東京芦孝会と他のグループと共同?(協賛?)で施設訪問をした方から、芦孝会幹事あてにご報告のメールを頂きました。
その中に、詩吟を聞いての様子が伝えてありました。
皆さん、耳を傾けて、資料を見てくれて、口ずさむ方もいました。
今回は15分の時間枠で、関吟:5人の独吟で出演しました。
伴奏も無しとしてみました。
これが意外に、反応として良かったです。
これはいままで、経験してなかった感じがあります。
SYKの方からも今回の独吟方式が良かったとの感想を受けました。
と言う項目があり、うれしくなりました。
年を重ねると、単一の情報のほうが、耳に入りやすいように思います。
母の介護で、経験したことですが、母は、晩年は耳が聞こえにくくなっていましたから、機械的な音は嫌っていました。
詩吟に伴奏をつけると、肉声と機会音とで、捉えにくい音になる可能性があります。
やはり、自然に肉体から発せられた声が、大いに訴えるものがあるということなのかなと思いました。
詩吟は、アカペラよね。と常々思っている私にとっては、非常にうれしい反応で、心躍る出来事を伝えてもらったと、ウキウキ気分。
私のたった一人の介護経験で、物を言ってはいけないのでしょうが、耳が遠いというのは、ただ聞こえにくいのではなく、耳鳴りがしたり、ある高さの音が聞こえないという様々な要素があり、ボリュームを上げれば聞こえるという単純なものではないようなのです。
人のぬくもりと、その人の声の響きと表情とが、十分に聞こえなくても何か訴えるものを感じてくれるはずです。
舞台となると一方的に、発表してしまいがちですが、双方向でのやり取りが生まれそうな今回の訪問は、大きな意味があったと思いました。
次は、是非参加したいのですが、家族のことが一段落したらにしましょう。
何かが一つ心が動くと、いろんなアイディアが飛び出してきて、亦、収拾が付かなくなりそう。
そういえば、ウランバートルで、青年海外協力隊の隊員が行っていた孤児院訪問を思い出しました。
私たち、シニアの随伴家族や、シニア本人も誘っていただいて、珍道中を繰り広げていたんだわ。
何で、忘れていたのだろう。
この日記の、前のほうに出ているよね。単純に楽しんできたと思う。
隊員の幼児教育の専門の若者は、いろいろと深いところまで思いをめぐらせていたかもしれないのですが、私は、私自身が子どもたちと、我を忘れて楽しんだと思う。
よいところに、連れて行って貰ったものだ。時々は、思い出さねば。忘れようともがいていた頃は、もうとっくになくなったんだ。
その中に、詩吟を聞いての様子が伝えてありました。
皆さん、耳を傾けて、資料を見てくれて、口ずさむ方もいました。
今回は15分の時間枠で、関吟:5人の独吟で出演しました。
伴奏も無しとしてみました。
これが意外に、反応として良かったです。
これはいままで、経験してなかった感じがあります。
SYKの方からも今回の独吟方式が良かったとの感想を受けました。
と言う項目があり、うれしくなりました。
年を重ねると、単一の情報のほうが、耳に入りやすいように思います。
母の介護で、経験したことですが、母は、晩年は耳が聞こえにくくなっていましたから、機械的な音は嫌っていました。
詩吟に伴奏をつけると、肉声と機会音とで、捉えにくい音になる可能性があります。
やはり、自然に肉体から発せられた声が、大いに訴えるものがあるということなのかなと思いました。
詩吟は、アカペラよね。と常々思っている私にとっては、非常にうれしい反応で、心躍る出来事を伝えてもらったと、ウキウキ気分。
私のたった一人の介護経験で、物を言ってはいけないのでしょうが、耳が遠いというのは、ただ聞こえにくいのではなく、耳鳴りがしたり、ある高さの音が聞こえないという様々な要素があり、ボリュームを上げれば聞こえるという単純なものではないようなのです。
人のぬくもりと、その人の声の響きと表情とが、十分に聞こえなくても何か訴えるものを感じてくれるはずです。
舞台となると一方的に、発表してしまいがちですが、双方向でのやり取りが生まれそうな今回の訪問は、大きな意味があったと思いました。
次は、是非参加したいのですが、家族のことが一段落したらにしましょう。
何かが一つ心が動くと、いろんなアイディアが飛び出してきて、亦、収拾が付かなくなりそう。
そういえば、ウランバートルで、青年海外協力隊の隊員が行っていた孤児院訪問を思い出しました。
私たち、シニアの随伴家族や、シニア本人も誘っていただいて、珍道中を繰り広げていたんだわ。
何で、忘れていたのだろう。
この日記の、前のほうに出ているよね。単純に楽しんできたと思う。
隊員の幼児教育の専門の若者は、いろいろと深いところまで思いをめぐらせていたかもしれないのですが、私は、私自身が子どもたちと、我を忘れて楽しんだと思う。
よいところに、連れて行って貰ったものだ。時々は、思い出さねば。忘れようともがいていた頃は、もうとっくになくなったんだ。