日経に掲載された幸四郎の「私の履歴書」と、「開演前に」と言うコメント集を収録した本で、幸四郎の関係本は、結構読んでいるので、殆ど新しい情報は感じなかったが、丁度、歌舞伎座で、初春大歌舞伎で、梶原平三と加古川本蔵を演じているので、その舞台を反芻しながら、もう一度、稀有のマルチ大役者松本幸四郎を考えて見た。
歌舞伎の大名跡松本幸四郎を背負った高麗屋の当主として、重圧に抗しながら、歌舞伎界を代表する大役者としてのみならず、ミュージカルやシェイクスピアなど戯曲の舞台でも、大きな功績を残しながら、矍鑠として益々意欲的に芸道を邁進しているのだから、大したものである。
私が最初に幸四郎の舞台を観たのは、井上靖原作の舞台「蒼き狼」のテムジンであった。
それから、次に観たのは、1991年2月、ロンドン・ウエストエンドのサドラーズ・ウェルズ劇場で、イギリスの女優スーザン・ハンプシャーと組んで名声を博した「王様と私」であったので、歌舞伎役者の松本幸四郎の歌舞伎の舞台を観たのは、日本に帰国した1993年以降からである。
しかし、それでも、毎月1~2回は、劇場に通って歌舞伎を見続けているので、幸四郎の歌舞伎の舞台は、随分、観ていることになる。
最初に、幸四郎は、舞台については、歌舞伎、ミュージカル、現代劇(シェイクスピアなど外国劇を含む)の三本柱でやって来たとして、冒頭に長女紀保が、「幸四郎を見ていて、ただ興味本位になんでもやっているのと、なんでもやって、それができているのとでは大違いだということがわかった」と言ったことを引用して、役者幸四郎の生き方を冷静にしかも的確に見てくれていると心に響いた。と書いている。
私は、幸四郎のミュージカルは、「ラ・マンチャの男」しか見ていないし、シェイクスピア戯曲も、蜷川幸雄演出の「オセロ―」しか見ていないので、何とも言えないが、幸四郎が、「外国の芝居は、シェイクスピアであろうと、ギリシャ悲劇であろうと、日本人が日本語で日本の観客のために上演するときは、すべて日本の現代劇だと思っており、そうでなければ、ただの物まねイミテーション外国劇に過ぎないと考えている。」と言っている。
これには、私自身は、あっちこっちで、多くのシェイクスピア劇やオペラを見ていて、この考え方には、多少、違和感を感じている。
古典歌舞伎を伝統的な手法で演じ続けている幸四郎が、何を持って日本の現代劇と言うのか、分からないのだが、いくら普遍的な要素があるとしても、シェイクスピアはヨーロッパ文化を色濃く体現した英国劇であり、ギリシャ悲劇は、古代ギリシャの文化哲学を濃縮した劇であり、能や狂言、和歌や俳句が、日本文化の象徴であるように、その違いにこそ、文化文明的な価値があると思っているので、シェイクスピア戯曲は、やはり、シェイクスピア劇として、出来るだけ、シェイクスピアの意図したバックグラウンドに肉薄して鑑賞したいと思っている。
幸いにも、シェイクスピアは、劇にしろオペラにしろ、ストラトフォード・アポン・エイヴォンやロンドンで、RSCやロイヤル・オペラの舞台を最も多く見ているのだが、そんな観点から、幸四郎の舞台も観ているつもりである。
「王様と私」も、ブロードウェイで、ユル・ブリンナーの舞台を観たし、「マイフェア・レディ」も、同じく、ブロードウェイのレックス・ハリソンの舞台やロンドンのウエスト・エンドの舞台を観たり、コベント・ガーデンを何度も訪れて、感触として作品を味わって来ているつもりである。
このような外国産のオリジナルの舞台を、出来るだけ忠実に真似ようとした演出なり公演がイミテーションと言うのなら分からないでもないが、クラシック音楽の奏者が、ヨーロッパの息吹や文化的な共感なり理解に欠けると生きたサウンドを奏でられないように、やはり、その戯曲なり作品が生まれ出た精神やバックグラウンドは、尊重すべきであろうと思う。
ところで、幸四郎は、「王様と私」の舞台を、松平健に代えられたことについて、次のように語っている。
「王様と私」は65年、22歳でミュージカルに初出演した思い出の作品だ。80年までに出演回数は270回を超えたが、84年、東宝から「次の王様役が他の人に決まった」と告げられた。私は「それが日本のミュージカルのためになるなら」と了承したものの、突然でもあり、何か裏にあるなと感じたが、そんなことはおくびにも出さなかった。
