風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

せっかくのチャンスを 2

2019年05月26日 | 詩吟
そう、この七人には、はじめから、私は入っていません。
冷静に、合吟を聞いて、良いものに仕上げるには、コーチで居たいと思いました。
吟道大学で、学んできたことを、伝えたい気持ちもありました。
それは、不遜だったのでしょう。

吟にかかわる様々な運営は、出演者が裏方も兼ねて運営されます。
コンクールも、予選などは、出場者が様々な役をこなします。
そのストレスを、経て、力強く、大きくなるんですねぇ。

裏方は、出場しない人がやればよいのにと思う私は、甘ちゃんですか。

それが、出来なければ、出るに能わずとはいわないまでも、暗黙の了解なのか、当たり前のことなのか。

20周年では、私は、伴吟として、「富士山」の独吟の出番があります。
それで舞台に上がるのが、精一杯十分です。

もうそれ以上は、ゆとりがない。
ただ、私は、吟詠のプロデュースやコーチは、チームにいたのでは、十分にできないと考えました。

プロデュースにかかわるなら、出演者たり得ない。

それは、間違っていますか。

とは言え、コーチとしても、プロデュースとしても、誰にも認められていない私が、意見を言うのは、誰しもが、反旗をあげたことを予想するのだねぇ。

何を当たり前のことをと、いわれるね。

「花月吟」の出演者であるとリストアップされたことで、最初から、下ろしてほしいとお願いしているくらいだから、それは、「物申さず」であるべきなんだろう。

共に、吟詠をして、そして、意見を言い合うのが美しいのだね。「仲間」ということか。

もし、どうしても八人目が必要なら、出るべき人がいると思う。
吟力は、落ちるが、積極的に取り組む姿勢が清々しい人だから。是非、そうしてほしい。
あ、これも、言う資格なしか。

反旗を魔キなど、有り得なく、どうしたら女子チームが活かせるかに、一生懸命なだけ。
それが平和なところでは、凶器たりえるということか。

もうそろそろ、冷静に周到にことを図るという技を身につけなさいということの学びでありました。

周りの方たちは、そのようなことができる方たちばかりなのに、学んでないなぁ。

あわてるようじゃぁ、物を言う資格なし。

顔を洗って出直しておいで。

こんな時、父の写真を見る。
明治生まれの頑固じじぃだったけれど、私が生まれたのは、50歳。
溺愛され、父の膝の中で育ったようなものだったらしい。
陽だまりの縁側 ここは、倉敷だ。父60才くらい。



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せっかくのチャンスを

2019年05月26日 | 詩吟
あぁ、なんて馬鹿なことを!
ここ数か月温めてきた、女性連合吟のプレゼンのチャンスだったのに。
何で、あの時、自分のことを先に言ってしまって、場の雰囲気を悪くして、その上、出演の女性たちにも、つまらないことをして恥をかかせてしまった。


欠席の三人に代わって、立って頂く人員もいたので、まず、七人の勢揃いをすればよかった。

声の調子の悪い方も居たので、八本が無理なら、素読だけでもよかったのに。

それをしないで、六本に落としての合吟をやってしまったから。

構成吟をしめくくるトリの吟詠だから、女性の華やかさとチームワークの良さをあらわしながら、後半に向かって盛り上がる演出は、吟詠をしなくても、イメージだけでも膨らませて戴けたのに。

なんてお粗末。なんて、無礼な。思いだしても、自分自身に腹が立つ。

その上、意図したこととは、逆の受け取り方をされてしまって。

どうしてこうなんだ!


