100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「中米」編 パナマ運河4

2007年12月22日 08時53分58秒 | 中米

 前頁で紹介した鉄道は一時廃線になっていましたが、2001年に復活し1日1往復の運行をしています。写真は運河の船からの列車の遠望です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中米」編 パナマ運河3

2007年12月22日 08時48分16秒 | 中米

 パナマ運河の歴史をほんの少しだけ紹介しておきます。

 1534年スペイン国王カルロス1世が調査を指示したことが始まりとされています。そこでパナマ市に彼の胸像がありました。(写真 CARLOS Ⅴと書かれていますがそれは神聖ローマ帝国のカール5世と同一人物からです。したがって私はこの胸像の表示には疑問を持ちました。すなわちCARLOS Ⅰと表記すべきだと思うのですが)

 具体的には1880年スエズ運河で有名なフランスのレセップスの計画で始まりましたが黄熱病、技術的、資金的問題で1889年に断念します。

 その前にすでに1850年~55年にこの地に鉄道が敷設されていました。これは1848年カリフォルニアで金が発見され北アメリカ東部から西部への一攫千金を目指したいわゆるゴールドラッシュに起因します。当時は東部から西部へは内陸部を通過するよりはカリブ海を南下してこのパナマ地峡を出て太平洋に入りカリフォルニアに行くのが近道だったのです。

 その後アメリカ合州国は軍艦の移動を速やかにするためパナマ運河の開通を目指します。しかし当時この地はコロンビア領でしたがコロンビア議会は合州国による建設に反対します。そこでアメリカ合州国はこの地をコロンビアから切り離しパナマという国を作りそのパナマから運河建設の権利を得ることになります。(1903年)この経緯は上手にできた推理小説よりも面白いのですが長くなるので省略します。興味のある方は最近出た「反米大陸」(伊藤千尋著、集英社新書)で簡潔に紹介されていますのでご覧ください。詳しくは「パナマ地峡秘史」(ディヴィット・ハワース著、リブロポート社)をご覧ください。今も昔も変わらないアメリカ合州国の帝国主義的権謀術数が分かります。

 1914年運河が開通し、運河地帯両岸にアメリカの永久租借地となった軍事施設がおかれ南米におけるアメリカの軍事拠点になります。その後1960年代からのパナマの民族主義の高揚がありついに1999年運河はパナマに返還されました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする