100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「中米」編 コンキスタドールとバッカニア2 バルボア2

2008年01月13日 08時42分49秒 | 中米

前頁のバルボア像は顔が良く見えないのでウィキペディアから拝借しました。

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「中米」編 コンキスタドールとバッカニア1 バルボア1

2008年01月13日 08時37分09秒 | 中米

 中南米の歴史をヨーロッパ人中心に見るとコロンブスに始まるスペイン人のコンキスタドール(conquistador英語、スペイン語から。16世紀中南米を征服したスペイン人)、そしてその富をめぐりヨーロッパ諸国のバッカニア(buccaneer 英語、16~17世紀、スペイン船や植民地を荒らした海賊。語源については後記)の活躍ということになります。

 そこで今回の旅行で出会ったパナマに関係深いコンキスタドールのバルボアとバッカニアのヘンリー・モーガンを紹介します。

 バスコ・ヌーニエス・デ・バルボア(1475~1519)はスペイン貧乏貴族の生まれで1550年カリブ海のイスパニョーラ島に移住しリーダーになります。その後パナマのカリブ海側に植民しインディオから南に大きな海と黄金が算出するところがあると聞き1513年190人の部下とインディオの奴隷1000人を率いて探索を始めます。このときの部下に後にインカ帝国を滅ぼしたピサロがいます。そのときの探索の結果がヨーロッパ人として始めてパナマ地峡を通り太平洋に到達し歴史にその名を残すことになります。

 このときの行程は地図を見れば分かるように北のカリブ海→南の太平洋なのでバルボアは太平洋を「南の海」と名づけてかなりの間この名前が使われていました。カリブ海を「北の海」としました。

 なおガイドブック「地球の歩き方」ではバルボアが「太平洋」と名づけたと書かれていますがこれは間違いです。(訂正を申し込みしました)ちなみに「太平洋」と命名したのは南アメリカの最南端を通り世界一周したマゼランです。

 その後上官との折り合いが悪くなりかつての部下ピサロに捕らえられ反逆罪に問われ斬首刑(絞首刑とも)に処せられました。彼の人間性についてはいろいろと毀誉褒貶がありますが以前紹介した「パナマ地峡秘史」ではインディオ酋長の娘と交情をめぐってかなり同情に書かれています。

 写真はパナマ市にあるバルボア像です。

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「アイシェさんの寄稿文」編 女一人チュニジアを行く10

2008年01月11日 09時00分35秒 | チュニジア

スース7
サンドイッチ屋でチャパティサンドというのを注文して、近くのベンチに座って食べる。
道行く人を眺めながら食べるのも楽しい。
白人の親子が通りかかる。
5歳位の娘がマントを纏ってうずくまっている老人にお金を渡して親の元へ駆け戻る。

ふと「マダム、マッダーム」と離れたベンチから少年達がこちらを見て声をかけていたのに気づく。
全体的に身なりが汚い。
「ん?」と首を傾げてみると、食べかけのサンドイッチを指して食べるジェスチャーをする。
おいでと言うと3人でこそこそと何やら話している。
シャイなのかしらん。英語がわからかったのかも。
また食べ始めると「マッダーム」とまた3人で目をクリクリさせてこちらを見ている。
今度はおいでと手で手招きすると、そのうちの一人が私のベンチまでやってきた。
愛くるしい顔立ちの美少年。「おなかすいてるの?」黙っている。やっぱり英語はNGらしい。
彼の着ているスウェットシャツは薄汚れて穴も開いている。
これ?とサンドイッチを指すと「ウィ(イエス)」と言うので、財布から1D(100円弱)を出して渡す。
食べてるサンドイッチが1Dだったから。
少年は受け取るが早いが、すごい勢いで仲間とどこかへ消えていった。

食べ終わって、白人親子が喜捨していた老人に自分も小銭を渡してその場を離れた。

露店の店じまいの頃、広場に出向く。
「今日はお客だよ。サハラ沙漠用にサングラスを買うよ。」「あ、そう。好きなの取っていいよ。」
「じゃこれ。いくら?」「・・・20D!」
「いいよ。言い値で買う。」「冗談に決まってるだろ。お金は要らない。払ったら口もうきかない。」
数日間面倒を見てもらったお礼に買いたかったのに、結局代金は受け取ってくれなかった。
やっぱり九州男児だなぁ。

