風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

花ちゃん

2006年04月21日 | UBから
日本に留学中の花ちゃんが、1週間だけ里帰りしていました。
昨夜遅くご両親の住む田舎からUB に到着し、夕方には用事が終わるのでやっと会うことが出来ました。

花ちゃんに気を使わせてはいけないと思って、我が家ではなく近くのさくらベーカリーで会うことにしました。

モンゴルから、日本に行って約1年ですが、ちっとも変わらない花ちゃんでした。
新しい生活にもなじみ、モンゴルでは出来ないスイミングを始めたと聞きました。
大きな変化が身の回りにおき、いろんな刺激を受けていても変わらないのは、さすが花ちゃんと思いました。

ちょっとだけ変わったのは、猫背が直って姿勢がよくなったことです。
猫背の矯正もあってスイミングを選んだとのこと正解でしたね。

寮での生活、肉事情、大阪のおいしいものの話、たこ焼き大好きな話、タイガースの話、大阪場所を見に行った話、周りがみんな白鳳を応援するので、かわいそうになって思わず一度だけ「朝青龍!」と叫んだとか。
テレビのバラエティーに、はまってきたこと、モンゴル人と日本人の笑うところが違っている。けれど、長く日本に居ると同化するのか、その差がなくなってくること。
大阪弁がやっと聞き取れるようになり、貴方は東京から来たのかと尋ねられるとうれしいとか。
最近、モンゴル人の作るモンゴル料理屋さんが出来たので、うれしい。
今までは、内モンゴル人の料理屋さんだったので、かなり中国っぽくて嫌だったそうです。

話は尽きないのですが、明日は7時の便で日本に飛び立つそうです。
お土産を買わなくては国立デパートがしまってしまうと言って、予想より早めに帰っていきました。
ちなみに、お土産はモンゴルのハム。日本のハムは味が薄いそうです。
私は、UBで味の薄いハムを探してますが。。。

無性に会いたかった花ちゃんにやっと会えて、ほんとに良かった。
うれしかった。

オルティンドーを習っていたときも、わたしが気が付いていないところで、目配り気配りをしてくれていたことが、今日の思い出話のおしゃべりの中の言葉の端々で気がつきました。
ほんとに無我夢中だった私を知らないうちに育て、見守っていてくれたことがさらに分かりました。

そんな花ちゃんに何がしてあげられるのか。
優秀なお友達を伴って私に紹介した上で、風のようにさわやかに去っていった花ちゃんでした。

ほんとにありがとう花ちゃん! 



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送別会

2006年04月21日 | チンゲル亭裏日記

5月に日本へ帰ってしまう甲斐ちゃんママの私的送別会を昨日、我が家で行ないました。
2002年に夫といっしょにUBに来たお仲間が現在夫を入れて4人居ます。
その4人と私、甲斐ちゃんママとその親友さんと私の友人の伸子さんの8人です。

伸子さんには、食事の支度から手伝ってもらって、大いに助かりました。
大人ばかりなので、少ない量で品数を一品でも多くと考えたら、ちょっと作りすぎて、明日のお昼ご飯の分が残りました。
助かったと思いました。

どうしても、シュウマイが食べたくて、頂いた春巻きの皮で挑戦。
蒸した春巻きは、さっぱり味でおいしいのですが、皮が溶けてしまって形になりませんでした。
それで、やっぱり春巻きの皮は、揚げるに限ると揚げシュウマイにしました。
これは、見かけは悪いけれど、グーでした。
たかが皮、されど皮でした。

こんどはちゃんと小麦粉からシュウマイの皮をつくろうねと、助けてくれた伸子さんといったことでした。(^_^.)

さて、甲斐ちゃんはどうなるやら。。。
帰国前の荷造りの時には、お預かりになるかも。
ママはこんどの部屋もフローリングだから安心と言って帰っていきましたから。。。
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モンゴル教育大学日本語祭り

2006年04月20日 | ことば
20日(前日


         21日本番








     楽しい一時をありがとう


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モンゴル初体験から3年経った

2006年04月19日 | チンゲル亭裏日記

3年前の4月下旬。風の吹く季節に、初めてUBに、来ました。
その時は、仕事の休みをとり、1週間の滞在でした。

単身でUBへでかけた夫の、UBでの仕事振りを見せてもらい、教授たちと会ってご挨拶をし、食事に誘われました。
若い人たちと一緒に、テレルジに行き馬にも乗りました。

モンゴルの人たちに、どうしてこんな風の強い一番モンゴルで具合の悪い季節に来たのだと散々言われました。

その前年の2002年からモンゴルをきれいにしよう、UBを整備しようと言う動きが始まったところでしたから、UBはドンドン高層の建物が建ち、ガラス張りの建物も増えました。

