
合いは見ものであった。日本の侍のような風格を持つ白髪の
キム代表
の強靭な印象と、冷たささえ感じさせるカトラー代表の
いやらしいほどの冷静沈着ぶり。彼らの持つ特有のイメージが
ぶつかり合うたびに「交渉は決裂するのではないか」との性急な
観測まで流れるほどだった。キム代表は「言葉」の対決でも一歩も
退かなかった。交渉に臨んだ彼は、「1度目の交渉はお互い腹の
探り合いだったと言える。今後の交渉を韓国相撲にたとえて言う
なら、まず相手のまわしを取ることから始めて、次に両手に力を
入れ、最後には体を抱え上げ土俵に叩きつけるという順序で
攻めて行くことになる」と闘志を露わにした。

커틀러도 이에 질세라 "쇠고기 없이 FTA 없다"는 식의
직설화법을 내뱉었다. 그럼에도 두 사람은 서로에 대해
"같이 일해볼 만한 협상가"라고 신뢰감을 표시하며 숱한
고비에서도 절충하고 타협하려고 노력했다.
カトラー代表も負けてはいなかった。「牛肉の輸入再開なくして
FTAはない」というような直球を投げ込んできた。それにも関わらず、
二人の代表はお互いに対し「いっしょに仕事をしてみたくなる
外交官」だとの信頼感を示しながら、数多くの難問を解き妥協点を
見出そうと努力した。

(終わり)

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