わかっていたことではあるけれど、千鶴が小百合おばあさんに女優となった自分の姿を見せられなかったと諦めかけたところに、和也が現れた。
編集が終わったばかりの映画をPCからプロジェクタにつないで、病室の壁に映し、そのままなにも言わず、病室を出る。
あとは、千鶴がおばあさんに話しかけ、これが自分の出た映画だと訴える。
ついには小百合おばあさんも意識を取り戻し、孫娘の千鶴の演技を見て、微笑む。
もちろん、千鶴は号泣。。。
いやー、思いっきり予想通りの展開で、でも涙腺が緩んで仕方がなかった。。。
てか、和也、マジカッコイイじゃん!
八重森風に言うなら、
「師匠、マジ、パッないス! 漢っス! さすがっス!」
って感じで、もうウルウルしながら天を見て叫んでそう!
いや、もう、それくらい、今回の和也は粋だよ。
彼だって顔が涙でもうぐちゃぐちゃになっているに違いないのに、病室に入ってからはずっと無言を貫き通して、ただただ千鶴と小百合おばあさんの時間だけを優先したのだから。
これを漢と言わずになんと言おう!
っていうか、これで千鶴が和也に惚れなかったから、もう怒るからね、作者を。
で、今回のところで、地味に、あー、そういうことだったのか、作者、上手いなぁ、と思ったのは、
星座は孤独の集合体
と、千鶴に言わせたところ。
だから、映画のタイトルが『群青の星座』だったのか。
だって、このまま小百合おばあさんが亡くなってしまうと、文字通り、千鶴は天涯孤独になってしまう。
家族がいない、寄り添うものがいなくなる。
でも、いますぐ「家族」になるのは無理でも「星座」にはなれる!ということだよね。
バラバラの星が寄り集まって、「星座」をつくればいい。
そういう意味もあったんだなぁ、と。
この、おそらくは千鶴と小百合の最後となるであろう時間に、星座になればいい、というメッセージが挟まれるのは、ええい!、作者ズルいぞ!って思ったよ。
これで、次回、どうなるかだよなぁ。
このまま小百合おばあさんが少しは意識を取り戻して、千鶴と言葉を交わすことができるのか?
それとも、あのまま息を引き取るのか?
前者であってほしいとは思うけど、その場合、千鶴は和也との関係がレンカノから始まったことを告げるのだろうか?
一つ、ここで無粋なことを言うと、もしかしたら、小百合おばあさんは、二人の関係がレンカノから始まったことを知っているのかもしれない。
和也の祖母の和から聞いて。
少なくとも和はすでに知っているように思っていて。
なぜなら、和からすれば、小百合の名字が「一ノ瀬」であるにもかかわらず、和也がずっと千鶴のことを「水原」と呼んでいることに、疑問を持たないとは思わないのだよね。
これで、和と小百合の間に何の接点もなければ、スルーすることもできるのだけど。
でも、すでに和と小百合は、意気投合した入院友達だし。
しかも、和は、病室にWi-Fiを入れてしまうほどスマホの利用にも長けているし、てか、ソシャゲにも手を出しているし。
そうしたら、スマホで「水原千鶴」を検索してもおかしくはない。
そして、レンカノとしての「水原千鶴」を見つけてもおかしくはない。
だって、マミちゃんだって、そうして千鶴がレンカノになることにたどり着いていたじゃない。
だから、同じように、和がその事実を探り当てたとしてもおかしくはない。
もちろん、その事実を知った上で、なお、和は千鶴のことが気になっていて、だから、指輪を渡してもいたのだろうな、と思うんだよね。
千鶴と和也の合同誕生会を企画したのだって、多分、小百合から一ノ瀬家の事情を聞いて、千鶴が家族と誕生日を祝うことができないことを知っていたからだと思うし。
ということで、和から、小百合が、和也と千鶴の本当の関係に気づいていた可能性は高い。
あるいは、そんなことも必要なくて、千鶴が女優志望であることを知っている小百合からすれば、和也が千鶴を「水原」と呼んでいるのを耳にした時点で、ああ、これは演技でやっているんだ、ということに気づいていた可能性もある。
なんたって、小百合自身、大女優だったわけだから。
千鶴の映画を最初に見た時、千鶴ですら、小百合のことを「嘘つきだ!」と言っていたくらいだから。
なので、小百合は小百合で、元女優としての観察眼から、千鶴と和也の関係に演技が混じっている、つまり嘘が混じっていることに気づいていたのかもしれない。
ともあれ、次回以降の展開の上で大事なことは、いずれにせよ、千鶴と和也がひた隠しにしてきた「レンカノ」の事実を、多分、小百合は気づいていた、ということ。
でも、その上で、小百合もまた、千鶴と和也の二人が似合いの二人であると心底感じていた。
多分、千鶴と和也の姿が、あまりに自分と勝人の姿に似ていたからだ、と思うけど。
なので、レンカノだったという事実、つまり、ずっと小百合に対して嘘をついてきた、という負い目を感じて、(小百合の最期の時を前にして、)その事実を伝えるか否かに最後まで逡巡している千鶴に対して、あっさり、
ちづる、あなたたちの嘘には気づいていたわ、
と小百合が伝えて、千鶴の精神的重荷をおろしてあげるのではないかな、と思っている。
そのうえで、
素直になりなさい、ちづる
という一言をかけるのではないか。
そして、そうなったら、その後の、この物語の方向は、今までとずいぶん大きく変わることになるに違いなくて。
もっとも、あの危篤状態で、こんなことを伝えられるのか、という気もするのも事実で。
ともあれ、今回が、物語の転回点になることは間違いない。
なんか、まだまだ思うところはあるのだけど、とりあえず、今はここまで。
あとで、また書くかも。
てか、それくらい、ハマってきています!
