観世宗家相伝の書を、家元観世清和が繙く!
六百年の歳月を越えて伝えられる極上の芸術論・人生論
そんな説明書きの付された世阿弥の新訳「風姿花伝」だが、宗家が、ご自身の切磋琢磨を通じて体験した能楽への精進と人生を縦横無尽に開陳しながらの渾身の書であるから、実に含蓄深く、読んでいて感動的である。
特に、個々の世阿弥作の能について、解説のみならず、ご自身の舞や謡いなど実際の能舞台などでの思いなどが語られているところなどは、私自身がその舞台に接していたりして、非常に親近感を感じて、味わわさせて頂いた。
年齢別稽古法の最後の「五十有余」のところで、八十三歳の人間国宝片山幽雪師の「関寺小町」の後見をした時、息を巧みに使った謡が見事で、息を吸って声を出すだけが謡ではないことに気付かされたことや、杖の捌き方などの基本の型はまったく揺るぎなく、基本の大事さを改めて感じると同時に、杖をつくという基本は同じで、ただ役柄によってその心持が違う、それを丁寧に表現することが肝要なのだと、改めて知ることができた。と語っている。
能鑑賞初歩の私には、着座した幽雪師の小町の背後にしっかりと寄り添って後見をしながら、プロンプター役をしていた宗家の姿の方が印象に残っており、何も分かっていなかったと反省している。
この幽雪師は、昨夜の梅若玄祥師の「井筒」で、地謡に出ておられたので、初めて、素顔を拝見した。
元々、大和申楽である観世座は、修二会などで鬼が齎す混乱を一年の初めに清浄化する儀式などに関わっていたので、鬼の能は、得意芸であり、この鬼の能で力を示して京都に進出を図ったと言う。
その得意芸をベースにして、観阿弥・世阿弥は、独自の能を完成させていったので、鬼は一座のルーツであり、修正会のような宗教行事で使われていた「赤鬼・黒鬼」と呼ばれる阿吽の一対の面が、観世の面箪笥の一番上位、神事の流れを汲む祝言能「翁」に用いる面と同格に、大切に保管されていると言う。
先日、国立能楽堂で鑑賞した世阿弥の能「野守」(金剛流:シテ/豊嶋三千春)を観たので、この鬼の持つ万物のあらゆるものを映し出す鏡について語り、その鏡の裏側に、取っ手を両側からくわえこむ鬼の顏の木彫りで装飾されていると写真を示しているなど、興味深かった。
風姿花伝については、渡辺淳一の「秘すれば花」など、結構読む機会もあって、何らかの形で触れていて多少の予備知識はあるので、このように、観世宗家が、自らの伝承と演能を通して、宗家にしか分からないような経験や話などを語っている薀蓄を傾けた解説が、類書とは格段に違って意義深く、この本の最高の値打ちだと思っている。
この本で印象的なのは、観阿弥・世阿弥で、一世を風靡した筈の観世座の命運が如何に危うかったか、将軍家の信頼を得て、他流派との激烈な競争に打ち勝つために、如何に戦うべきか、非常に、危機意識に満ちた秘伝の書であることである。
梅若六郎の「まことの花」の稿で、江戸時代以外は、能楽師の地位は非常に不安定であったことに触れたが、絶頂を極めた最高峰の世阿弥でさえ、晩年には、一座の凋落に遭遇し、後継者であった実子元雅を失い、最期には、流罪の悲哀に泣き、生涯かけて築き上げてきた自信も栄誉も人間としての尊厳も叩き潰されたのであるから、当然と言えば当然であろう。
先日、幸四郎の履歴書のところで、歌舞伎の伝統や型の伝承が如何に大切かに触れたが、この風姿花伝では、冒頭から、
”いかなる上手なりとも、衆人愛敬欠けたるところあらんをば、寿福増長の為手とは申しがたし””しかれば、亡父は、いかなる田舎・山里の片返にても、その心を受けて、所の風儀を一大事にかけて、芸をせしなり”と言っており、どんな場所でも、観客の心を知り、その土地の風俗・習慣を大切にして演能し、人々に愛されなければ、寿福増進の役者ではないと言うのである。
世阿弥が「奥義」として相伝すべきは、舞台芸術の根源にあるもの、その精神は何かと言うことで、それこそ、「寿福増長」であり「衆人愛敬」であって、人々の幸せを願い、人々から愛される舞台でなければならないとして、理解できないような芸能ばかり見せたのではダメだと、絶えず工夫と努力を重ねて、価値ある芸を生み出し続けなければならないと説いている。
言うまでもなく、世阿弥こそ、最大の革新者、能楽のイノベーターであって、この風姿花伝では、観阿弥を称賛しその芸論を展開しているようだが、観阿弥と世阿弥の作品は、大いに違っている。
梅原先生の説明だと、観阿弥の、現在から過去へ遡る「追憶劇」すなわち「劇能」を脱して、世阿弥は、独自の「複式夢幻能」を大成させたのである。
歌舞伎の場合にもそうだが、かっての團十郎などの改革革新のように、あるいは、落語での圓朝のように、古典芸能の場合にも、偉大なイノベーターによって、革命的なアクションが取られた時にこそ、進歩発展があることを示している。
私など、イノベーション論を勉強し続けてきた人間にとっては、この本を読んでいて、能楽草創期の、正に、果敢なイノベーターとしての烈々たる世阿弥の激しい気迫が迫って来て、経営学書としても、出色な書物だと感じている。
観世清和師は、
”ただかへすがへす、初心を忘るべからず”の「初心」や、
”秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず”の「まことの花」や、
”命には終はりあり、能には果てあるべからず”などについても、素晴らしい解説を展開しており、能楽啓蒙の意味からも、あるいは、良質で高度な人生論としても、非常に、密度の高い内容が、感動的である。
