風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

去年6月17日から19日のホスタイ

2006年04月15日 | モンゴル風景
去年、6月17日から19日にホスタイ国立公園へ行きました。
その時の写真をアップしました。
去年のものですが、これから来る方たちのために、それから、去年、アップしますと言う約束のために今頃、載せました。







ホスタイ国立公園内のツーリストキャンプ
お弁当を持ってのんびりピクニック
とおーくに、ゲル
保護されている野生馬タヒ
岩山と羊たち
フン チョロー(人石)
馬に乗りました
可憐な花
朝、山のほうへ移動するタヒの行列と私たち一行、背の高い女性はガイドさん




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引っ越し後2週間

2006年04月15日 | チンゲル亭裏日記

もう2週間もたちました。
腰の痛みのせいで、何事もはかどらず歯がゆい思いをしていました。
これで二日間、痛みがありませんから、もう治ったと見て良いのでしょう。

チンゲルテイ地区からスフバートル地区(スフバートル県と言うのが東のほうにありますが私たちはウランバートル市の中心にあるスフバートル地区に居ます。)に転居したのですから、「チンゲル亭」の名前をどうしようか考え中です。

チンゲル亭からの山の様子や庭の白から茶色そして緑への色の変化も分からなくなりました。
それは、おと年の写真を見ていただくこととして、あの頃、アパートの廻りと旅行に出かけた時の田舎の様子を見ていた視線とは、ちょっと変わった部分への興味の変化の様子を、お知らせして行きたいと思います。

ちょうどおととしの今日は、TISの日本語科3年生のゲストしてお手伝いをしていたのですが、最後の日でした。
その日に、日本語は美しいと思わせてくれる学生さんに出会いました。
その学生の名は最近になってジャルガルマーさんということが分かりました。
あの後直ぐ1年間日本に留学して、今、4年生を終わろうとしています。
優秀な人ですから、どのようなところに就職が決まるのか、興味のあるところです。

その後、ゲストに行ったおかげで、ジャンツンノロウのコンサートの情報も頂いて、演奏会にも行きました。
今年は、オペラもコンサートも夫の不熱心さと私の情熱不足で余り鑑賞することが出来ていません。
あの時よりも忙しくなり、夫の居る週末を心待ちにする度合いが少なくなったのかもしれません。

そして、引越し。。。腰痛。
出かけなければならないことをこなすのが精一杯で、家の中の体重移動や上体の上げ下げのある仕事は休止状態でした。

ご近所さんも会もやりたいし、新居のお披露目もやりたいし、女性の会もやりたい(ア、これは別の所でやることになりそう)、送別会もしてあげたい。
あの、頭に響く痛みがどれだけ気力を萎えさせるのか、ほんとに痛かった。
まず、何をしたら良いだろう。。。
そうだ、お客さんに見せても見苦しくない程度には、荷物を片付けなくてはね。。。

今日は、学生さんから、旅の情報を頂きました。
早速、友だちにメール。どんな反応が返ってくるかな。
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春の嵐

2006年04月15日 | UB POST から
UB POST Mongolia's independent weekly news 4.13.Thu. より

4月7日から8日にかけて 激しい吹雪が吹き荒れて、東のスフバートル県、ドルノド県、ヘンティ県の9つの村で大きな被害があったそうです。

20から28m/s の風が12時間にわたって吹き荒れ、8人の人が凍死した。
その年齢は13才から50才。
また、4人の人が2日後に助けられた。



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腰の痛みが取れました。

2006年04月14日 | 風のこたろう裏日記

今日はすっかり暖かくなって、散歩日和です。
昨日から、すっきりと腰の痛みが取れて、快適です。
冷えでからだが凝り固まっていたようです。

足のつぼの刺激と熱いお湯で、リラックスできたことが大きいようです。
明日から、プラスの温度が続くと聞きました。
なるべく楽しく歩くように心がけようと思います。

6月には、友だちの来蒙が決まりました。
楽しく、田舎に行ってゲルに泊まるためには、体調を整えておかねば。

ほんの少しの、痛みがなくなっただけで、あれこれと考えが前向きになりました。
耳鳴りも収まったようです。

母の老いを理解しないまま、介護していた頃を後悔しても始まらないけれど、こんな思いをしていたのかとかわいそうに思います。
少しでもわかっていてあげたら、もう少し母の気持ちに沿った世話ができたのかなぁ、今、思うからそうなのかなぁと思います。
日がたつにつれて、後悔の思いが増えてくるなんて、思わなかったことです。
母、八十代 私、四十代のときのこと。
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日本語教師

