毎年、正月2日には、菩提寺を訪れて新年を祝うことにしている。
鎌倉に移転したので、今年は、長女夫妻の運転で、かなり、朝早く家を出て佐原に向かったのだが、横浜の高速で事故車が交通渋滞を引き起こして、大分、遅くなってしまった。
しかし、帰りの道中はもっと悲惨で、事故車もあったりしのだが、Uターンラッシュの始まりか、理由は良く分からなかったが、習志野あたりから少しずつ渋滞し始めて大井まで、都内の道中は、殆ど激しい渋滞で、車が動かなかった。
尤も、今まで経験した交通渋滞で最悪と言う訳ではなかったが、年末年始の民族移動の最盛期ではなかった筈なので、首都圏の交通の激しさと言うか、人口稠密と言うか、東京一極集中と言うか、正月早々、その異常さにびっくりした。
朝晩の通勤で、実際に自分で運転して通ったのは、アムステルダムとロンドンしかないので、一般的なことは語れないが、ロンドンの場合には、キューガーデンからセビル・ロー通りまでの道中で、ヒースロー空港を結ぶ幹線道路でもあったので、かなり、渋滞することはあったが、それでも比較的交通は流れていたし、特別な事情がなければ、これ程、渋滞状態を経験することはなかったように思う。
そして、クリスマス休暇や夏期休暇のハイシーズンに、ヨーロッパの各地やイギリス国内を車で走りながら、休暇を過ごしていたが、例えば、パリでもフランクフルトでもウィーンでもコペンハーゲンでも、何キロにも亘る交通渋滞など、幸か不幸か、経験したことはなかったし、当然、その間のハイウェイやアウトバーンでも、同じく、交通渋滞に苦しむことが、殆どなかった。
ある時など、イタリアの北端からブレンナー峠を越えて、ドイツをアウトバーンで通過して、夕刻にはアムステルダムに帰りついたことがあるが、ヨーロッパでは、そんなことが出来るから、ドイツなどでは、都市間のビジネス移動は、アウトバーンでの車が主体だと聞いていた。
尤も、随分前の話などで、現状はどうかは知らないが、日本の首都圏の交通渋滞が、東南アジア各地の大都市などの交通渋滞同様に異常であることには間違いないと思っている。
さて、問題は、日本の都市間交通や首都圏交通などの運輸交通システム、特に、道路交通体系そのものが、適切なのかどうかと言うことである。
尤も、道路交通システムの隘路は、地方や田舎でも起こっていて、私など、千葉に長く住んでいて、296号線や51号線でも、もう、随分以前から必ず渋滞を起こして交通を遮断して、慢性的に渋滞状態を惹起している個所があるにも拘わらず、一向に解消されることがないのを見ていると、日本の道路交通行政の貧弱性を疑わざるを得なくなる。
むだな公共事業を減らして社会保障や子育て支援に財源を回そうと、民主党が2009年の総選挙で掲げた「コンクリートから人へ 」と言った提言について、とやかく言うつもりはないが、何が無駄かと言う定見もなしにスローガンを豪語する前に、コンクリートの構築およびその活用体制が適切なのかどうかを、考える常識なり知見を持つべきだったと思っている。
高速料金をタダにすれば、経済が活性化するのではなくて、道路交通システムを、サラサラの血液の流れのように、如何にすれば、スムーズに脈打ちながら流れるのか、その方策なり実現への戦略戦術を知恵を絞って考えるのが先であった。
交通経済学について、特に、勉強したわけではなく、専門家でもないので、これ以上深追いするつもりはないが、このような慢性的交通渋滞を起こしている道路交通システムが、果たして、日本経済に、どのような効果を持っているのかと言う問題提起をしておきたい。
この現象について、日本経済に、経済効率の悪化を来しており、著しい無駄と損失を惹起していると数字をあげて、マイナス効果を非難した論文が発表されたこともあった。
大方の考え方は、これに倣うものと思われるが、逆に、無駄と苦渋を引き起こすことによって、無理に支出する必要のない支出や出費を出させて、経済需要創出効果で、経済効果をあげようとしているのではないかと、変な勘繰りをしたくもなる。