編集が終わったばかりの映画をPCからプロジェクタにつないで、病室の壁に映し、そのままなにも言わず、病室を出る。
あとは、千鶴がおばあさんに話しかけ、これが自分の出た映画だと訴える。
ついには小百合おばあさんも意識を取り戻し、孫娘の千鶴の演技を見て、微笑む。
もちろん、千鶴は号泣。。。
いやー、思いっきり予想通りの展開で、でも涙腺が緩んで仕方がなかった。。。
てか、和也、マジカッコイイじゃん!
八重森風に言うなら、
「師匠、マジ、パッないス! 漢っス! さすがっス!」
って感じで、もうウルウルしながら天を見て叫んでそう!
いや、もう、それくらい、今回の和也は粋だよ。
彼だって顔が涙でもうぐちゃぐちゃになっているに違いないのに、病室に入ってからはずっと無言を貫き通して、ただただ千鶴と小百合おばあさんの時間だけを優先したのだから。
これを漢と言わずになんと言おう!
っていうか、これで千鶴が和也に惚れなかったから、もう怒るからね、作者を。
で、今回のところで、地味に、あー、そういうことだったのか、作者、上手いなぁ、と思ったのは、
星座は孤独の集合体
と、千鶴に言わせたところ。
だから、映画のタイトルが『群青の星座』だったのか。
だって、このまま小百合おばあさんが亡くなってしまうと、文字通り、千鶴は天涯孤独になってしまう。
家族がいない、寄り添うものがいなくなる。
でも、いますぐ「家族」になるのは無理でも「星座」にはなれる!ということだよね。
バラバラの星が寄り集まって、「星座」をつくればいい。
そういう意味もあったんだなぁ、と。
この、おそらくは千鶴と小百合の最後となるであろう時間に、星座になればいい、というメッセージが挟まれるのは、ええい!、作者ズルいぞ!って思ったよ。
これで、次回、どうなるかだよなぁ。
このまま小百合おばあさんが少しは意識を取り戻して、千鶴と言葉を交わすことができるのか?
それとも、あのまま息を引き取るのか?
前者であってほしいとは思うけど、その場合、千鶴は和也との関係がレンカノから始まったことを告げるのだろうか?
一つ、ここで無粋なことを言うと、もしかしたら、小百合おばあさんは、二人の関係がレンカノから始まったことを知っているのかもしれない。
和也の祖母の和から聞いて。
少なくとも和はすでに知っているように思っていて。
なぜなら、和からすれば、小百合の名字が「一ノ瀬」であるにもかかわらず、和也がずっと千鶴のことを「水原」と呼んでいることに、疑問を持たないとは思わないのだよね。
これで、和と小百合の間に何の接点もなければ、スルーすることもできるのだけど。
でも、すでに和と小百合は、意気投合した入院友達だし。
しかも、和は、病室にWi-Fiを入れてしまうほどスマホの利用にも長けているし、てか、ソシャゲにも手を出しているし。
そうしたら、スマホで「水原千鶴」を検索してもおかしくはない。
そして、レンカノとしての「水原千鶴」を見つけてもおかしくはない。
だって、マミちゃんだって、そうして千鶴がレンカノになることにたどり着いていたじゃない。
だから、同じように、和がその事実を探り当てたとしてもおかしくはない。
もちろん、その事実を知った上で、なお、和は千鶴のことが気になっていて、だから、指輪を渡してもいたのだろうな、と思うんだよね。
千鶴と和也の合同誕生会を企画したのだって、多分、小百合から一ノ瀬家の事情を聞いて、千鶴が家族と誕生日を祝うことができないことを知っていたからだと思うし。
ということで、和から、小百合が、和也と千鶴の本当の関係に気づいていた可能性は高い。
あるいは、そんなことも必要なくて、千鶴が女優志望であることを知っている小百合からすれば、和也が千鶴を「水原」と呼んでいるのを耳にした時点で、ああ、これは演技でやっているんだ、ということに気づいていた可能性もある。
なんたって、小百合自身、大女優だったわけだから。
千鶴の映画を最初に見た時、千鶴ですら、小百合のことを「嘘つきだ!」と言っていたくらいだから。
なので、小百合は小百合で、元女優としての観察眼から、千鶴と和也の関係に演技が混じっている、つまり嘘が混じっていることに気づいていたのかもしれない。
ともあれ、次回以降の展開の上で大事なことは、いずれにせよ、千鶴と和也がひた隠しにしてきた「レンカノ」の事実を、多分、小百合は気づいていた、ということ。
でも、その上で、小百合もまた、千鶴と和也の二人が似合いの二人であると心底感じていた。
多分、千鶴と和也の姿が、あまりに自分と勝人の姿に似ていたからだ、と思うけど。
なので、レンカノだったという事実、つまり、ずっと小百合に対して嘘をついてきた、という負い目を感じて、(小百合の最期の時を前にして、)その事実を伝えるか否かに最後まで逡巡している千鶴に対して、あっさり、
ちづる、あなたたちの嘘には気づいていたわ、
と小百合が伝えて、千鶴の精神的重荷をおろしてあげるのではないかな、と思っている。
そのうえで、
素直になりなさい、ちづる
という一言をかけるのではないか。
そして、そうなったら、その後の、この物語の方向は、今までとずいぶん大きく変わることになるに違いなくて。
もっとも、あの危篤状態で、こんなことを伝えられるのか、という気もするのも事実で。
ともあれ、今回が、物語の転回点になることは間違いない。
なんか、まだまだ思うところはあるのだけど、とりあえず、今はここまで。
あとで、また書くかも。
てか、それくらい、ハマってきています!