100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「中米」編 大衆酒場1

2007年12月18日 08時45分05秒 | 

 中米ではすでに紹介したようにコンビニにも銃を所持したガードマンいるように治安は良くありません。したがって夜の歓楽街を徘徊し酒場に入ることなど考えてもいませんでした。ところが時々このブログに寄稿してくれている添乗員の伊藤さんは連泊のコスタリカのリベリアで前日下調べをして安全な大衆酒場に案内してくれました。添乗員としては危険ですから夜は外出しないでくださいで済ますのが通例ですが彼は事前の調査までして案内してくれました。私の始めての経験でした。

 写真は歓迎してくれた客たちです。飲み物は殆ど小瓶のビールだったようです。良く覚えていませんが確か2ドルぐらいだったと思います。大勢でワイワイ飲んでいました。

 Feng さん、miru さんコメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

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「中米」編 トイレ2

2007年12月16日 08時50分06秒 | トイレのシンボルマーク

こちらは男性のほうですね。

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「中米」編 トイレ1

2007年12月16日 08時47分10秒 | トイレのシンボルマーク

 トイレの男女の区別は外国では戸惑うことがあります。世界中の人が、いや日本人だけがドイツ語圏で戸惑うという笑い話があります。これぞと思うほうに向かうとHerren(紳士)ヘーレン →入れない、とあるのでこれはダメかと思い隣に向かうとDamen(淑女)ダメーン→駄目ン、とあり立ち往生をしたという噺です。

 というわけで男女別のシンボルマーク?が活躍します。時にはきわどくて目を覆いたくなる、いや目の保養になるようなものもありますが、ここで紹介するのはパナマ運河クルーズ出発港で見たものです。こちらは女性用ですね。

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「中米」編 バリレス遺跡6

2007年12月14日 08時50分27秒 | 中米

 ついでにこの近くに居た腕白小僧の写真を一枚。

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「中米」編 バリレス遺跡5

2007年12月14日 08時46分37秒 | 中米

 この遺跡はlonely planet でprivate land と記載されているように私有地でその出土品の多くはパナマ市の考古学博物館に陳列されています。しかし発掘者の孫娘の話によればいまだしっかりした科学的調査はなく今後の研究を待っているとのことでした。そのため写真のように遺構がそのまま残されています。ただ一度だけナショナルジオグラフィクがかなり以前に調査に入ったことがあるそうです。

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「中米」編 バリレス遺跡4

2007年12月12日 09時09分24秒 | 中米

 何の変哲もない石だと思い偶然洗うとこのような模様が出てきたとの話でした。

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「中米」編 バリレス遺跡3

2007年12月12日 09時06分22秒 | 中米

 これはlonely planet でmetate(私の英和辞典にはありません)と説明しているもののようです。これはかなりたくさん?発掘されたようで他のインタネットサイトでも出ていました。

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「中米」編 バリレス遺跡2

2007年12月12日 09時00分35秒 | 中米

 以下3枚の遺物の写真を紹介します。私にはこれらの遺物を見ても何も分かりません。

 前回紹介したlonely planet にはpre-Colombian cultureと書いてあります。これはただヨーロッパ人が来る前の文化という意味で何も説明になっていません。最初の触れ込み「アジアからの移住」ということは何も分かりません。

 そこで私には何も調べる材料がないので、インターネットを検索していたら、Volcan Chiiqui Panama T.our and Atraction というサイトで“What makes this particular site so interesting to archaeologists is the mix of artifacts that show influences of Indian, Oriental and African cultures.”という文章を見つけました。

 すなわちここの遺跡(遺物)はインド、オリエント、アフリカの影響が見られというのです。なんと壮大な話でしょうか。勿論私には真偽を判定する力はありません。皆さん 写真の遺物を見て色々考えをめぐらしてください。

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「中米」編 コン・ティキ号

2007年12月10日 08時59分05秒 | 北欧

 ついでにコン・ティキ号を紹介しておきます。写真はノルウェーのオスロにある コン・ティキ号博物館に展示してある実物です。

 古代インカ人の技法でパルサ材を組み合わせて作りヘイエルダールら6人が乗り組み1947年4月28日にぺルーのリマの近くから出発し8月7まで漂流しポリネシアに到着しました。なお、コン・ティキという名前は「太陽神」と「太陽の息子」の両説がありその言語も、先インカの太陽神、インカ帝国の太陽神、ポリネシア語、ペルー語だとか文献によって色々違いがあります。