店をたたむのを手伝う。
彼は寝不足で早く帰りたいと言ってたのに「よければ食事付き合うよ。」と気を使ってくれる。
「いや大丈夫、さっき食べたし。」
ホテルへ送ってもらう途中、彼が2D(200円弱)をくれた。
「なにこれ?」
「夜おなかすくでしょ。これでサンドイッチくらい買えるから。」
ええっ。君は本当にアラブ人なのか?
たかられたりぼったくられたりはあるけど、彼らから施しを受けようとは(笑)
これだけは固辞して、受け取らない彼のポケットに無理やり押し込んだ。
「色々ありがとう」と、ホテルの前で別れた。
写真はベンチで食べたサンドイッチです。卵やツナ、チーズ、唐辛子ペーストなどを好みで挟んでもらいます。


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「アイシェさんの寄稿文」編 女一人チュニジアを行く9

2008年01月09日 08時54分18秒 | チュニジア

スース6
すでに1週間弱の滞在となってしまったけど、やっと祝日も終わって街も通常に戻ったみたい。
大きな迷路のような旧市街のメディナも大分歩き尽くした感がある。道も大体覚えてしまった。
たくさんの人に会ったなぁ。いい人も嫌なひとも(笑)

ホテルはのおとなりさんはサウジアラビアの衣装をきたおじさん、イギリス人の老紳士、
ドイツ人の一人旅の女性とめまぐるしく変わって行く。
今日は無口なアラブのおじさんだった。部屋の前で出会ったのでハローと挨拶したら、黙って部屋に入ってしまった。
きっと英語を話さないんだろうと思っていたら、すぐに部屋から祝日のお菓子を持ってきて黙って手渡してくれた。
アラブ語でありがとうと言うと、黙ってうなずいて部屋に戻っていった。
シブイなぁ。

街にでて露店の兄ちゃんに「ここを出て南に向かうよ。両替もお土産デパートでできたし。」と伝える。
「そう。お金は本当に大丈夫?もし足りなかったら貸すよ。一体今いくら持ってるの?」と厳しい顔で聞いてくる。
どうやら両替できないから金がないと思われていたのではなく、本当の貧乏ツーリストだと思われていたらしい(笑)
「夕べは朝の5時までビールを飲みまくって眠いよ。悪いけど今日は一人で夕飯食べてくれる?明日は大丈夫だから。」
「全然心配ないよ。でも明日はもうここにいないから。」

また帰りにお店に顔を見せる約束をして買い物に行く。
彼のお勧めのアラブCDを数枚購入。読めないけどアラブ語で書いてくれた紙を見せる。
これ以上は払っちゃだめだと2.5D(ディナール。250円弱)と1枚の値段も書いてくれていたので、お店の人はふっかけることもできず
むすっとしてお金を受け取る(笑)

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「アイシェさんの寄稿文」編 女一人チュニジアを行く8

2008年01月07日 08時53分33秒 | チュニジア

スース5
夜は露店の兄ちゃんがお店を閉めてから夕飯に連れて行ってくれた。
近所の食堂に入って注文。「何食べる?」「何でも!」
出てきたのはオドロオドロしい緑色のスープのようなお皿とケバブという焼肉のプレート。
「これ何?」「モロヘイヤだよ」
あー見た目ほうれん草みたいな葉っぱね。最近日本でも売られているのを見るね。
こんな風にスープ状にするんだ。お肉も入っている。
とてもネバネバしていて、パンに付けてたべる。
見た目の毒々しさとは反対においしい♪
兄ちゃんはとても線が細いのに、あまり食べない。
「細いんだからもっとたくさん食べないと。」「デブになりたくないんだよ」
ふーん。細い方がいいのかぁ。結局、二人で半分ほどを食べるのがやっとだった。

食べ終わると手を洗う。
食堂には必ず手を洗うための洗面台がある。この国では肉でも魚でも手で食べるのがおいしい。
お会計で財布を取り出すと、兄ちゃんはギロッとにらんで「何出してるの?君が払う必要はない」
といって払ってくれた。
「いやおごってもらう理由ないし。払うお金もあるよ。」
多分、昼間に祝日で銀行が閉まってて両替ができないから困ると私が言ったのを覚えていたに
違いない。
「もし払ったりしたらもう口きかないから。」
そこまで言われては、素直にご馳走になるしかないでしょ。
こういった国では仲良くなってもお会計はよろしくね、と金持ちツーリストが払って当たり前、
という雰囲気が常にあるので、これにはちょっと驚いた。
お茶はどこでも喜んでご馳走になるけど、外での食事はちょっと申し訳ないと思ってしまう。