六百年の歳月を越えて伝えられる極上の芸術論・人生論
そんな説明書きの付された世阿弥の新訳「風姿花伝」だが、宗家が、ご自身の切磋琢磨を通じて体験した能楽への精進と人生を縦横無尽に開陳しながらの渾身の書であるから、実に含蓄深く、読んでいて感動的である。
特に、個々の世阿弥作の能について、解説のみならず、ご自身の舞や謡いなど実際の能舞台などでの思いなどが語られているところなどは、私自身がその舞台に接していたりして、非常に親近感を感じて、味わわさせて頂いた。
年齢別稽古法の最後の「五十有余」のところで、八十三歳の人間国宝片山幽雪師の「関寺小町」の後見をした時、息を巧みに使った謡が見事で、息を吸って声を出すだけが謡ではないことに気付かされたことや、杖の捌き方などの基本の型はまったく揺るぎなく、基本の大事さを改めて感じると同時に、杖をつくという基本は同じで、ただ役柄によってその心持が違う、それを丁寧に表現することが肝要なのだと、改めて知ることができた。と語っている。
能鑑賞初歩の私には、着座した幽雪師の小町の背後にしっかりと寄り添って後見をしながら、プロンプター役をしていた宗家の姿の方が印象に残っており、何も分かっていなかったと反省している。
この幽雪師は、昨夜の梅若玄祥師の「井筒」で、地謡に出ておられたので、初めて、素顔を拝見した。
元々、大和申楽である観世座は、修二会などで鬼が齎す混乱を一年の初めに清浄化する儀式などに関わっていたので、鬼の能は、得意芸であり、この鬼の能で力を示して京都に進出を図ったと言う。
その得意芸をベースにして、観阿弥・世阿弥は、独自の能を完成させていったので、鬼は一座のルーツであり、修正会のような宗教行事で使われていた「赤鬼・黒鬼」と呼ばれる阿吽の一対の面が、観世の面箪笥の一番上位、神事の流れを汲む祝言能「翁」に用いる面と同格に、大切に保管されていると言う。
先日、国立能楽堂で鑑賞した世阿弥の能「野守」(金剛流:シテ/豊嶋三千春)を観たので、この鬼の持つ万物のあらゆるものを映し出す鏡について語り、その鏡の裏側に、取っ手を両側からくわえこむ鬼の顏の木彫りで装飾されていると写真を示しているなど、興味深かった。
風姿花伝については、渡辺淳一の「秘すれば花」など、結構読む機会もあって、何らかの形で触れていて多少の予備知識はあるので、このように、観世宗家が、自らの伝承と演能を通して、宗家にしか分からないような経験や話などを語っている薀蓄を傾けた解説が、類書とは格段に違って意義深く、この本の最高の値打ちだと思っている。
この本で印象的なのは、観阿弥・世阿弥で、一世を風靡した筈の観世座の命運が如何に危うかったか、将軍家の信頼を得て、他流派との激烈な競争に打ち勝つために、如何に戦うべきか、非常に、危機意識に満ちた秘伝の書であることである。
梅若六郎の「まことの花」の稿で、江戸時代以外は、能楽師の地位は非常に不安定であったことに触れたが、絶頂を極めた最高峰の世阿弥でさえ、晩年には、一座の凋落に遭遇し、後継者であった実子元雅を失い、最期には、流罪の悲哀に泣き、生涯かけて築き上げてきた自信も栄誉も人間としての尊厳も叩き潰されたのであるから、当然と言えば当然であろう。
先日、幸四郎の履歴書のところで、歌舞伎の伝統や型の伝承が如何に大切かに触れたが、この風姿花伝では、冒頭から、
”いかなる上手なりとも、衆人愛敬欠けたるところあらんをば、寿福増長の為手とは申しがたし””しかれば、亡父は、いかなる田舎・山里の片返にても、その心を受けて、所の風儀を一大事にかけて、芸をせしなり”と言っており、どんな場所でも、観客の心を知り、その土地の風俗・習慣を大切にして演能し、人々に愛されなければ、寿福増進の役者ではないと言うのである。
世阿弥が「奥義」として相伝すべきは、舞台芸術の根源にあるもの、その精神は何かと言うことで、それこそ、「寿福増長」であり「衆人愛敬」であって、人々の幸せを願い、人々から愛される舞台でなければならないとして、理解できないような芸能ばかり見せたのではダメだと、絶えず工夫と努力を重ねて、価値ある芸を生み出し続けなければならないと説いている。
言うまでもなく、世阿弥こそ、最大の革新者、能楽のイノベーターであって、この風姿花伝では、観阿弥を称賛しその芸論を展開しているようだが、観阿弥と世阿弥の作品は、大いに違っている。
梅原先生の説明だと、観阿弥の、現在から過去へ遡る「追憶劇」すなわち「劇能」を脱して、世阿弥は、独自の「複式夢幻能」を大成させたのである。
歌舞伎の場合にもそうだが、かっての團十郎などの改革革新のように、あるいは、落語での圓朝のように、古典芸能の場合にも、偉大なイノベーターによって、革命的なアクションが取られた時にこそ、進歩発展があることを示している。
私など、イノベーション論を勉強し続けてきた人間にとっては、この本を読んでいて、能楽草創期の、正に、果敢なイノベーターとしての烈々たる世阿弥の激しい気迫が迫って来て、経営学書としても、出色な書物だと感じている。
観世清和師は、
”ただかへすがへす、初心を忘るべからず”の「初心」や、
”秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず”の「まことの花」や、
”命には終はりあり、能には果てあるべからず”などについても、素晴らしい解説を展開しており、能楽啓蒙の意味からも、あるいは、良質で高度な人生論としても、非常に、密度の高い内容が、感動的である。