2006年04月14日 | ことば
 日本語教師の専門家のM 先生の帰国報告会でした。
日本語の授業開始が1975年モンゴル国立大学で始まりました。
1990年には副専攻だったのが主専攻になり、学ぶ人が66人になりました。その頃学んだ人が、今モンゴルの日本語教育を担っている人たちです。そのころは、人口1万人に対して日本語を学ぶ人が66人。
2003年には、9080人にもなっているそうです。
2005年には、その人数が韓国を抜いて世界1位になりました。


日本語教育の始まりは、学術的、文化交流が主なものでしたが、今では経済交流に変わってきています。
たとえば、ITエンジニアなどの専門家が日本語を学び始めています。
そして、首都UBだけでなく全土に向けた、ラジオ講座、あるいは、地方への日本語教師の進出が始まっています。

そんな中で大きな課題は、日本人の日本語教師が少ない。
モンゴル人の日本語教師の待遇が悪い(小中学校の日本語教師の月給は60ドル)ため人材の流出が続きしたがって勤続年数が短いということです。
そして、教条主義的な教授法がいまだに続けられている。

日本人の日本語教師が一人でも増えることが望まれています。
団塊の世代のボランティアを希望する中高年富裕層に期待を寄せるところです。
そして、モンゴル人教師への給与助成の充実が望まれています。

教条的ではない教育とは。
鮮烈・緻密・自由と言う目標を掲げておられました。
視聴覚教材を使い学習に結びつけること。
一人一人の学生のデータを収集し分析する、クラス全員の名前を覚える。
コニュニカティブな授業を目指す。
と言うことです。

その他、日本モンゴルセンターで行なわれている各年齢層にあわせたたくさんの講座や、去年始まったラジオ講座について、話されました。
ラジオ講座の本は、4,000冊も売れたそうです。
現在モンゴル語を習っている人のほぼ半数に昇ります。
ラジオ講座も、地方へ向けて再放送が始まり、インターネットですでに放送されたものを聴くことが出来ます。
若い人向けに、アイャbトのような装置で繰り返し聞けたり更新したり出来るように思案中だそうです。

最後に、SAVE THE CHILDRENへのボランティアについて、とても感謝されているので、これからも考えて行きたいとおっしゃっていました。
細々と続いているボランティアですが、教師陣が充実したら、このような末端部分にもちゃんとした教師が派遣され、私はその教師のお手伝いを心楽しく続けられたらほんとに良いのにと心から思います。

日本人の日本語教師がたくさんモンゴルに来ること、そして、モンゴル人の教師が日本語教育検定試験に合格する人を一人でも増やす(現在ゼロ)ことが急務です。

建国800年のイベントにたくさんの日本人が来ることになるでしょう。
その中の一人でも、モンゴルの現状を知り、ボランティアをしたい人が生まれてくれるといいなぁ。

専門家のこのような報告会を傍聴するのは、初めてです。
SAVE THE CHILDRENのご縁で、出席しても失礼ではないだろうと判断し、来週手助けにきてくださることになった、友だちの留学生を伴って行きました。
とてもよい話に、彼女は「私たちって団塊の世代よね」と言っていました。彼女のような人が日本語教師になったら良いのにと思うのですが、少しは気持ちが動いたのかしら?それは、私の勝手な考えです。
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凍ります

2006年04月13日 | UBから


 3時間で、凍りました。
 6時ごろ、お風呂の床を拭いたモップです。
 現在9時すぎ。

 柄を水平に箱の上に置いて、ベランダで乾かしていたものです。
見事に、そのかたちのまま凍っています!

