なんかこの29話、神回、神回、って連呼されているようだけど、ほんとに、そうなのかな?
第一印象は全然違うのだけど。
いやー、一期のレムの「ゼロから!」は、確かに神回認定してもいいけれど、あれを神回というなら、この29話は、その水準には全然達していないでしょ?
だって、これ、現実界のときに引きこもりだったスバルが、それを思い出して、彼が迷惑かけていたと思っていた両親に、ごめん、ありがとう、と言っただけの回だよね?
ちょっと(ウェブの)原作でどこまで書かれていたかは思い出せないのだけど、でも、これって、あくまでもスバルの主観で両親に対して感謝したかって、だけのことで、スバル自身がどういう経緯で引きこもってしまったのか?という理由については、当然、本人の主観表明だから、明らかにならない、わけで。
でもさ、あのアゲアゲの親父と、アマアマの母親だったら、息子がコミュ障になってしまっても仕方ないんじゃない?
そういう意味で、お前たちが俺を追い込んだんだろ!って問いかけが、一切、スバルの口から出ないのは、事態の認識そのものが甘すぎるんじゃない?
だって、エミリアたちの世界に転移してからのスバルって、なんだかんだいいながらヴィルヘルムさんを自分の爺さんのような目で見ているじゃない?
だから、スバルには、人生の目的をきちんと描いて、それに向かって努力を重ねる、嫌なことにも耐える、という修練が必要だったわけで、そのために、ヴィルヘルムのような、信念のある大人の男性が必要だったわけでしょ?
つまり、人生のロールモデルが必要だったわけだけど、あの自由主義者のアゲアゲ親父やアマアマ母親は、それを放棄していたわけじゃない。
スバルじゃないけど、思い切り回りっくどい言い回しや、ボケによるごまかしによって。
で、それじゃ、ダメだったから、今、エミリアの世界で(多分、エミリアの転生元であろう嫉妬の魔女の力を使って)「死に戻り」を繰り返して実地訓練で、無理やり「成長」しよとしているわけじゃない?
そうして、煉獄巡りを繰り返して、ようやく小さな「グッドエンド」を掴み取っていく、というのがリゼロの話の骨格じゃない?
つまり、これって、両親が本来示すべき「厳しさ」を、リゼロ死に戻りシステムが肩代わりしている、ってことでしょ。
で、そこでなんとか白鯨討伐という一端の成果を上げて、成長を実感できるところまで来たから、なんとか、今回のような、スバル的には奥歯になにか詰まったような悪態を親に向けてするくらいで済んだわけじゃない?
なので、単純に、親子の関係が描かれた?から神回?ってのは、正直、ナンセンスだと思う。
レムが叱咤激励する「ゼロから」回は、明らかにレムが聖母ポジションで、スバルを甘えさせないという制約をつくったことで、物語には大きな意味がある回だし、そのスバルとレムの二人芝居の言葉の応酬には、眼を見張るべきところもあった。
だから、あれを神回というのはわかるけど。
今回のは、全然、そんな水準には達していないでしょ。
原作を読んでた時も、あ、こういう形で、一応、スバルの過去設定を読者に伝えたかったのね、ってくらいに受け止めていた程度だった。
多分、上でもちょっと書いたように、このリゼロって世界は、スバルにとっての人生教練の世界で、その意味で両親や学校という社会システムの代替のはず。
だから、死に戻りであれだけの苦難を繰り返させるわけで。
しかも、原作の方だと、どうやらこの死に戻りシステムのあるリゼロ世界を構築したのもスバルっぽいらしいような雰囲気になってきたので、
となると、そもそも彼が痛みがあっても成長したいという欲望があったからこそ出来上がったシステムのようにも思えて。
それもこれも、その欲望に親が応えてくれなかったからでしょ?
だから、両親に感謝したくらいのベタな展開で神回とかいうのはさすがにないだろ、と思うかな。
もっともそうなるとスバルの立ち位置って、ほとんど作者ポジションと変わらなくなるのだけど。
でもそうした「入れ子」構造を楽しむところがリゼロの読みどころなんじゃないのかな。
第一印象は全然違うのだけど。
いやー、一期のレムの「ゼロから!」は、確かに神回認定してもいいけれど、あれを神回というなら、この29話は、その水準には全然達していないでしょ?
