風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

(無題)

2017年11月07日 | 詩吟
自分を客観的に見つめて、詩吟をする。

今日の、練習では、今までにない、取り組み方で、詩吟をしたように思います。

感覚だけでは、届かないものがたくさんあって、しかし、そうすることで、何か失っている様な気がして。

それでも、嫌じゃない自分がいることに驚きながら、少しこの方式を楽しんでみようと思っている。

多くの学びをくれる練習会場ではある。

違う一面を、見せてもらっている。

そして、失いかけたものを取り戻していることまで、ある。

このところの、心の動きは、ちょっと、面白がっている。
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はがれて、客観的にみる

2017年11月07日 | 徒然に日々のことを
イッセーさんが、「はがれて、客観的にみる」と、トーク番組でおっしゃっていました。

倹lさんのこのような言葉は、ときに、身に響くことがあります。

思いのままに吟じているのは、よろしくない。
伴奏を良く聞いて、合わせなくては。
自分に酔ってはいけない。
長すぎる。
短い。
誤読をする。
バランスが悪い。

自分自身と、詩吟をする私とが、一体になっていることが良しとして、思いのままに吟じていたのでは、聞いていて、美しくない。

自分自身から、私を剥がしてみるなんてこと、思いもしなかったけれど。

芦孝会に続々と出現する達人たちのことをよく観察して見ると、なるほどねぇ。

まず、私がとりあえずすぐにできることは、今、独吟の練習をしている吟題の練習に、付け加えて、伴奏をよく聞くということから、始めて見ようと思う。

そんなことは、ずっと前から言われてきたのだろうけれど、気が付いてなかった。気が付いていながら、それは違う、私はその様に吟じたいではないと思い続けていた。

そういう言葉が、聞こえて、実行して見ようと思い始めたのは、もしかしたら、はがれてきたのかなぁ。

今回の五似ん会でも、直接に関係はないけれど、いろんな立場で、「はがれてきた」のを感じることがありました。
ちょうど節目の年になったからだろうか、奇しくもメンバーのそれぞれが、手放したり、距離を置いたりする行動に出てきていたのが、面白かった。



私の中で響いている音は、一度、外に出して、客観的にみて、聞くことをしろということなんだろうか。


       剥がれて、客観的にみる


私の場合は、剥がれてではなく、剥がしてだね。
イッセーさんは、「剥がれて」と言っていたなぁ。
剥がしてではいけないのだろうか。




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鷺照先生

2017年11月06日 | 詩吟
吟詩部を卒部して、それぞれが、それぞれの仕事に就いたのだけれど、私は、岡山市内に職を得た関係で、そのまま、佐藤鷺照先生の教場へ、自然の成り行きで通うことになりました。

驚いたことに、来年の3月で、50年という大きなひとくくりが来ます。
50年も前に、私は、大人になっていたんだと、改めて驚いてしまいました。


岡山へ来るたびに一度は教場を訪れたいとの思いがあったのですが、その気にならないで過ごしていました。
50年を経たからなのか、やっと、近くまで行くことができました。


                 右から二番目の建物が、岡山市中央公民館。


岡山駅行き電車





九時に練習が終わったら、急いで、路面電車で、駅へと向かいました。
確か、山陽本線下りは、9時21分発、それを逃したら、1時間後の電車になります。
もうそのころは、ジーゼルになっていましたっけ。



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五似ん会終わって・・・

2017年11月05日 | 徒然に日々のことを
ランチの後、別れがたい思いを抱きつつ、それぞれ、家族のもとへと帰っていきました。

帰りの便が取れなかったため、一泊して、6日に帰ることとなっていた私は、ここで、倉敷散策をするか迷ってました。
昨日も、集合前に倉敷散策中、良寛展が岡山であると、そして、翌日の5日までが会期としり、岡山へと移動しました。

良寛展は、良寛の書が展示されていました。
事情で、そこには、終了時間まで滞在できなくて、町へと出ました。

まず、調達するものを買いに、商店街に言ったら、「大誓文払い」の赤い垂れ幕に遭遇。
そうそう、暮れのバーゲンは、「誓文払い」だったなぁ。東京に行ったらそのフレーズがなくて、奇異に感じたんだった。