朝おきたら何時もの光景ですが、夜中かかって凍っているのだと思っていました。
3時間で凍っているとは、思いませんでした!
暖房のおかげで、「寒い」幻想にとらわれずに生活できていることに感謝。
今も、室内では半そで、素足です。
お湯も熱いのが出ます。
台ふきんが気持ちよく洗えて、暖房機の上で気持ちよく乾いてくれます。

先週も今日も、SAVE THE CHILDRENに行く道すがらは、雪が舞っていました。
それでも、車は温まってくるし、授業が終わる少し前に運転手さんが暖気運転をして私たちが乗った時は車内が暖まっています。
ありがたい、ありがたい。


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大学で盗難

2006年04月13日 | チンゲル亭裏日記

ドガラ教授が、モンゴルの地質の会社から借り受けていた高価な機械が盗難にあったそうです。
夫とは直接関係のないことですが、カウンターパートの膝元で起こった事件に、暗い顔で帰宅しました。
つい先月は、ドガラ教授と夫の部屋がドアが破られてプリンターが盗まれたばかりです。

おそらく大きなものだったので、大学の駐車場に運び込むのを見てその時点で狙われていたのでしょう。

冬は暖房の入る鍵付きのスペースのはずですから、それに巨大なものだそうですからそのつもりがなければ、盗み出すのは難しいのです。

大学の、警備はどうなっていたのでしょう。
まさか、警備員が。。。
そんなことは考えたくないのですが、盗難⇒警備員がグルと言う図式をよく聞くのです。

このところ良いニュースばかりでしたのに。残念です。

景気直しにお風呂に入ろうとした夫、なぜか大いびきで眠ってしまい、あわや漏水を起こすところでした。
ャPットにタイマーを入れて時間を計っていたのに、一瞬の睡魔に勝てなかったようです。

下の階には漏れた様子はないのですが、モップとバスタオルで床を大急ぎで拭きまわりました。
オーバーフローも調子が悪かったようで、大事に至る前に気が付いて、一安心。

教授も、以後の対応に追われていることでしょう。
早く見つかって、手元にもどると良いのですが。
民間会社のものでなくて、却ってJICAのものだったら、問題は簡単だったのですが、大事にならなければ良いのですが。
明日は、出勤の足が重いことでしょう。
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今日は何をしたの?

2006年04月13日 | SAVE THE CHILDREN
 娘に褒めてもらった「今日はなにをしたの?」は、これです。
モンゴルでは紙が潤沢ではありません。
ノートも、紙も書く時はぎりぎり左端から書き始めます。

この記述も、わたしが、ここからと指で指示していますから、これでも少しはゆとりを持って書いているのです。

娘がどのようなものを想像して褒めてくれたのかは、まだ聞いていません。
子どもたちが、えーとと思い出しながら、一生懸命書いてくれます。

今日は、Kさんの絵カードを借りてくるのを忘れて写真が有りません。
このカードに見ている前で字を書いてもらうことによって、書き順を理解しているか、どの程度読めるかがよく分かります。
ノートに1行ずつ書いてくる宿題は、かたちは分かりますが、書き順はノートにわたしが書いてあげるときだけ一回だけの指導です。
キリル文字の書き順のようにひらがなを書いてしまうようです。

会話ですから、ノートに書かないで、音で覚えて欲しいと思いましたが、やはりノートに書くのが大好きです。
新しい単語は、ノートにひらがな、モンゴル語、キリル文字で発音表記をすかさず書いています。
頭の中だけは、まだ、むりですねぇ。

今日、子どものノートを見ていたら、まだ、「何を。。?」を書いてもらっていない子どもなのですが、ノートの冒頭に日付を書いている子どもが居ました。(^^♪
きっと、友だちが書いているのを見て、自分に順番が回ってくるのを、待っていてくれてるのでしょう。



