風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

論語育成講座 5月

2014年05月01日 | 論語と
久しぶりに落ち着いた気分で論語に参加。
早めに着いたので、資料を配るお手伝いもできたし、じたばたと時間にやっと間に合うのでは、先生の言葉もそうでなくても上の空になってしまうのに、今日は、ゆっくりと滑らかに入ってくる。

これは、須藤先生に慣れてきたということもあるのだろう。

教科書を見ると、書き込みからすでに講話を聞いていたはずというのを知り、人に語ることはできなくても、自分の中に少しずつ積もってきているような気がする。
これが重なれば、何かが残ってくるのだろう。

そして、その時の先生の思いが少しずつわかってきている気がする。

詩吟も耳慣れないメロディーに、なかなか覚えられないのだが、繰り返しているうちに、何んとなく口ずさめるようになり、だんだんに自分のものになっていくのと似ている。

まず、新しいものを増やすのではなく、繰り返すのが良い。
その時には、小難しく考えないで、素直に入ってくるものを受け入れていればよい。

今日のサブテーマは、「木鶏」

千代の山が、最後の負けた時、そして、白鵬が最近負けた時、「木鶏」に至らずと言った。
白鵬がこよなく日本を愛し学んでいることに思い至る。

そして、今日、少し理解が進んだと思えた言葉は、「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。」

知ったかぶりをするのではないぞということと思っていたのですが、そうではなく、理解が進んでいるうちはよいが、理解が届かなくなった時、いずれわかるときが来ると保留にしないで、わからないことをはっきりと認識すること。
そこから、またさらに先へと理解が進んでいくのだよ。ということと、今日の私は、そう理解したのでした。

また違った日に、違った心持の時に、同じ須藤先生からとみ解いていただいたら、また、違った観点で、心が動くことでしょう。

今までは、ノートを見ても、先生の言葉を聞いているときは、なんとなくわかった気分になっていたのですが、ノートを見返したとき「あれ?なんだっけ」状態だったのが、たった一つでも、こうして書く言葉を持てたのは、大進歩だと思う。













    ☆ 「荘子」より木鶏(もくけい あるいは ぼくけい)☆

闘鶏を飼う名人の紀渻子は、王のために闘鶏を飼う。
十日にして、そろそろ戦わせてはと。
未だ、敵も見えていないのに、気の立つところがある。
十日にしてまた問う。
未だなり、相手の影が見えただけで、応戦しようとします。
十日にしてまた問う。
未だなり、相手に向かうところが強すぎて、己の気を蔵するに至りません。
十日にしてまた問う。
未だなり、他の鶏が鳴こうとも、少しも動かされところがありません。
一見すると木鶏のようである。
その徳は、完全なものになり、どんな鶏も相手にならず、逃げだすでしょう、と。




さて、須藤先生から、ご案内。

宇都宮木鶏クラブ主催 須藤明実講演会のお誘い

日時  平成26年5月3日 (土)14時30分 ~ 16時30分
場所  足利市駅前 ニューミヤコホテル
テーマ 『論語』に学ぶ、その基礎と姿勢
参加費 クラブ会員に準じて、3千円。

木鶏クラブは、致知出版社より出版されている月刊誌『致知』をもとに、人間学を学びあいたかめていくという目的を持ったクラブだ。北海道から沖縄、オセアニアやロサンゼルスにも、詩舞があり、活動している。

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