ゲストなのだけれど、助っ人家業といった参加の仕方にも、慣れっこになり、幾月経たのかな。
会員さんたちとも、コミュニケーションが取れてきて、それぞれの、様子がわかってくると、面白いように、言葉が、はまって、受け入れられてくる。
しかし、同じことを言うと、はっきりと白けた空気が流れて、「もう聞いた」と顔に書いてある。
でもねぇ。聴いてほしいから、言ってるのよ。
今の、柔らかい感受性のうちに、なるべくたくさんのことを受け取ってほしい。
毎回毎回新しいことを言うほど、まだ吸収力が備わっていないのだからと、思うのは、上から目線だろうか。
伝えるにも、ちょっと頭をひねる必要がある。
しかし、言葉を重ねれば重ねるほど、ここまで、言っていいのかなぁと一瞬頭をよぎる。
あくまでも、私は、親ではなく、保育士。
親になったつもりは、いろいろと問題が起こるでしょう。
どこまで、手を出して良いのやら。
お願いしますと言われる限りにおいては、私の、思い通りに進めてよいのだろうか。
愛着が執着に変わらないように、速度を緩めなくては。
そうしないと、「こんなにして教えても、所詮、手がらは、親師範」と、ひねくれることになるから。
手がらが欲しくないと言ったら、嘘になる。
「よちよち歩きの幼児が、階段をおちそうになったら、誰でも手を延ばし手助けるでしょう?」
その程度のうちに、納めなければ、きっと、手がらが欲しくなるだろうねぇ。
納めるということだけれど、助っ人を頼まれた人にであって、幼児に手を貸すのを納めたいのではない。
まだまだ、これからたくさんのことを学ばねばならない人には、いくらでも手を貸したい。
「執着しないで、できる限り」をするには、どうすればいい?
会員さんたちとも、コミュニケーションが取れてきて、それぞれの、様子がわかってくると、面白いように、言葉が、はまって、受け入れられてくる。
しかし、同じことを言うと、はっきりと白けた空気が流れて、「もう聞いた」と顔に書いてある。
でもねぇ。聴いてほしいから、言ってるのよ。
今の、柔らかい感受性のうちに、なるべくたくさんのことを受け取ってほしい。
毎回毎回新しいことを言うほど、まだ吸収力が備わっていないのだからと、思うのは、上から目線だろうか。
伝えるにも、ちょっと頭をひねる必要がある。
しかし、言葉を重ねれば重ねるほど、ここまで、言っていいのかなぁと一瞬頭をよぎる。
あくまでも、私は、親ではなく、保育士。
親になったつもりは、いろいろと問題が起こるでしょう。
どこまで、手を出して良いのやら。
お願いしますと言われる限りにおいては、私の、思い通りに進めてよいのだろうか。
愛着が執着に変わらないように、速度を緩めなくては。
そうしないと、「こんなにして教えても、所詮、手がらは、親師範」と、ひねくれることになるから。
手がらが欲しくないと言ったら、嘘になる。
「よちよち歩きの幼児が、階段をおちそうになったら、誰でも手を延ばし手助けるでしょう?」
その程度のうちに、納めなければ、きっと、手がらが欲しくなるだろうねぇ。
納めるということだけれど、助っ人を頼まれた人にであって、幼児に手を貸すのを納めたいのではない。
まだまだ、これからたくさんのことを学ばねばならない人には、いくらでも手を貸したい。
「執着しないで、できる限り」をするには、どうすればいい?