熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

初春大歌舞伎・・・「松浦の太鼓」

2014年01月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   初春大歌舞伎の昼の部の公演は、「梶原平三誉石切」と「松浦の太鼓」が、メインで、夫々、幸四郎の梶原平三景時、吉右衛門の松浦鎮信と言う極め付きの舞台であるから、非常に充実していて、楽しませてくれた。
   私にとっては、忠臣蔵外伝として著名な「松浦の太鼓」は、初めての観劇であったので、面白かった。

   吉右衛門が演じると言うと、どうしても、重厚かつ風格のある大名をイメージするのだが、この舞台に関する限りは、松浦侯は、市井の江戸市民と同じように、赤穂浪士が、主君の鬱憤を晴らすために、何時、隣家の吉良家に討ち行って、首級を上げるかを期待して待っている、謂わば、野次馬根性丸出しのミーハーお殿様だと言うことである。
   出入りの宝井其角(歌六)の弟子であり、句会の常連であった大高源吾(梅玉)が、一向に立ち上がる気配なく貧乏生活をしているのに腹を立てて、御前に茶を持ってきた源吾の実妹の腰元のお縫(米吉)をも嫌って遠避けようとする始末。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言った体である。
   冒頭、両国橋のたもとで、寒さに震えている源吾に、松浦侯から拝領の羽織を与えたと言う其角に、侯はカンカン。其角が、良くやったと褒めると思ったと応酬するのが面白い。

   ところが、句会のその当夜、隣から山鹿流の陣太鼓が鳴り響くと、松浦侯は、指折り数えて討ち入りだと満面の笑み。「三丁陸六つ、一鼓六足、天地人の乱拍子、この山鹿流の妙伝を心得ている者は、上杉の千坂兵部と、今一人は赤穂の大石、そしてこの松浦じゃ」と大音声。
   「助太刀じゃ」といきり立って、馬に跨り突進しようとして、家来たちに制止される。
   そこへ、討ち入りのいでたちで源吾が登場、上野介の首級をあげて本懐を遂げたことを告げる。

   この舞台で、重要なのは、両国橋で其角が、「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み掛けたのに対して、源吾は暫く考えてから、「あした待たるるその宝船」と応える付け句を残して去って行くのだが、松浦候は、この「宝船」が、赤穂浪士の本懐完遂だと知って、感激し、更に、源吾の辞世の句「山をぬく刀も折れて松の雪」に忠義心と風流心をいたく感じて、「褒めてやれ」と声を轟かせて感動に打ち震える。

   
   
   さて、宝井其角だが、松尾芭蕉の弟子で、中でも蕉門十哲の第一の門弟で、江戸俳諧で一大勢力を成したと言われており、かたい正統派の芭蕉とは違って、酒も飲むし、かなり、自由奔放なところがあったようで、この芝居のように、松浦侯にも、ずけずけと正面切って対峙出来たのであろう。 
   これまでも、吉右衛門を相手に、其角を演じた歌六だが、しみじみとした人間味と温かみのある演技が光っていて、冒頭の梅玉の源吾との胸に沁みる会話から俳諧師として立ち居振る舞いまで、実に感動的である。

   主役の松浦鎮信侯だが、オランダとの交易により蘭学のみならず、国学漢学にも通じ、禅や神道を学び、書を嗜む文化人であったと同時に、この芝居にあるように山鹿素行の弟子でもあり、鎮信流として知られる茶道の一派を立てた茶人でもあったと言う。
   先に、討ち入り待望のミーハーと書いたが、元々、ここ歌舞伎は、大坂オリジンのコミカルタッチの芝居であったようで、その名残が江戸バージョンでも濃厚に残っているようであり、流石に、両刀使いの吉右衛門の緩急自在な演技は秀逸で、鷹揚で泰然自若たる殿様然とした雰囲気と、藤山寛美ばりのくだけた田舎大名的な茶目っ気たっぷりのコミカルな風貌が綯い交ぜになっていて、非常に楽しませてくれる。
   今回は、山科閑居で、渋い大星由良之助も演じているが、先月の国立劇場の「弥作の鎌腹」を見れば、吉右衛門の芸域の幅の広さと深さが分かって興味深い。

   米吉が演じたお縫だが、楚々とした美しさ品の良さが、私には眩しかった。
   勿論、梅玉の源吾の語り口も中々で、両国橋での浪人姿と、討ち入り後の浪士の上気した雰囲気など、上手いと思って見ていた。
   今回の梅玉の舞台は、力弥にしろ、乗合船の萬歳にしろ、本来の梅玉の役とは一寸異質だと思うのだが、夫々、直球勝負の清々しさが良い。

   初春大歌舞伎だが、勘三郎、團十郎が欠けた後、三津五郎、仁左衛門、福助と言った名優の休演が加わると、飛車角落としの将棋のようで、一寸、寂しい気がしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする