風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夫への感謝当分返上

2006年04月12日 | チンゲル亭裏日記

昨日は、花ちゃんのことを思い出し、メールを送りました。
お花見はしましたか?と言う気楽な書き出しでした。
書いているうちに、思いが募って居てもたっても居られないくらい会いたくなりました。

そして、今朝の食事の時に、花ちゃんにメールを書いたことを夫に言いました。
あっと言って夫が語り始めたことは、月曜日にたまたま行った事務所で、花ちゃんの同級生から聞いたことには、「小康状態を得ていると聞いていたお父さんの状態が悪くなって、急遽呼び戻されて今、田舎の家に帰っている」と。

どうしてそんな重要なことを直ぐに言ってくれなかったの!
怒ってもしょうがないことですが、さすがに、何時もの「いいじゃないの」は夫の口からは出ませんでした。

夫の得た情報が私に届くのが遅いのは、いつものことです。
笑って済ませることが多いので実害はありませんが。。。

日本に悲しい思いで帰ったときに、「お花見はしましたか。。。」などという書き出しのメールを見て、花ちゃんがどんな思いをするか。
お父さんが持ち直して、明るい気持ちで大阪に帰っていくならまだしも。
夫はお友だちから、もういけないらしいと聞いたといっていましたから。

今、花ちゃんがどんな気持ちで居るのかと思うと、いたたまれない気持ちです。
どうか、どうか、花ちゃんの顔を見て持ち直していてくださいますように。
花ちゃんが日本での予定を終了するまで、待ってあげるわけにはいかないのでしょうか。

花ちゃん。。。。。
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花ちゃん

2006年04月11日 | チンゲル亭裏日記

モンゴル人のオユンツェツェグ=ツェツェグはモンゴル語で「花」=
ですから、彼女は自ら「ハナです」と紹介するのです。
「えっ、にほんじん?」と尋ね返すほど流暢な日本語を話し、日本人のことを良く知っている若者でした。

今は、大阪で勉強中です。

花ちゃんとの出会いは、TISの日本語科の先生の部屋でした。
花ちゃんの会話の授業を手伝うのを交換条件に、私のオルティンドーの練習に付き合ってくれると言うことで、出会いました。

いろいろあって花ちゃんの授業は1時間しか手伝ってあげることが出来ませんでしたが、彼女は、自分の勉強になるからと言って、モンゴル滞在期間中オルティンドーの練習に付き添ってくれたのです。

週に2回、TISで待ち合わせをして、トメン エヘという劇場に連れて行ってもらい、2時間の練習をし、帰りは、お茶とケーキでしばらくおしゃべりをして帰る。

その、3時間余りの時間の中で、習ったのはオルティンドーでは有りません。

たとえば、道路の横断の仕方、タクシーの止めかた、行く先の指示、お金の払い方、そして、先生との会話、出すぎず引っ込みすぎずの通訳、彼女が居てくれたから、思ったより以上に上達したのでした。
1曲覚えればよいと思っていたのが、とりあえず4曲のオルティンドーを習いうことが出来ました。

そして、帰りには快い疲れと喉を渇きを癒すために喫茶店に入ります。
そして、ここでも注文の仕方、レストランでの給仕のされ方、そしてお金の払い方。その他もろもろ。
取り留めのない会話から、言い回しについて、日本のこと、モンゴル人の苦手な書類のことまで、いろいろと娘のようにおしゃべりをしました。

ほんとにほんとに楽しい時間でした。

今、わたしが、平気で町を歩いたり、タクシーに乗ったり出来るのは、この花ちゃんとの大切な時間があったからなのでした。

今日、友人とおしゃべりをしていて、ほんとに花ちゃんの存在が大きかったこと、感謝してもし足りないことを今頃になって実感しました。

時を経て、こんなに感謝することになるとは、花ちゃんがいかに控えめにしっかりサメ[トしてくれていたことか。

今頃になって花ちゃんにもらったものの大きさに気が付き、それに気づかせてくれた友人に感謝。
そして、花ちゃんを選んだ夫の目にも感謝。
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三地区探索

