風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

平成二十五年関吟初吟交流会

2013年02月12日 | 詩吟
毎年恒例の、関吟哲皚会小金原支部と東京芦孝会との合同初吟会が行われました。

            小金原支部 鈴木 恭皚先生


松戸市小金原市民センターはおなじみの開場。小金原支部の鈴木先生の薫陶のもと毎年、心のこもった開場作り、運営で、楽しみに参加する会員も多いのです。

50人ほどの出場者なので、詩吟の発表は,10時に始まって12時半ごろにはおわります。
そして、恒例の懇親会へとプログラムが移っていきます。
このくらいの時間で行われるのが、一番疲れなくてじっくり聞けるというもの。
そして、懇親会も時間がたっぷり有るので、心から楽しむことが出来たのでした。

会が大きくなって100人に近い練成会となると、吟を聞くだけでお互いに疲れてしまうなぁと思うのは、不謹慎なのかしら。

大きくなればなったで、よいことや悩みが様々に起こるものなのです。

さて、今日の初吟交流会は、モンゴルから帰ってから、参加するようになりました。
その前は、連合になってなかったし、よその会の新年会と私自身はとらえていましたから、野田先生はじめ幹事のめんめんと、お好きな方が出吟すればよいと考えていました。

そんな、思いを持ちつつ、ブランクの後なぜか、出吟しようと思ったのは、何故だったのか忘れてしまったのですが、しっかり認識しているのは、浅はかに軽い気持ちで壇上に上がったから、罰が下ったのだと思うのです。

それまでは、壇上で例えあがったとしても、ミスを犯すことはなかったのですが、初めての小金原の会で、頭が真っ白になってしまいました。

それから、ことごとく、はっぴょうでは、自分を失うというトラウマに取り付かれてしまったのでした。

それは、やはり自分の詩吟への思いがブランクの間に希薄になり、責任感もなくただプログラムをこなすだけの出吟であったから、それ以前の練習もそれなりに意識の低いものであったことで、起こったことで、アクシデントではなく、正しい結果であったと思うのです。

それが、昨日参加して、自分に納得の出来る吟が出来たことで、トラウマから逃れられたような気がして、うれしかったのです。

私の納得の出来る吟とは、きちんと練習をして、気が充実していた吟、自分の課題にちゃんと取り組んできてそれなりの及第点を得られたことで、出来上がった吟なのかなと、思うのでした。

そして、自分なりの課題を冷静にその結果から読み取って、前向きに進める吟が出来たことかな?

そして、懇親会では、せっかくの舞台のある会場だから、その舞台をお借りして、詩吟の練習ができるという、懇親会とはいえ、詩吟色があせないどころか色濃くなるのが、この会の特色です。

おかげで、6月に連合吟のコンクールに出ることとなった吟の練習をさせてもらったのです。
あれほど、逃げ回っていたコンクールですが、強力にプッシュする同胞が居て登録するに至ったのです。
コンクールに出場するくらいの意味合いがないと、まじめに合吟をする機会はないので、是非、合吟のうまみを知って欲しいと思う人も居ることで、決心が固まりました。
パートナー二人は、すでに合吟の他流との練習でしっかりしごかれた経験がありますから、もしかしたら、私の出番はないかもしれませんが。

学生の頃は、合吟、連合吟が当たり前でしたが、その、心地よさをまた、味わいたいと思います。
様々な人が集まって一つのハーモニーを作り出すうまみは、大人になると、忙しいスケジュールを縫ってメンバーが集まり、頭を寄せ合って作り上げる作業は、ただの楽しみでは出来なくなったのです。
それなら、コンクールという目標のもとに合吟の練習をやったら、どれほどのものが出来るか楽しみです。

これは3人ですから、ちょっと手を加えてあげないと、桜花の詞の二人の合吟とはまた違った手の入れ方が必要となります。
かなっくが終わったら、本格的に練習をせねばなりませんが、その、さきがけとして、まだ打ち合わせも出来てない三人の連合吟の声合わせをさせてもらい、ある程度の手ごたえが得られました。

それぞれ意見があって、紛糾する場面もあるくらいの練習が出来るだろうか。出来たら言いなぁ。
これが、大きな二つの収穫のあった今日一日でした。




大きな手ごたえがあったあと、カラオケへとしけこみました。
連日の会合で、お疲れのところを、カラオケにと流れていったのは、かなっくでは、マイクは手に持つ事になると聞いて、大いに不安を訴えて、カラオケに行って練習しないとと、叫んだことによるのかもしれないなぁ。

まぁ、それは、自意識過剰のお勝手なのですが、こんなことを思う私は、本当に、お気楽な私だこと。

ハンドマイクで詩吟ねぇ。
300人収容の大舞台で、吟じるとなると、ハンドマイクなど持ったら、震えるのが見えるではないか。
それより、いつも前に手をそろえて吟じているスタイルから、手にマイクを持つスタイルは、どう思ってみても違和感がある。
慣れていかなければならないことが、ほんとうに多いこと。

私は、二つの大きな収穫を手に、初めて、次から次へと、人の選んだ歌でも歌えるのは歌ってしまうほど、のりのり。
こんなこと初めてだなぁ。

最近,発声を工夫するうちに、演歌などが歌えるようになってきて、レパートリーが増えたものだから、人にどうぞどうぞとゆずり、聞いているのが楽しいと嘯いていた私は、何処かへ行ってしまった。

私にとっては、羽目をはずしたと思うことも、カラオケ好きには、普通のようだ。
次の世界への扉を開けてしまったのか?
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