 写真はフィルム写真なので、一回クリックしてもう一度右下に出る拡大のアイコンをクリックしてください。

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「中米」編 バリレス遺跡1

2007年12月10日 08時51分17秒 | 中米

 遺跡を紹介するのは苦手ですが、このパナマのバリレス遺跡はちょっと変わったところがあるので触れておきます。

 この遺跡はツアーコースには入っていませんし、ガイドブックにも記載はありませんが(注)時間が少しあるということで、添乗員の伊藤さんと現地ガイドの計らいで立ち寄ることになりました。触れ込みは遠い昔東南アジア、アフリカからはるばるこの地にやってきた人たちの遺跡ということでした。

 このとき子供時に読んだ「コン・ティキ号漂流記」を思い出しました。これはノルウェーの人類学者ヘイエルダールがポリネシア人は南アメリカから移住したという仮説を実証するためペルーの近くから筏で漂流しポリネシアに到着した記録冒険物語です。現在ではこの仮説はほぼ否定されていますが、最近では逆にポリネシア→中南米の可能性がありその遺跡が発見されたという話しを聞いたことがあるので期待しました。

 写真はこの遺跡を約100年前に発見発掘保存した人の孫娘さんが我々に説明してくれているところです。

 (注)世界的に著名なLonely Planet (p217)には記載がありますが以下のように簡単な紹介です。なおこれは添乗員の伊藤さんからの指摘によるものです。

 The ruins of the pre-Columbian culture at Barriles are about a fifteen minute drive from the Center of Volcan town. The ruins are on private land, but the family who lives there allows visitors to see the ruins and will answer questions about them. Major artifacts from the archaeological site, including statues, metates(flat stone platforms use for guiding corn), pottery and jewelry are displayed in the Museo Antropologico Reina Torres de Arauz in Panama city 

 なお、この文章については次回に少し触れてみたいと思っています

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「アイシェさんの寄稿文」編 女一人チュニジアを行く4

2007年12月08日 08時46分09秒 | チュニジア


スース到着
列車は2等でも革張りで意外と高級感がある。
冷房が効きすぎていて寒い。
スースに到着。隣の男は私の荷物を網棚から降ろすとさっさと消えてしまった。
ありがとうと言ったけど無反応(苦笑)でも思ったより冷たい人ではないのかも。
それにしても、時刻表通りに発着するのに心底驚いた。

駅をでて、驚いたこと。
客引きが、いない(笑)

えー。マジで!?大抵、観光で食っているような国は駅やバスステーションでは
ホテルや旅行会社の客引きが、てぐすね引いて待ってるものなんですが。

仕方ないのでガイドブックの地図を頼りにメディナへ向かう。
広場でマーケットをやっていて、日用品やら服やら、すごい露天の数とすごい人出。
大きな荷物が邪魔だけど、ここを突っ切らないと中に入れないので突入。*
目星をつけた安宿へ。

そこは、メディナの中の土産屋と土産屋の細長い階段の上にあった。
これまた荷物を持っていくのが・・・(苦)
この旅が終わる頃にはかなり腕力がついていることだろう。

レセプションのおじさんはとても愛想がいい。
部屋はベッドだけで洗面台も共同だけど、ドアを開けると屋根がないので
気持ちいい。*
それにテラスに上がれば洗濯物が干せる。これ、めちゃ大事。
とても気に入ったので、数日ここにいようと思う。

(アイシェさんの寄稿は今後長期間いただけそうなのでいったんここで中断して私の「中米」編を次回から掲載します。今後はアイシェの寄稿と交互に掲載していきます。)

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「アイシェさんの寄稿文」編 女一人チュニジアを行く3

2007年12月06日 08時52分49秒 | チュニジア

(前回の続きです)

「ここだよ」
サラリーマン風の男の隣が空いていた。
少年が一言何か言うと男は黙って私の荷物を網棚に乗せた。
自分じゃ持ち上げられないけど、置いて置くほどのスペースもない。
何故か男は窓側に座っていたのに私に奥に座れと合図する。
「ありがとう」と少年に言って座った。
通路側に座った男はフランス語の新聞を読み始めた。