2006年04月11日 | チンゲル亭裏日記

3月にUBにいらっしゃった方三人と、ショッピング街の三地区探検に出かけました。
はじめは、タクシーを拾っていくつもりでしたが、友人が契約して使っている車を今日は空いていると言うので、お願いしました。
日本語が上手な心優しいバットさんは、よく気が付いて、うってつけの買い物のパートナーです。

おかげで、私は一緒についていくだけでしかも自分の用事も済ませていただいて、らくちんでした。

3人の女性は、それぞれ個性的で楽しい方たちのようでした。
これから2年の間、UBでプライベートで助け合っていかれることでしょう。

3時間ほどの間に、三地区のお店をみて回るのは、とても難しいので、主だった店と見たい品物に絞って行きました。
こんなところと分かれば、こんどは一人あるいは彼女たちが誘い合わせて、いけることでしょう。

買い物は、穏やかに生活を始めるには必要不可欠のことですから、ささやかにお役に立てて(ほんとに立てたのかなぁ?一緒に行っただけだけど)良かった。と言うことにしておきましょう。
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2006年04月10日 | チンゲル亭裏日記

5階建ての建物の3階に住むことになりました。
セキュリティーは、小さな小屋におばちゃんのジジュール(番人さん)が居ること。
階段の入り口にドアがあって各自が鍵を持って開けてはいる。
その2点です。
追加として、隣の棟にPOLOCE《交番らしい》が有り、我が家の棟の前を通って通勤する警察官が多いと言うこと。

その追加のほうが効果絶大かも知れません。

問題の鍵は、複製がしにくいのか、正確に刻まれた鍵がありません。
それぞれに一本ずつ渡してくれましたが、比べると微妙に違っています。
それで、わたしが鍵をあけようとすると開きません。
夫が同じ鍵を使ってみると、何度か、ガチャガチャやっていたら開きました。
他の住人さんが、鍵を使っているところに出くわしましたら、かなりガチャガチャと音を立て、鍵を微妙に動かしていたら開きました。

はぁー。こつを覚えなくちゃいけない鍵。
良く見かけるけど、わたしが使うことになるとはね。

そういえば、陶撃フ中野先生も、部屋の鍵を何回か、開かないといって他のモンゴル人に試してもらっていましたっけ。
「モンゴルの鍵って開きにくいんですよねぇ。」と言って。

今まで、4回わたしが悪戦苦闘をしているのを見つけて、ジジュールさんが鍵を空けにきてくれました。
ジジュールさんが居ない時に鍵が開けられなかったらどうするの?と思っていたら、夫が、やすりを探して買ってきました。
鍵にマジックを塗ってから、削るところを特定して、なにやらやっていました。

その結果、私でも空けられるようになりました。
度胸をすえて、大きな音を立てながら、ガチャガチャ言わせるのはもちろんのことですが。

ここは、まさかの時には、サクラベーカリさんという強い味方がありますから、鍵を開けてもらうまで、避難出来るのです。
若しそこがお休みでも、幸い、一人で入れるレストランや、お店がたくさん有りますから、大丈夫です。
前のところは、そんな心配がない分、近くに緊急避難するお店などありませんでした。
どっちも、どっち?
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マンチョクさん

2006年04月10日 | UBから
マンチョクさんが、来ました。
今日は、「上手では有りません。」を練習しました。

「私は、食べるのが上手です。けれど、食事を作るのは上手では有りません。」と、彼女が言いました。

一瞬、迷ったのですが、大傑作と手をたたいて笑いました。
多分、それでよかったのだと思います。
ジョークを言うなんて、たいしたものだ。
彼女、頭が良いと思っていましたが、なるほど。。。
大いなる誤解でないとは思うのですが。

