風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会7月中央会

2014年07月27日 | 詩吟
関西吟詩機関紙「吟詩日本」平成26年夏季号(通巻166号)が、届きました。

長く吟詩日本を購読していますが、発刊を心待ちにしたのは、今回が初めて。
一念発起して、あれほど苦手意識を持っていた漢詩だったのだけれど、漢詩の投稿をいたしました。それが、今日機関紙に掲載されるのです。

さっそく、受け取ると「添削委員会選 「読者の作品」のコーナーに目を滑らせていく。
わぁ、掲載されてるぅ。
添削委員会のどなたかに添削していただいて、とても美人になった初めて作った漢詩です。

苦手意識を長年持っていた私が、作詞なんてねぇ。自分が一番驚いている。

まさに今日が秋の15周年(東京芦孝会創立15周年記念錬成大会)のエントリーの締め切りです。その日に間に合ったのも何かのご縁でしょう。この、詩を指導者吟で、吟詠させていただくことにしました。
詩作がたくさんあれば、秋には秋の詩を吟詠できるのですが、何しろ、唯一無二の出来上がったばかりの自作の詩が夏のもので、秋の練成会には、季節外れとなりますが、我慢することにいたしましょう。

自作の詩を吟じることは、どれだけ気をいれられるか、聞かせていただきましょうとは、野田 芦孝先生のおことば。
優しいようで、厳しい先生のお言葉でした。
初めての詩作と言うだけでは、喜んでいただけないようです。

いきなり、ハードルを上げられてしまったのは、私が、有頂天になっていたからでしょうね。
少しの間、有頂天にさせてくださればよいのにねぇ。





 

この会から、指導者吟には、自作の詩もよかろうという意見が入れられて、それが、私の第一作目の詩が出来上がったところだというのも、何かの縁でしょう。

私の詩も行書体の活字で、掲載されると、なにやら立派に見えるのが、不思議。
行書体なんて、昔は、普通には選べなかったのだけど、PCから繰り出されるテクニックも多彩になったものだなぁ。

さて、吟詩日本をもってにんまりしているのは、私だけで、周りでは、15周年の大会に向けて、申し込みの作業が続いていました。

練習も連合吟のコンクールの初めての実施に合わせて、律詩の講習と発表は三人のコンクール方式でなされました。

連合吟大好きな私は、うれしい、うれしい。

そして、会のあとの幹事会では、記念品が決まり、夢青葉で検討した透明マグネットが採用された。
さて、これから、業者との契約など仕上げをせねば。

そして、幹事になっていない指導者さんたちも参加して、プログラム作り。

無事終わって、入力はいつもの5人から、野田 芦孝先生に降りていただいて、4人で担当してくださる。
何もかも、手作りの、幹事団の手弁当作業である。

貧乏所帯をあえて貫いている東京芦孝会は、外注に出すのはあり得ないことで、何でも、幹事団が仕事の合間を縫って、手作業にいそしまねばなりません。

PCへの打ち込みは大変です。詩吟の吟題、雅号での名前の打ち込み、すべて、テキスト通りに行われますから、難しい字をIMEパットの手書きで呼び出しての作業は、普通の字の打ち込みの何倍かかかることでしょう。前回で、辞書登録をなさったことでしょうから、今回は、ずいぶん楽になったことでしょうが。...。

作業を傍観している私には、楽になったでしょうなんて言ってはいけないですね。

ほんとうに、ご苦労様です!


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松風の写真に代えては

2014年07月27日 | 詩吟
夢青葉の写真に代えてのロゴ形式のものは、今日の関西吟詩文化協会ニュースに掲載されました。
紙面が、モノクロの図形が入ることで、引き締まった感があります。
どなたも、紙面を見て褒めてくださらなかったけどね。
今日は、それどころではない一日だったから、しかたないかな。

さて、二か月後の松風には、青葉と同じくモノクロのロゴ風のものを二番煎じにならなくて、同じような雰囲気で、見劣りも見勝りもしないようにと考えました。




さて、目論見はひょうげんされたか?
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