都会だなぁとまた思う。
旅行者に興味を持って話しかける人はいないし、さっきの少年だって周りと比較して
ちょっと汚い格好に見えるだけで、小汚い格好の私といい勝負だ。
アフリカの中で5番目に裕福な国だと聞いたけど、確かにそのようだ。
発車時刻までの間、外を眺めながらぼーっとそんなことを思っていた。
すると、さっきの少年が駅の職員らしい制服のおじさんに首根っこをつかまれてやってきた。
おじさんは大きな声で何か少年にわめいている。
ハムサディナール。その言葉だけ聞き取れた。
身振りでこの人にお金を返せと言っているらしい。
どうしてわかったの?どうして金額まで知ってるの?
誰かが見てて職員に連絡したんだろうか。
それとも彼がドジってウロウロしてるところを見つかってしまったんだろうか。

嫌々払ったわけでもなく、まして脅されたわけでもなく、彼に報酬として
私が支払いたい分をあげたんだから何も問題ないのに。
席をみつけてあげるってだけのことだけど、誰かが私という存在を認めて
話しかけてくれた、お金のためでも自分の為に働いてくれたってことが嬉しかった。

英語が通じるかわからなかったけど
「OKなのよ。彼は返さなくていいの。ノープロブレム。」
と言ってもおじさんは
「だめだ!ほら早く返せ!」
と少年を乱暴にせかす。
少年は返せというおじさんと、いらないという私の間で、どうしようといった表情だったけど
おじさんのすごい剣幕に押されてポケットからコインをだして私に渡した。
私はため息をついてしょうがないね、という顔で受け取った。
コインは暖かかった。

二人が去って、なんだか悲しくなってしまった。
あぁ、言葉が通じたらちゃんと説明できたのに。彼はお金を返さなくて済んだのに。
貧しい人を助けるのがイスラムの教えじゃないの?
それとも少年は貧しい振りをしてわざわざ列車の中でカモを探しているの?
別にそれでもいいじゃん。
社会的弱者に対してこうも冷たいところを見せられて、とても気持ちが落ち込んだ。
何故?で頭の中がいっぱいだった。チュニジアだってイスラム国なのに。アラブなのに。
職員は、外国人ツーリストに快適に旅行をしてもらう為に正しいと思ってそうしたんだろうと思う。
でも、これじゃホームレスの寝床を奪う為に新宿の地下道に人の金でつまらないオブジェを
作る日本と同じじゃない。


隣の男は、通路側だから無関係ながらやりとりの間にいたのに表情も変えず、
終始何も聞こえない、見えないという態度だった。
なんなんだこの国は。
私は少年の顔を思い浮かべながら暖かいコインを握って窓の外を眺めていた。
もうすぐ発車の時間だ、という頃、ひょっこり少年が現れた。
私の席より少し先にたって他を見ている。チラとこちらを見て様子を伺うので(笑)、
目でおいで、と合図するとこっちにやってきた。
嬉しくて笑顔でずっと握っていたコインを差し出す。
それをすばやく受け取ると彼はニヤッとしてすばやく消えていった。
あーよかった。
これでまた楽しい気持ちで旅が続けられる。
少年はコインを暖かい、と感じてくれただろうか。
一気に気持ちが晴れて、神様にありがとうと言った。
列車は定刻ぴったりに発車した。

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「アイシェさんの寄稿文」編 女一人チュニジアを行く2

2007年12月04日 09時13分29秒 | チュニジア

 (アイシェさんのチュニジア2日目です。今回は少し長いので2回に分けます)

 2日目

 翌朝ホテルを出て、ガイドブックの地図を見ながら鉄道の駅へ。

 夕べもtaxiの中から眺めて思ったけど、街並みがまるでフランス。

 とってもきれいだし、歩道も車道も広い。

 人々は都会人らしく忙しそうで足早だ。

 誰も東洋からの旅行者になんて目もくれない。

 駅で並んで切符を買い、ホームへ。

 みんな好き勝手に立っている。

 予定時刻20分ほど前に列車が静かにゆっくり入ってくる。ドアは新幹線のように車両の前後しかない。

 ファーストクラスとセカンドクラスがあり、車両に大きく1とか2と書いてあるので判り易くていい。

 もちろんセカンドクラスの切符を買ってある。

 並んでいないので、自分が入るドアを決めると列車が止まる前からドアに群がりつつ歩く。

 ドアが開くと何事かという勢いで我先に乗り込む。

 ドアは新幹線のドアと同じくらいの幅しかないのに乗る人も降りる人同時なもんだからぐっちゃぐっちゃ(笑)

