サントリーホールの珠響(たまゆら)の第二回 彩(いろ)を聴いて,観てきました。
若い人たちの和と洋の競演でした。
その道のプロという人たちは、腰のすわりが違うんですねぇ。
そして、歌舞伎のお囃子さんたちの腰の座りは、なんともはや力が抜けているのが、太鼓の腰の据わり方との好対照でした。
そして、それと同じくらい力の入っているのが、パーカッショニストのたしかみやもとさんという人。
堂々とした体躯は弁慶を連想させるような、和の雰囲気をまとったひとだった。
これが、マイク1本で、ピアノや太鼓とセッションをするのだから、おもしろい。
マイクで行うパーカッションといえば、ャbプスのズンチャッチャという音しか知らなかったので、驚いた。
この人のこと、もっと、調べてみよう。
林英哲一門の太鼓は、ちょっと音がビンビンと鳴りすぎて、底を支える力強さに欠けていたように思うのは、私の一方的な趣味の違いなのかなぁ。
ちょっと、お茶目だったのは、おもちゃのピアノとパーカッションの遊び。
やはり、圧巻は亀次郎さんの獅子。
首回しが、途中まで数えて、驚いて拍手したら、数がわからなくなったのだけど50回は回したと思う。
そして、その衣装をもう一つの舞台が終わって最後のフィナーレまではずさないで待っていたこと。首を回して、汗びっしょりかいて、重い衣装を着けてただ楽屋で待っているのは、並みの人では馬鹿らしくて、出来ないのではないかと思ったことでした。
そこに、和の堅苦しさとも、律儀さともいえる様式(?)が見えて、それが、好ましく思えるのは、年を重ねたせいなのか、見えてきたものがあるっていうことか。
若い人たちの和と洋の競演でした。
その道のプロという人たちは、腰のすわりが違うんですねぇ。
そして、歌舞伎のお囃子さんたちの腰の座りは、なんともはや力が抜けているのが、太鼓の腰の据わり方との好対照でした。
そして、それと同じくらい力の入っているのが、パーカッショニストのたしかみやもとさんという人。
堂々とした体躯は弁慶を連想させるような、和の雰囲気をまとったひとだった。
これが、マイク1本で、ピアノや太鼓とセッションをするのだから、おもしろい。
マイクで行うパーカッションといえば、ャbプスのズンチャッチャという音しか知らなかったので、驚いた。
この人のこと、もっと、調べてみよう。
林英哲一門の太鼓は、ちょっと音がビンビンと鳴りすぎて、底を支える力強さに欠けていたように思うのは、私の一方的な趣味の違いなのかなぁ。
ちょっと、お茶目だったのは、おもちゃのピアノとパーカッションの遊び。
やはり、圧巻は亀次郎さんの獅子。
首回しが、途中まで数えて、驚いて拍手したら、数がわからなくなったのだけど50回は回したと思う。
そして、その衣装をもう一つの舞台が終わって最後のフィナーレまではずさないで待っていたこと。首を回して、汗びっしょりかいて、重い衣装を着けてただ楽屋で待っているのは、並みの人では馬鹿らしくて、出来ないのではないかと思ったことでした。
そこに、和の堅苦しさとも、律儀さともいえる様式(?)が見えて、それが、好ましく思えるのは、年を重ねたせいなのか、見えてきたものがあるっていうことか。