すべて、感覚です。(^_^.)(^^♪

それでも、日を追うごとに日本語でしゃべる回数が増えています。
進歩だよねぇー。

彼女は、留学試験に受かったら、5年間日本で勉強することになるようです。
そして、帰ってきたら、TISで先生をするかもしれない、しないかもしれないそうです。

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ご心配なく

2006年04月09日 | UBから
このところ、記事の投稿中にフリーズすることがあります。

記事の更新が出来なくても、ご心配なく。

つなぎっぱなしで、編集を行なうとスムーズにアップロードされるのですが、いったん接続を切ってから、編集後アップロードをしようとすると、サーバーが見つかりませんとなって、せっかくの苦労が水の泡に帰してしまうようです。
こちら、電話回線の悲哀を感じております。

力を入れて、作ったものが跡形もなく消えてしまったときの脱力感。。。

再チャレンジする気力のない時は、ご容赦ください。
ぼちぼち、やりますね。

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イフ デルグール

2006年04月09日 | チンゲル亭裏日記

昨年4月に来て以来、イフ デルグール(国立デパート 今はノミン)では二度ほど買い物をしただけで、ほとんど足を向けることがありませんでした。
そして、近くに引っ越してきて1週間目にしてやっと買い物に来ました。

はじめてモンゴルに来た頃は、日本の庶民的なスーパーマーケット程度の品ものがおいてありました。
最近、国立ではなく「ノミン」に買収されてから、どんどんと高級品が並び、ディスプレイも少しずつ垢抜けてきました。
特に、ノミンは電気製品の商売をしていますから、電気製品の高額商品が並び始めたときは目を見張りました。

最上階の5階は、お土産品のフロアになっていて、そこでも少しずつ外国人受けのするお土産の品揃えに変わっています。

せっかく近くに来たのだから、買わなくちゃねぇと買い物のリストを携えて行って見ました。
イフ デルグール(ノミンと名前が変わっても相変わらずこう呼ばれます。他の場所でも、昔呼ばれていた名前で言うほうが分かりやすかったりします。そして、それが分かるタクシーの運転手は、長年やっている老舗の運転手、あるいは長くUBに住んでいる人と言うことが分かります。)の入り口は、有名な「すり」のスャbトです。

人が集まり、入り口でどうしても狭くなる場所は、掏り易いからです。
ドアに近づくとき、一瞬緊張します。
PULLにしたがって、夫がドアを引きました。
上品なご高齢のモンゴル紳士が、一歩足を引いてどうぞと道を譲ってくれました。
とんでもない、どうぞ!と私たちが身振りで示すと、にこっとわらって通り過ぎていきました。
私たちも自然と笑顔になって、後姿を見送りました。
ほか、ほか、ほか。。。

二人とも、なんだか得した気分でした。
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いいものみっけ

2006年04月08日 | UBから
引越しの荷物の片付けの時、お米の新しい袋を持ち上げて、腰が筋肉痛になっていました。

こんな単純なことで、腰に痛みが来るなんて初めてのことで、少々ショック。

そんなときに、いいもの見っけ。

日本から持ってきた荷物の中に入っていた「あしつぼ」の本と棒。


これは、自分のためではなく、誰かの役に立つかもしれないと思って荷物に入れて忘れていたものです。
「誰か」は、私だったのね。(^_^.)


買い物中に夫が見つけた、浴用ブラシ。これが、背中にゴムと木のいぼいぼでたたくとちょうど良い刺激になり、肩や腰がいい気持ち。
そして、その隣に並んでいた巻きす。
この巻きすは、1,000トグルク、若しニュートーキョーだったら、2,500トグルクだったねぇと、安い買い物に大満足。

ちなみに、ニュートーキョーとは、日本の100円均一ダイソーの店です。
日本で100円で買えるものがすべて2,500トグルク(250円)で売っている。
気をつけて買わないと、物によっては、国立デパートの方が安いときがある。

日本のヒャッキンは、モンゴルでは高級品なのです。

それから、このところ牛乳が町で品薄になっています。
いつもの倍の値段で売っていたなどと言うことも聞きます。
アパートの近くで、子供用牛乳と言うのを売っていると、ツェギーさんに教えてもらって、飲んでみました。
腸のデリケートな夫がチェックしましたら、おいしい氏大丈夫と言うお墨付きをもらいました。