その商店街を抜けると、毎週木曜日に、通った喫茶「キサ―ラ」が、、、やっぱり、無くなってる。
階段を上がって、こんな狭いところに?というようなカウンター席と後は4席(六席?)しかないサイフォンコーヒーの常連ばかりのお店。

ここで、7時に始まるお稽古までの時間を過ごしていたねぇ。

ここまでは、路面電車だったり柳川から徒歩だったりしたんだった。そしてここから公民館までは徒歩。
橋を渡っていたんだけど、川茂も橋げたも記憶にないということは、キサ―ラを出たら、きっと詩吟のことを考えていたんだろうねぇ。

教室は、年配ばかりの中で、二十歳の女子が混じっていると、どんな感じで、周りの人たちは受け止めていたのだろう。
佐藤鷺照先生は、ことのほか可愛がってくださったのだけれど、具体的なことはちっとも思いださない私は、薄情ものだ。
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五似ん会

2017年11月04日 | 詩吟
五似ん会が今年もやってきました。
なかなか、五人のスケジュール調整ができなくて、二転三転しましたが、4日と5日の土日の日程に収まりました。

おかげで、私は、手にした詩吟のチケットを興味のある方にお譲りすることとなりました。
そんなことも、顔を合わせれば、すっかり忘れて、愚痴をこぼすことも、こぼさせることさせない仲間なのであります。
「そう決めたのは、あんたじゃが」と、岡山弁で、言われるのはわかっているからね。

ま、そんな気の置けない仲間と、ぎりぎりになったので、雑魚寝状態の部屋で、しかし、同じ部屋にゆったりとしたソファーのセットのある部屋で、こもりっきりで、おしゃべり三昧。

おっと、そのまえに、4日の夕食は、久し振りに詩吟の恩師「鈴木睨照」先生も参加してくださってにぎやかに六人会になりました。

だからといって、そのころの思い出話に浸るわけでもなく、今の生活のあれこれの憂さ晴らしになることもなく、すべて会話は前向き。
愚痴になりそうになると、それとなく、かじ取りをする人が出て、話は、限りなく明るい方へと向かう。

そんな仲間が、大好きで、若いころと違って、観光をするのではなく、話に満開の花を咲かせる五似ん会プラスワンなのでした。

米寿には、もう少しと言う年齢でも現役で仕事をしている恩師と古希を迎えたり迎えようとしている顔ぶれでも、まるで、十代の頃の会話のできる私たちって、すごいでしょう?

また来年、元気で会おうね。と、言ったとき、思いだした。
せっかくの記念写真を撮るのをわすれてた!
そのくらい、話が弾んで途切れることがなかったというわけ。

もっと若いときは、そのまま、先生もそのまま話し込んで、徹夜という場面もあったけど、さすがに、先生の仕事がらもあって、程々にお開きに。

ただ、残ったメンバーは、部屋で、延々と話が続く。寝んだのは、何時になっていたのだろう。

そして目覚めて、チェックアウトの11時まで。
いつもなら、そのまま慌ただしくそれぞれが家路にむかうのに、今年は、それぞれに暇もできたようで、去りがたい思いのまま、いつまでもこのまま一緒に居たい思いが強かったのです。

得難い友人『朋』であります。

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うぐいすぎんえい

2017年11月03日 | 詩吟
    平成29年度 横浜ラメ[ル件p市場 オータムコンサート


主催 社会福祉法人横浜市リハビリテーション事業団
         (障碍者スメ[ツ文化センター横浜ラメ[ル)にて、文化の日に開催されました。

第4部の横浜詩歌福祉吟詠同好会の応援に行ってきました。

北原白秋の「五十音」で、お口の準備運動から始まって、吟詠と歌との構成で、とても良くできていました。

指方先生の舞台と会場の一体感を一番大事にして、スクリーンに映された大きな歌詞と漢詩に、みなさんが、その気で、舞台の人たちと一緒に歌っていました。

その様子は、福祉吟詠のぶろぐで、ご覧になってください。  

    
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