彼には「チュニジアの九州男児」というキャッチフレーズを密かに付けた。

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「アイシェさんの寄稿文」 女一人チュニジアを行く7

2008年01月05日 08時50分49秒 | チュニジア

スース4

ホテルの隣の部屋はアルジェリアから来たというふとっちょのおじさん。

いつもデカパン一丁でウロウロしている(笑)

「コーヒー飲むかい?」といつもフレンドリー。

反対隣は国籍はわからないけど、もうちょっと若いアラブ人。

携帯が手放せないタイプらしい。

夕べも夜中から明け方まで元気いっぱいの声で話していた(苦)

昼間もテラスの階段に座ってしゃべっている。



スーク(迷路のような旧市街)に出ると、あちこちで爆竹が鳴る。

店も閉まっている所が多いのでのんびりと散歩しながら街並みの写真を撮っていたら

10m後ろで「バン!バン!バン!」

驚いて首をすくめると、若造達がしてやったりと笑う。絶対わざとだ。くそー。

その時、「お~い」と誰かが私の名前を呼ぶ。

振り返ると、道のずっと先で昨日の露店の兄ちゃんが店をだしていた。

写真を撮り終えて挨拶に行くと、座れ座れと椅子を2脚並べてお茶の出前をとってくれた。

「昼間は広場じゃなくてこっちに店をだしてるんだ」



チュニジアのお茶は、紅茶にミントを入れたミントティだけど、

日本で飲むミントティとは味が違う。

初めて飲んだけどおいしい♪

「断食が終わって今日から3日間の祝日が始まったから、あちこちで爆竹を鳴らしているんだよ」

そうだったのか。

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「アイシェさんの寄稿文」女一人チュニジアを行く6

2008年01月03日 08時43分47秒 | チュニジア

スース3
陽が落ちて、断食明けの食事の時間になると街はどこも店を閉めて
ゴーストタウンのように閑散とする。

あぁ、みんな家で、家族や仲間とワイワイ楽しく食べているんだろうなぁ。
来たばっかりだと、まだウチにいらっしゃいとも言われずつまらない。
ふと、昼間の人ごみと正反対のガランとした街を写真に撮ろうと思って広場に出た。

広場近くにサングラスと腕時計の露店。
こんな時まで働いているなんて!日本人じゃあるまいし。
通りすがりに店のお兄さんが話しかけてきた。お、英語話せるじゃないの。
とにかく、この国に来て以来、言葉が通じるというだけで嬉しくなってしまう。

まともに話相手になってくれるツーリストはめずらしい、と言って長話になった。
んー、この国の旅行者ってほとんどヨーロッパ人だからね。
白人ってなんであんなに上から目線なんだろ。いくら旧宗主国ったって。
日本人は偏見に鈍感な分、差別意識もあまりない気がする。
戦争未体験の自分世代にとっては。

腕時計は2.5~3Dで日本から、サングラスは2Dで中国から仕入れてそれを
5~10Dで売るんだそうだ。
厳しい商売だな。いつもお店の人と仲良くなると、大して売れてないのを見て
旅行者から少しでもボラないと食べていけないよなぁ、なんて思ってもう値切れなくなる。
アメリカってアラブ人にとっては最悪、って話をしてるところに白人ツーリストが通りかかった所で別れた。

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「アイシェさんの寄稿文」女一人チュニジアを行く5

2008年01月01日 08時57分11秒 | チュニジア

**ニース2*************************************************************************************
夕べの洗濯物を干してから、メディナへ。
ホテルから適当な方向に行ったら野菜や魚などのスークにでた。
今日はラマダン最終日。大晦日みたいなもの。
明日から数日間はお正月と同じ、祝日に入る。
ラマダン後の祝日に備えて、スークも大晦日のアメ横状態になっている。

とんでもない地元民の人出のエリアをなんとか抜け出し、観光客向けの土産屋エリアに出た。
こちらは閉まってる店もあり、観光客もあまりいなくて寂しいくらい。
ヒマなので、土産屋の英語の話せるお兄さんとしゃべる。
彼も明日からスファックスという街に帰って祝日を家族と過ごすんだそうだ。
今夜コーヒーを飲みに行かない?と言うのでインシャッラー(神の思し召しがあれば)って答えたら
「ノー!ちゃんと決めないとダメだよ」だって。

驚いた。モロッコでは何でもそれでよかったのに、まともに約束しようとするなんて。
そー言えば電車も時間通りだったもんね。
強引なお兄さんだけど底抜けに明るいので許してしまう。それに私の友達によく似てる(笑)
ここは近くの町から出稼ぎ?に来てる若者が多そうだ。



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