量り売りなので、1L入りプラスチック容器を買って、意気揚々と買いに行ったら売り切れ。
明日は11時に来るそうです。
手に持った容器をめざとく見つけて預かってくれると言うので、預けてきました。
明日、忘れずにいかなくっちゃ。

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娘に褒められた

2006年04月07日 | チンゲル亭裏日記

授業の最後に、今日はなにをしたの?と言って、代表の一人に、紙に書いてもらうようにしています。
日本語でも、モンゴル語でも、いいですよ、一つでいいですよ。
と言いながら、私はいつも思いつきで子どもを選ぶのですが、サイン入りできちんと書いてくれます。

レッスンのしめに↑これすごくいいね。
書いた紙はあげちゃうの?
コピーなんかできなさそうだからたいへんだね。
あっ、デジカメで撮れたらこんどみたいな。
=娘からのメールを無断転載=

先生としては大先輩の娘に褒めてもらった。
それが娘であると言うことにことのほかの喜びを感じる。

SAVE THE CHILDRENで、モギーさんから、英語のクラスの先生が指導して子どもたちが作ったレメ[トを見せられたとき、私にこんなことできるわけが無いと怒りの衝動に駆られたのでしたが、それが、いい刺激になって、私には何が出来るかと考えるチャンスをもらいました。

それで、考えたのが、「ただいま」「おかえり、きょうなにをならったの?」「あのね、エーット・・・・・」という場面の『・・・・・」の部分を子どもなりに書かせたらどうかと思ったのです。

最初に書いてもらった子どもは、感の鋭いまじめな女の子でした。わたしのモンゴル語(一応ガン先生に、お母さんが言うように易しい言い方まで習っていったのですよ!)では結局分からず日本語と身振り手振りで伝えました。ちゃんと分かってくれて、日付とサインと、今日習ったことを三つも書いてくれました。

二度目は、そのウランツェツェグが、私の指名した次の子に教えてくれました。
それからは、わたしが白い紙を出すと、知っている子が今日わたしがそばに立った子どもに、書き方を説明してくれるのです。

持ちつ持たれつの授業が、いろんな場面で続いています。
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遅れてきた運転手

2006年04月06日 | チンゲル亭裏日記

タクシーのドアを開けると、「オーチラレイ」(すみません)と言う言葉に迎えられました。
このところ、この言葉を聴くのが二人目。
ビャンバさんとバットスフさん。
余り経験しないことなので、うれしい。単純にうれしい。
雪も降るし、きてくれないのかなぁとあきらめはじめて居たところです。

そういえば、この前、車の手配を一人で出来たと喜んで、結局来てくれなかったのも雪の降る日だったなぁ。

彼女は、相変わらず、礼儀正しく運転してくれます。
だからかもしれませんが、対向車も先を譲ってくれる場面もほんとに珍しいことナのですが、今日はありました。

数少ないにしても、礼儀正しいモンゴル人は確かに居るよ。と、聞きます。
まさしく、そういうモンゴル人に出会い始めた気がします。
逆に言うと、私たちもモンゴルになれてきて肩肘張らなくなってきて、それが、あわせ鏡のようになって見かけるようになったのかもしれません。

先日の歓送迎会の挨拶の中で、「モンゴルを好きになって帰ってくださる方が居てうれしいです。」と、外務省のお役人さんがおっしゃっていました。

私も、その中の一人になるのかなぁ。
観光客として、夏の草原を訪れるのは大好きです。草原で馬に乗るのも大好きです。
ただし、寒い冬や、環境や人情の違う中で生活することは、今まではノーサンキューでしたから。

心機一転、気分を大幅に変えたことが、私たちの生活をよいほうに向けるきっかけを作ってくれたのだとしたら、ほんとに、決断して良かったと思います。

        やっほー
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