水の確保も大変でした。乏しい水を水路で引いた貯水池が残されています。
このマサダ陥落後ユダヤ人の世界各地への離散が始まります。ディアスポラと呼ばれています。
前回述べたようにこの事件は長くユダヤ人の{マサダコンプレックス}として残ります。 ユダヤ人にとってのマサダの現代的意義について臼杵陽氏はその著「イスラエル」で以下のように述べています。
「ナチスドイツ軍が進軍してパレスチナも破局を迎えるかもしれないという未曽有の危機において、ローマ時代のマサダ砦におけるユダヤ人の抵抗と玉砕という『史実』が、社会主義シオニストの士気を高めるために重要な意味を帯びてきた。マサダ砦は死海南西部の断崖絶壁の山の頂にあり、ローマ軍に抵抗した第1次ユダヤ反乱の最後の拠点となった。社会主義シオニストはマサダ砦の玉砕における集団自決を、降伏せずに最後まで戦った国民的英雄行為の事例として称賛した。イスラエル版の『伝統の創出』である。」(p71)
前後の文脈から切り離しての文章なので少し理解しにくいところがると思いますが、現在のイスラエル軍隊の入隊宣誓式はここで行われることを付け加えて考えていただければ、ユダヤ人とって今は切っても切れない伝統になっていることがお分かりかと思います。
このころユダヤ教の中から二つの教派が生まれてきます。一つはクムラン教団、もうひとつは、ユダヤ教イエス派(→キリスト教)です。
次回からはそれについて紹介する予定だったのですが、今まで少し硬い話が続き、次回からは抹香臭い話になるので気分転換、この「パレスチナとパレスチナ」編を一時中断して、「世界の酒」編を間に挟みます。