先月の、別の場所での出来事は、私が逆の立場だったけれど、そこで、腹を立てるだけに終わらないで、学ぶことをしていたら、今日のようなことは、起こらなかった。

少なくとも、2か月前にこのような形でやりませんかと、投げかけた時に好意的に受け取ってくださったN先生に対して、本当に申し訳ないことでした。

それでも、まだ気が付かなくて、何もできなかった自分を恥じるどころか、腹を立てて、幹事長に物申したりして。

この吟詠は東京芦孝会の20周年の構成吟の最後を飾るもので、会長の書道と女性八人の生け花とで構成される趣向吟です。

たとえ会長の書道があっても、詩吟の会なのだから、吟詠が主役です。
その吟詠「花月吟」は、将来への発展をイメージできるものにしなくてはいけません。
そして、女性のあでやかさの中に、芯の強さを、魅せねばなりません。

顔ぶれは、今や、芦孝会を背負って立つ方たちばかり。コンクールに積極的に参加するだけではなく、好成績を収めて、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの方たちばかり。

その力をいかんなく発揮して、将来へ羽ばたいて行くイメージをさらに膨らませるような構成にして、しなやかな強さを持つ吟詠でありたいと思いました。

一節ずつの連吟は、大人になったらまずやらない手法ですが、敢えて、勢いとチームワークを養うために、試みました。

出だしは、I先生。
和歌には定評があり、しなやかな吟詠をなさいます。
芦孝会の顔となるべき人材です。
いつもは、低い方ですが、出だしのこの部分でしたら、大丈夫でしょう。
私は、声が低いからと辞退されるかもしれませんが、それはあり得ません。
出ないで良いことはありませんから。

次の二節目は、ナレーターに変更になった方のあとを勤める方が入りましたが、八本の方です。
願ったり叶ったり。
声の質や、音量を考えながら、それぞれの聯の初めは特徴を出すようにとしました。

顎聯の一節目は、芦孝会花形のN先生。あでやかにやっていただきましょう。
続く二節は、9本のお姉さま、低音部分が、この処良く出るようになってきたので、きっと、嫌がることでしょうが、華やかに決めてもらいましょう。
三節目は、若手のホープ。
頸聯の一節目は、二人目の若手のホープ。この二人の順番には、頭を悩ませました。
N先生の助言を入れて、Oさんに。
そして、この二人が頸聯の二節目の合吟へと続きます。三節目は、首聯の二節、三節を吟じた二人の合吟。

さてこれで、クライマックスへの助走がおわり、尾聯の一節目は、四人で、二節目はそれに二人が加わり、吟詠の最終節には、出だしのI先生が、加わって、引き締めてくださることでしょう。


せっかくの構成を、その思いも、その予定の姿も、まったく伝えられなくて、不快感だけを残してしまった中央会の練習でした。

だれに頼まれたわけではなく、始めたことですから、自分の抱いているイメージを伝えようと思ったら、「数か月前から、温めてきたことですから、お聞きいただけますか?」から始まって、少々時間をかけても、聞く耳を持って頂いてから始めるべきでした。

そして、新しくメンバーになってくださった方には、まず、ウエルカムをせねば。
とてもうれしかったのに。全然伝わってない。

必要な手順を踏まず、いきなりでは、殴り込みをかけたのと同じで、たたき落とされるよねぇ。

こんな状況で、「あなたの考えることだからさぞすばらしいでしょう」と迎えてくれるとでも思ったのだろうか。

それにしても、あの場面で、頭が真っ白になっていては、七人を率いる資格はない。

大事に育てた、この思いは、生まれずして、死んでしまうのだろうか。

一つとして、良いものが、伝えられなかったのだから、生きかえることもないだろう。

奇しくも、同じ吟題で、連合吟コンクールに出場するメンバー三人が、この構成吟のメンバーでもあります。

それが決まった2か月以上前に、インスピレーションを得ました。
この三人が、とても熱心にコンクール出場に向かって練習を始めたので、これは、骨組みになってくれると、思いました。

この、しっかり練習したという人が三人もいれば、なかなか、練習に顔を出せない人が居ても、巻き込んで、くれるだろう。
コンクールのチームリーダーが、コンクール後には、構成吟のチームリーダーとなって、けん引してくれるだろう。

そう期待していたのだけれどなぁ。。。

プレゼン失敗は、大きな可能性をつぶしてしまった。

馬鹿だなぁ。。。。。

中身を見ていただかないままに、トラッシュ缶行きなんて、最悪。

それ以上に悪いのは、気分を害する人がたくさんいたということだ。
修復できるだろうか。

あぁ、情けない。



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