鎌倉に移転したので、今年は、長女夫妻の運転で、かなり、朝早く家を出て佐原に向かったのだが、横浜の高速で事故車が交通渋滞を引き起こして、大分、遅くなってしまった。
しかし、帰りの道中はもっと悲惨で、事故車もあったりしのだが、Uターンラッシュの始まりか、理由は良く分からなかったが、習志野あたりから少しずつ渋滞し始めて大井まで、都内の道中は、殆ど激しい渋滞で、車が動かなかった。
尤も、今まで経験した交通渋滞で最悪と言う訳ではなかったが、年末年始の民族移動の最盛期ではなかった筈なので、首都圏の交通の激しさと言うか、人口稠密と言うか、東京一極集中と言うか、正月早々、その異常さにびっくりした。
朝晩の通勤で、実際に自分で運転して通ったのは、アムステルダムとロンドンしかないので、一般的なことは語れないが、ロンドンの場合には、キューガーデンからセビル・ロー通りまでの道中で、ヒースロー空港を結ぶ幹線道路でもあったので、かなり、渋滞することはあったが、それでも比較的交通は流れていたし、特別な事情がなければ、これ程、渋滞状態を経験することはなかったように思う。
そして、クリスマス休暇や夏期休暇のハイシーズンに、ヨーロッパの各地やイギリス国内を車で走りながら、休暇を過ごしていたが、例えば、パリでもフランクフルトでもウィーンでもコペンハーゲンでも、何キロにも亘る交通渋滞など、幸か不幸か、経験したことはなかったし、当然、その間のハイウェイやアウトバーンでも、同じく、交通渋滞に苦しむことが、殆どなかった。
ある時など、イタリアの北端からブレンナー峠を越えて、ドイツをアウトバーンで通過して、夕刻にはアムステルダムに帰りついたことがあるが、ヨーロッパでは、そんなことが出来るから、ドイツなどでは、都市間のビジネス移動は、アウトバーンでの車が主体だと聞いていた。
尤も、随分前の話などで、現状はどうかは知らないが、日本の首都圏の交通渋滞が、東南アジア各地の大都市などの交通渋滞同様に異常であることには間違いないと思っている。
さて、問題は、日本の都市間交通や首都圏交通などの運輸交通システム、特に、道路交通体系そのものが、適切なのかどうかと言うことである。
尤も、道路交通システムの隘路は、地方や田舎でも起こっていて、私など、千葉に長く住んでいて、296号線や51号線でも、もう、随分以前から必ず渋滞を起こして交通を遮断して、慢性的に渋滞状態を惹起している個所があるにも拘わらず、一向に解消されることがないのを見ていると、日本の道路交通行政の貧弱性を疑わざるを得なくなる。
むだな公共事業を減らして社会保障や子育て支援に財源を回そうと、民主党が2009年の総選挙で掲げた「コンクリートから人へ 」と言った提言について、とやかく言うつもりはないが、何が無駄かと言う定見もなしにスローガンを豪語する前に、コンクリートの構築およびその活用体制が適切なのかどうかを、考える常識なり知見を持つべきだったと思っている。
高速料金をタダにすれば、経済が活性化するのではなくて、道路交通システムを、サラサラの血液の流れのように、如何にすれば、スムーズに脈打ちながら流れるのか、その方策なり実現への戦略戦術を知恵を絞って考えるのが先であった。
交通経済学について、特に、勉強したわけではなく、専門家でもないので、これ以上深追いするつもりはないが、このような慢性的交通渋滞を起こしている道路交通システムが、果たして、日本経済に、どのような効果を持っているのかと言う問題提起をしておきたい。
この現象について、日本経済に、経済効率の悪化を来しており、著しい無駄と損失を惹起していると数字をあげて、マイナス効果を非難した論文が発表されたこともあった。
大方の考え方は、これに倣うものと思われるが、逆に、無駄と苦渋を引き起こすことによって、無理に支出する必要のない支出や出費を出させて、経済需要創出効果で、経済効果をあげようとしているのではないかと、変な勘繰りをしたくもなる。