破格の笑顔を見ることが出来ました。
なんて嬉しいのでしょう。
試行錯誤の末、やっと、ご自分で結論を出しました。
その吟詠方針で詠った吟を聞かせてもらいました。
安定したとても素晴らしい吟詠に、皆拍手でした。
これまで、音程を外すという命題に考えられる限りの可能性を試しました。
数か月前、解決したかに見えたのですが、それは、続けるにはかなり無理が
あり、却下となりました。
今までをご破算にして、また、考え直す。
箏アーティスト LEOさんが、題名のない音楽会の中でおっしゃいました。
「声に楽器の音程をあわせてきたのです。」
いまは、どうだろう?
詩吟を習っていくうちに、調子笛、コンダクター、伴奏CDと便利グッズが増えました。
それで、なかなか覚えにくかった人が、家での練習も可能にしました。
やり易くなってきました。
声を道具に合わせることによって成り立ち、何の不思議もなく今まで来ました。
三枝綾子さんに聴いたオルティンドーの歌手の音程のエピソード、そして、
最近のLEOさんの話とで、主体がどっちにあるのかなと、気がつきました。
楽器の音程に難なく合わせられる人は、良いのですが、合わせ難い人にとって
楽器は敵になります。
道具の音程に合わせねばならないために、詩吟教室に通いながら、悩みを抱え
楽しめないのは、本末転倒。
結局、今日、Mさんが自分で出した結論は、「もう1本音程を下げる。」
そんな提案をしたときもあったのに、その時は、気持ちにしっくりこなくて
却下された時もありました。
そして、一回り悩んで、音程を下げる。
全くのアカペラで詠うのは、無理があるので、やはりコンダクターは必要
なのです。
ここにも螺旋を描いて、上に向かうことが起こりました。
あれこれと試行錯誤で、まじめに取り組んだMさんは、素晴らしい。
次回も、安定した吟詠ができることを信じて。
手をたたきましょう。
その日、箏ア―ティストLEOさんは、黒いロングジャケットに「十十無尽」
「MEMENTOMORI」と白く染め抜いて、さりげなく羽織って演奏しました。
異ジャンルとのコラボが、奇をてらった風には、聞こえません。
まして、演奏スタイルもパワフルな演奏であっても静かなたたずまいに終始しています。
「型やぶり」な演奏であって「形なし」ではないと自らも言っています。
相田みつをのヘタウマな文字が人の心を打つのは、まるで印刷なのかと
見まごうほどの乱れのない般若心経を書く手法があってのこと。
若いLEOさんが、「型」の話を自然に出してくるのは、箏の奏者として
才能もさることながら相当な訓練を積んでこられたことに思いを致します。
「型」破りな表現をするには、先ず「型」に身をはめなくちゃ始まらない。