今朝、SAVE THE CHILDRENに到着したら、何時もは居ないことの多いドギーさんが待っていてくれました。
友だちがお世話になりました。、いきなりお礼を言われ、モンゴル式の挨拶で抱き疲れそうになりました。
そして、自分と貴方とは、ボディ ランゲージなので私の思いは伝わらないと思って、ボロルマーをお願いしますと言う電話をしませんでした。オチラレー(ごめんなさい)と、言っているようでした。

何しろ、ドギーさんと私の意志の疎通は、モンゴル語、英語、ボディランゲージをフル稼働させての上ですから、そのほとんどは誤解の上にあるといっても過言ではないと、そのくらいに思っています。
でも、細かいところはすっ飛ばしたとしてもなんとなく言っていることが分かっているつもりなのです。
そして、その思いは十分に分かっているのです。

ボロルマーさんの面接の結果は、火曜日に分かるそうで、電話で連絡をしてくれるそうです。あるいは、電話で結果が知らされる。そのどちらか、あるいは両方です。(^_^.)

ボロルマーさんにも、どういう結果になっても知らせてくださいと言ってあります。合格であれば、おめでとう!でこれから事務所で会うことになるでしょう。
若し不合格としても、このまま、縁を切ってしまうには惜しい優秀な人です。
さて、来週からどのような縁が続くことになるのやら。。。


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ボロルマーさん

2006年04月13日 | 出会った人
近所のサクラ ベーカリーで、ボロルマーさんと言う人に会いました。
SAVE THE CHILDRENのドギーさんの友だちですと言って、突然昨日電話がかかってきました。

とても、丁寧な礼儀正しい方で、達者な日本語を話すことの出来る人です。
会ったことも、聞いたこともない人からの突然の電話には、不安感を伴うはずですが、そのようなこともなく、お話を最後まで聞く気になりました。
JICAの面接を受けるについて、助言をして欲しい、そして、教育担当なので、資料があったら見せて欲しいと言うことでした。
どんなに礼儀正しい人でも、初めての人に資料を欲しいと要求するのはモンゴル人らしいと思いました。
教育の専門家ではないし、資料は上げられませんからお役に立てないと思いますと言ったら、あわてて、日本語の手助けだけでもして欲しいと頼まれました。

初対面の人ですから、日本人経営者の「サクラ」で会うのは安心です。

そして、モンゴルで「困ったときの金井頼み」で、親しいお友だちの金井さんに我が家で昼食をした後、あ・うんの呼吸でサクラに一緒に行ってくれて、隣のテーブルで本を読んでそばに居てくれました。

時間通りに来たボロルマーさんは、電話での印象どおりの人でした。
面接のときの自分の情報、言いたいこと、自分の教育に対する考え方など、ちゃんとメモをしてきて、ャCントを押さえた質問でした。

31才の彼女は、JICAシニアの通訳の経験、フィールドワークの地質調査に伴って通訳をした経験もありました。
教育に関しては、格差があることそれには、教師の質を上げねばならないと考えていると話ってくれました。
久しぶりの日本語にときどきつっかえながら、一生懸命に話す様子は、今まで会ったモンゴルの人とは違った印象でした。

彼女の言葉をチョコチョコと訂正したり、言葉に詰まったときヒントあげる程度で、立派に通用する日本語を話せる大人の女性と見受けました。

ボランティアにも興味があり、私の手助けもしたいと言ってくれました。
まじめに仕事をして、家族をきちんと世話してからボランティアですよ、と言ったら、彼女は、仕事をしたら、時間がないので、出来ません。ですから採用されなかったら、ボランティアをしますと切り替えしてきた。
なるほど、そうですね。と、ここで、二人が出会って初めて笑いました。
笑うと可愛い人です。

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空手世界大会選考会

2006年04月12日 | UBから
昨年12月17日にご紹介した空手の隊員としてUBで活躍した、チカさんからの朗報が届きました。
第三回の選考会に参加する許可をもらえたそうです。

空手の世界選手権への道のりは、おそらく、かなり険しいことでしょう。
具体的なことはちっとも分かりませんが、UBで頑張り狽チた精神力で、きっと晴れ舞台に立ってくれることでしょう。

   フレー フレー チカちゃん!!!



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