 よっぽど時間かかるやんけ。 アホか、と見ててあきれる。

 もしかして列に並んで順序よく、というのは世界的に少数派なのかもしれない。

 ドアがすいてから乗り込む。

 ステップはとても狭くて、高さも結構ある。

 重い荷物を持ち上げるのに一苦労。

 お年寄りはどうやって乗るんだろう・・・

 ほとんどの席は埋まっている。 一車両通ったけどいっぱいで、デッキでため息。

 人の視線にまだ慣れてない(笑)

自分は部外者だと実感する。 ジロジロ見られることに疲れてしまう。

 大抵こういう国の人は視線に遠慮がないし、目が合ってきまり悪く目をそらすということもしない。

 ほんの2時間だし、ここで景色を眺めてるのも一人でゆっくりできていいかな。

 と荷物を端によせていると、少年がやってきて「席がないの?」と英語で話しかけてきた。

 おっこんな子供が英語を話すなんて。 小学校中学年くらいか。利発そうな顔をしている。

 服は薄汚れている。きっと列車に乗るんじゃないんだろう。「ファーストクラス?セカンドクラス?探してきてやるよ。」と2等車に消えていった。

 少しすると戻ってきた。

 「君の席あったよ」

 「ありがとう」

 「マネー」きたな~。

 この国で初めてのお金の要求。健康な子供にタダではお金はあげないけど、仕事に対しての報酬は払いますよ。

 子供にとってはかなりの高額なコインをあげる。

 「もっと。」

  「だめ。これで十分でしょ。」

 「だってファミリーのために必要なんだ」でたぁ~~家族が・・・って定番のセリフ。

 「じゃいいよ。」と去ろうとするので待てと腕をつかんで「十分すぎる分あげたよ。 席に案内して」

 と言うと、ニヤッと笑って「OK」と荷物を持って先導してくれた。

 (長くなるのでここでいったん中断し次回へ。ここからの展開がまた面白いのですが。しかも最後にはオチまでも。やっぱりパックツアーではこのような楽しみが少ないですよね)

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「アイシェさん寄稿文」編  女1人チュニジアを行く1

2007年12月02日 08時31分53秒 | チュニジア

 アイシェさんから紀行文の寄稿をいただきました。予定を変更して転載します。続編が楽しみです。

 初日---Tunis

 旅の出発地-大抵は首都である大都市-は、いつも旅の最後に見ることにしている。

 今回は23時をまわることにチュニス到着。今夜はここに泊って明朝移動することにした。

 メディナ入り口で初めに目についた安宿へ。

 全く英語が通じなかったけど、疲れきっていてとにかく早くシャワーを浴びて寝たかったので料金表で一番安い部屋を指差して鍵をもらう。

 言葉が通じないのにイヤな顔をしない、なかなか感じのよいおじさんだ。

 とにかく、自分にムチ打ち荷物を持って階段をあがる。

 うなぎの寝床のような長細い狭いスペースにベッドがひとつ。高い位置に小さな窓。

 手前には小さな洗面台が。洗面台があるのはポイントが高い。 12Dは高いと思うけど、他のホテルをあたる体力は残っていない。今夜寝るだけだからよしとしよう。

 シャワーは1D。 すぐ入るといって荷物を置いてから受付で支払い、案内してもらう。

 安宿のいい共同シャワーの条件は2つ。

 熱いお湯が出ることと、タオルをひっかけるフックがあること。

 安宿は生ぬるいお湯しかでないこともよくある。ここはどちらもクリア。ほっとする。

 シャワー室の鍵を返しにいくと、受付のおじさんは日本人ツーリストが来たときの為に日本語を覚えたいんだけど、みたいなことを身振りとフレンチで言う。

 力になってあげたいところだけど、私はフレンチが全くダメで、アラビッシュだってわからない。

 ここまで書くと簡単だけど、かなりのやりとりをしてなんとかお互いの言うことを想像してのあやふやなコミュニケーションなのだ(笑)

 お互いわかろうという気持ちがあれば、そこそこ意思は通じるもの。

 でも、初日早々あぁ、言葉ができたらもっと楽しいのに、と毎度毎度のことを思う。

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