風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
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興味を持って尋ねる

2017年05月19日 | 体を整える
「此の処、体調が良いような気がする。どこがどう、とは説明はできないのですけれど。。。」と、山田先生にお伝えすると、季節が夏に向かって動き出しているとき、不調を訴える人が多いのに、体調が良いとは素晴らしいと、言って頂きました。


前回やむを得ずお休みだったので、さぼりがちだった整体体操をせっせと行ったこと(体)の成果なのか、あることで、先生に私の整体へのかかわり方がとても良いと認めてくださったこと(心)からなのか、確かにはわからないのです。
気持ちと体が軽いのです。

そのほかにも、ちょっと考えることがあって、そのことの解決を得たからかもしれません。
心と体は、自然体でいるとよく回り、感受性が高まるのだそうです。

悩みかけた時に、ふと、目に入ったものに、大いに興味をそそられることがあります。
それは、悩みから抜け出るためだけで手に取ったのか、それとも、それが、答えだったのか。
楽になりたいがゆえに目をそらしただけだったのかと考えてしまうことがあります。

そんな時に、言ってもらう言葉は、「手放して、選ぶ。」「お義姉さんは、選んだんですよ。」と。

その義弟は、お寺さんの修業をした人なので、たまに会うときには、天気の話は、すっとばして、いきなり、お互いに少し深い話をすることがあるのです。

義妹曰く、「お姉さんは、彼のたった一人の檀家さんだからねぇ。」と言う。
なるほど、そうですねぇ。
信者ではなく、「檀家さん」という表現がとても気に入っています。

赤玉の鳥井さんが、高僧から示唆を受けたように、私は、この義弟から気が付くと、肝心な時に、ヒントや答えをもらっています。

そして、山田先生からは、体の調整を受けながら、良い循環を得た時に、良い気づきが自然に生まれています。

お二人とも、私から、問いかけをしない限り、あちらからは、何かを言ってくることはない。
誘導もなさらない。

私も、このお二人のように、何かを言ってこなければ、言葉を発しないという修業を、始めたほうが良いなぁと、気づきました。

聞きたいと思わねば、耳にさえ届かない。
おたずねしたいと思うからこそ、拙い言葉も届くのだということが、やっと、わかってきました。

それには、私自身の覚悟として、「わかりません」ということを、素直にキチンといえることも大事だと、思います。

体を整えると、心も整ってくる。
心は整えにくいけれど、体は、とても正直に反応し、まっすぐに答えをくれる気がします。

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