それまでの建物は、レンガと分厚い二重ドアと小さい窓で寒さに強いロシア式の建物ですから、そこが何の建物か、何の店なのか分からなくて、看板もないか、あっても昔の店のままであったり、探し物をするときは,軒並みドアを開けて中を覗いたのもでした。
いまや、UBの中心街は、きれいに整備されつつあり、看板もちゃんと新しく掲げられ、ディスプレイの美しい店も増えてきました。
そういう、贅沢な店は、外国人向けですから、安心してはいることが出来て英語があるいは日本語が通じる店員さんが居たりします。

そして、カフェも外から見えるようになり、安心して入れるようになりました。
店も、清潔になり心地よい店が増えています。

3年前は、町の様子をデジカメで写すには、非常に緊張しました。
必要以上に夫からの警戒警報があったこともありますが、不用意にカメラを取り出すと、写しても居ないモンゴル人からにらまれたり、はたかれたりしたこともありましたから。

国立デパート辺りでは、外国人も多いし、デジカメを売っている店もありますし、カメラを取り出してもさほど注意を引かなくなりました。
私自身も、UBに慣れてきたことも有るのかもしれません。
ただし、その時デジカメをどこにしまったかを、鵜の目鷹の目で見張っている悪い輩も居ますから、そのあたりの警戒を怠らないことは、今も変わりはありません。

それは、UBの都会の話であって、フドゥー(地方)の牧民さんたちの生活は今も少しも変わりは有りません。
彼らは、遠来の客をとても大事にし、親切で、やさしく、もてなし好きです。
写真を撮ってもらうのが大好きです。とてもいい顔で笑ってくれます。
早く、フドゥー行きたいなぁ。
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8時28分

2006年04月18日 | UBから
 日が長くなって、夕食の支度がだんだん遅れがち。
今日は、引越しをして初めての停電でした。
5時前に外出から帰ったら、お茶も入れられず、お手上げ。
一時間ほど、読書のはずが気が付いたら昼寝?をしてました。
それでも、まだ、明るいのです。

明るいうちのしたくは、どう見てもお昼ご飯の支度をしている感じから抜け出すことが出来ません。


          午後8時28分 日本時間も同時刻です。
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アンモナイトもどき

2006年04月18日 | 日本から
鼓太郎の近況が届きました。
布団の上で眠るようになったと。
いつものアンモナイトもどきのメズで寝ていました。(^^♪



鼓太郎や、暖かくなって良かったね。
夏毛に抜け替わる時期だから、お姉ちゃんは聡怩ノ大変なんでしょうね。
キャットフードを、食べ過ぎないように。
太りすぎは、禁物だよ。
ゆっくり、しっかりおやすみ。

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雪が降りました

2006年04月17日 | UBから
朝起きて、外を見たら雪が降っていました。
今年は珍しい白一色です。
去年、4月6日に同期の人たちと、UBに到着したときも、白一色でしたから、今年のモンゴルはいかに雪が降らなかったかということが分かります。
しかし、こんな時期になって雪が積もるなんて、春は、ほんとに天気が当てにならないかと言うことです。
春の兆しが見えてから、の吹雪だったから、東のほうでは凍死者が出たのでしょうね。
冬のほうがすごし易いと、チョカさんが言ったのはこんな人を欺くようなことが、春には起きるからなんでしょう。



引っ越したアパートのそばにある遊園地、アパートの建物に囲まれているせいで、町の中心ですがとても静かです。
遊園地に壁を向けているのが私たちの住む棟です。
バスケットのメ[ルは、どこにでも見かけます。男の子たちが塀にコートをかけてよく遊んでいます。


歩いて2分のところに国立でパートがあります。
その時前を通る平和通をデパート側から見ました。
トロリーバスが何台も止まっていました。


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ヒント

2006年04月17日 | チンゲル亭裏日記

昨日、アパート探しに尽力してくれたツェギーとその息子とツェギーを紹介してくれた友人とで、食事に出かけました。

本とは、家にお呼びするのが筋でしょうが、まだ、すっかり元通りでないのと、これ以上遅くはなれないので、外食になりました。

最初は、借りてきた猫だった息子も、だんだんと自分の好きな料理が出てきたり、おなかが一杯になってくると元気になって、他にお客さんがいないのをいいことに、店内探検に出かけて異っては、意気揚々と帰ってくるのです。
そのたびに、顔がほころび、やっと日本人の私たちにも本物の笑顔を見せてくれるようになりました。

