967人が3年間ここに立てこもり戦いますが、写真に見えるように土を盛り道を造ってローマ軍は侵入し、ついに陥落します。この時、くじで10人を選び、その10人が他の10人を殺し、さらにくじで1人を選びその人が9人を殺し、最後の人が自決をしたと伝えられています。ただ2人の女性と5人の子供が生き残ったとされています。
マサダは死海の南西部、砂漠の中(2010年3月15日地図)標高400mの要塞遺跡です。この地はユダヤ人にとって特別の思い入れがある場所でマサダコンプレックスという言葉があります。前述のヘロデ大王が以前からの要塞を強化増築し豪華な冬の宮殿を建てました。
ヘロデ大王以前からユダヤ人の反ローマの動きがありましたが、紀元66年~73年にかけて大規模な反ローマ戦争が起きました。ユダヤは敗北しますが、最後の砦になったのがここマサダ要塞でした。 ここへはロープウェーで行きます。