だって、これ、現実界のときに引きこもりだったスバルが、それを思い出して、彼が迷惑かけていたと思っていた両親に、ごめん、ありがとう、と言っただけの回だよね?
ちょっと(ウェブの)原作でどこまで書かれていたかは思い出せないのだけど、でも、これって、あくまでもスバルの主観で両親に対して感謝したかって、だけのことで、スバル自身がどういう経緯で引きこもってしまったのか?という理由については、当然、本人の主観表明だから、明らかにならない、わけで。
でもさ、あのアゲアゲの親父と、アマアマの母親だったら、息子がコミュ障になってしまっても仕方ないんじゃない?
そういう意味で、お前たちが俺を追い込んだんだろ!って問いかけが、一切、スバルの口から出ないのは、事態の認識そのものが甘すぎるんじゃない?
だって、エミリアたちの世界に転移してからのスバルって、なんだかんだいいながらヴィルヘルムさんを自分の爺さんのような目で見ているじゃない?
だから、スバルには、人生の目的をきちんと描いて、それに向かって努力を重ねる、嫌なことにも耐える、という修練が必要だったわけで、そのために、ヴィルヘルムのような、信念のある大人の男性が必要だったわけでしょ?
つまり、人生のロールモデルが必要だったわけだけど、あの自由主義者のアゲアゲ親父やアマアマ母親は、それを放棄していたわけじゃない。
スバルじゃないけど、思い切り回りっくどい言い回しや、ボケによるごまかしによって。
で、それじゃ、ダメだったから、今、エミリアの世界で(多分、エミリアの転生元であろう嫉妬の魔女の力を使って)「死に戻り」を繰り返して実地訓練で、無理やり「成長」しよとしているわけじゃない?
そうして、煉獄巡りを繰り返して、ようやく小さな「グッドエンド」を掴み取っていく、というのがリゼロの話の骨格じゃない?
つまり、これって、両親が本来示すべき「厳しさ」を、リゼロ死に戻りシステムが肩代わりしている、ってことでしょ。
で、そこでなんとか白鯨討伐という一端の成果を上げて、成長を実感できるところまで来たから、なんとか、今回のような、スバル的には奥歯になにか詰まったような悪態を親に向けてするくらいで済んだわけじゃない?
なので、単純に、親子の関係が描かれた?から神回?ってのは、正直、ナンセンスだと思う。
レムが叱咤激励する「ゼロから」回は、明らかにレムが聖母ポジションで、スバルを甘えさせないという制約をつくったことで、物語には大きな意味がある回だし、そのスバルとレムの二人芝居の言葉の応酬には、眼を見張るべきところもあった。
だから、あれを神回というのはわかるけど。
今回のは、全然、そんな水準には達していないでしょ。
原作を読んでた時も、あ、こういう形で、一応、スバルの過去設定を読者に伝えたかったのね、ってくらいに受け止めていた程度だった。
多分、上でもちょっと書いたように、このリゼロって世界は、スバルにとっての人生教練の世界で、その意味で両親や学校という社会システムの代替のはず。
だから、死に戻りであれだけの苦難を繰り返させるわけで。
しかも、原作の方だと、どうやらこの死に戻りシステムのあるリゼロ世界を構築したのもスバルっぽいらしいような雰囲気になってきたので、
となると、そもそも彼が痛みがあっても成長したいという欲望があったからこそ出来上がったシステムのようにも思えて。
それもこれも、その欲望に親が応えてくれなかったからでしょ?
だから、両親に感謝したくらいのベタな展開で神回とかいうのはさすがにないだろ、と思うかな。
もっともそうなるとスバルの立ち位置って、ほとんど作者ポジションと変わらなくなるのだけど。
でもそうした「入れ子」構造を楽しむところがリゼロの読みどころなんじゃないのかな。