その時、日本語の上手な二人のモンゴル女性と話をしていて、日本語の訓練に、童話を丸暗記したと言うことを聞きました。

日本の童話を、SAVE THE CHILDRENの子どもたちに、丸暗記させて、それを劇にするのはどうだろう。

それと歌があって、司会が居て、自分たちの作ったカードや、折り紙を展示すれば、それだけで日本語の発表会になるではないか。

その時は、時期をきちんと選んで、子どもたちに十分認識させることが出来たら、日本語祭りとは程遠いものであるけれど、自分たちの成果を見せて、アピールできるではないかと思いついたのです。

ツェギーの息子の楽しげな動きを目で追いながら、頭も心もほぐされて、名案が出てきた。

そのための、助っ人さんを今から心して捕まえておこう。
それが実現するまでの過程をすっ飛ばして、子どもたちの笑顔が見えてきた。

何をどのように、まず何を始めたら良いのか皆目見当がつかないけれど、満月のように暗い夜空にぽかりと目標だけがはっきりしてきた。
いいな、いいな、やりたいなと言っているだけの子どものおねだりと同じですが、そのうち何か思いつくことだろう。

今のところは、月に竿をさしている昔話もどきですが、短い竿も何本もつなげば、ついには月に届くかもしれない。
とりあえず、絵本選びですかねぇ。
何がいいのか、誰かヒント下さい。
子どもの神様、ひらめきを下さい。
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ビャンバジャルガル先生とツォルモンさん

2006年04月16日 | チンゲル亭裏日記

今日は、3時からオルティンドーの練習でした。
昨夜、チョカさんが急用でこられないので、先週練習の様子を見学して行ったツォルモンさんをピンチヒッターに立ててくれました。

このところ先生の都合で、毎週金曜日の練習が日曜日に変わっていたので、チョカさんは無理をしているのではないかと心配していたのです。
こうして、出来ないときは出来ないといってくれることがわかって、安心しました。

ツォルモン(明けの明星と言う意味)さんは、時間通りにやってきました。急なことだったので無理をしたのではないかと、一生懸命探りを入れましたが、どうやら大丈夫のようでした。

2年間日本へ留学していたので、緊張感も有りつつ、一杯おしゃべりの出来る人です。
余りに話が弾むので、約束の時間を30分も過ぎて、先生が来ていないことにやっと気が付きました。

私の携帯から電話をして一度目は出ませんでした。
何時もはチョカさんが連絡を取ってくれていますから、知らない電話番号だと出ないのかもしれないと思いました。
2度目をかけようとしたら、先生のほうから電話がかかりました。
ツォルモンさんが、話をした後、先生が直接お詫びを言いたいと言っていると、電話を渡してくれました。
「なんとかかんとか・・・オチラレー(ごめんなさい)」と言っているので「ズゲール ズゲール(どういたしましt)」と応え、さようならと電話を切りました。

コンサートの準備で忙しく、連絡を忘れていたそうです。

さて、空いた時間をどうしよう。
歩いて家のほうへ向かいました。
おしゃべりが途切れることを知らないのです。楽しい、面白い。
時間は大丈夫と言うので、カフェに入り、甘いものは余り食べられない彼女のためにお茶だけにしました。

6月に友達が来るときの話、日本での話、ホームステイ先の日本のお母さんの写真、家族の写真を見てのお話、旅行社の採用の通知がまだ来ない話、尽きることがありません。

こんな素敵で日本語の達者なお嬢さんは、わたしが独り占めしないで、通訳で困っている人に紹介したいと思います。
デモ、今のところ彼女は日本語を仕事にしたくないと言っています。
お母さんのように、会計士になりたいと、そして、英語もマスターしたいと言っています。

はぁ、そうなんだ。。。。。私には、好都合なんだけど。
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イデレーちゃん

2006年04月16日 | UBから



ツェギーの一人息子。ナーダムの日に(7月13日)5才になります。
鳥の照り焼きが大好き。
さよならするとき、夫と大人っぽく握手して、照れて駆け出していったイデレー君。

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