自分なりに「王様と私」に決別しようと、翌年、ブリンナーの舞台を見るためニューヨークに行った。・・・ブリンナーに、自分はこの役を降ろされたと言うと、彼は私の手を握って、「次の王様は君だよ」と激励してくれた。そして、なんと、それから5年後、英国での公演話が舞い込んだのだ。
私は、その幸四郎の「王様と私」の晴れ舞台を、ロンドンで観て、ユル・ブリンナーの舞台同様にイギリスの友と一緒に感激したのである。
さて、幸四郎の歌舞伎だが、私自身は、誰よりも、江戸歌舞伎の芸の神髄である伝統を頑ななほど守り続けている最右翼の歌舞伎役者ではないかと思っている。
勿論、これは古典歌舞伎についてだが、絶えず変化と切磋琢磨・成長を期待して見ていて、代わり映えを愛でると言われている上方歌舞伎の愛好者から見れば、工夫が足らんのとちゃうかと思える程、判で押したように、同じ芝居を演じているように思えてならない。
尤も、この培われた伝統や型は、営々と築き上げられた極致として昇華完成された芸であり、最高の決定版を最高の役者の舞台で鑑賞させて貰っていると言うことであろうから、時には疑問もあるが、取り立てて文句はない。
今回の梶原平三も加古川本蔵も、そんな気持ちで、舞台を観ていた。
ところで、この履歴書で、幸四郎が演じる役どころを、「開演の前に」で書いていて、梶原平三についてのコメントが興味深い。
襲名公演での演目でもあり、
「・・・六郎太夫の忠義と娘梢の親を思う心にうたれた梶原が、二人を救うと言う一幕にしております。」
また、「本当の主役は、六郎太夫と梢だと思っています。・・・六郎太夫親子の情愛があって、その情に討たれて捌き役である梶原が二人を助けてやると言うお芝居。非常に心理描写が細やか。その感動できる舞台をお客様にお伝えできれば」と言っている。
本人も言っているように、歌舞伎の様式的な面白さ、華やかさが注目されがちで、刀の目利き、二つ胴、手水鉢の石切と梶原のお約束が、目立ち過ぎて、幸四郎の芝居ばかりが目立つのだが、これは、私の見方が稚拙なのかも知れないと反省している。
また、加古川本蔵についてだが、「肚を要求される役で、小心者の悲哀と父親の情愛、非常に大きな重い役。」「忠臣蔵の大役中の大役。この場で、これ程の大きな役になったのは、歌舞伎の「創造」の凄さです。・・・娘を思う父の心が良く描かれた役だと思います。」
そんな幸四郎の娘小浪への優しい眼差しや、先の梶原平三の六郎太夫と梢に対する表情や仕草を注意して見ていると、幸四郎の気持ちなり役への微妙な思いやりが見えて来て、あらためて、感動を覚えた。
歌舞伎の大名跡松本幸四郎を背負った高麗屋の当主として、重圧に抗しながら、歌舞伎界を代表する大役者としてのみならず、ミュージカルやシェイクスピアなど戯曲の舞台でも、大きな功績を残しながら、矍鑠として益々意欲的に芸道を邁進しているのだから、大したものである。
私が最初に幸四郎の舞台を観たのは、井上靖原作の舞台「蒼き狼」のテムジンであった。
それから、次に観たのは、1991年2月、ロンドン・ウエストエンドのサドラーズ・ウェルズ劇場で、イギリスの女優スーザン・ハンプシャーと組んで名声を博した「王様と私」であったので、歌舞伎役者の松本幸四郎の歌舞伎の舞台を観たのは、日本に帰国した1993年以降からである。
しかし、それでも、毎月1~2回は、劇場に通って歌舞伎を見続けているので、幸四郎の歌舞伎の舞台は、随分、観ていることになる。
最初に、幸四郎は、舞台については、歌舞伎、ミュージカル、現代劇(シェイクスピアなど外国劇を含む)の三本柱でやって来たとして、冒頭に長女紀保が、「幸四郎を見ていて、ただ興味本位になんでもやっているのと、なんでもやって、それができているのとでは大違いだということがわかった」と言ったことを引用して、役者幸四郎の生き方を冷静にしかも的確に見てくれていると心に響いた。と書いている。
私は、幸四郎のミュージカルは、「ラ・マンチャの男」しか見ていないし、シェイクスピア戯曲も、蜷川幸雄演出の「オセロ―」しか見ていないので、何とも言えないが、幸四郎が、「外国の芝居は、シェイクスピアであろうと、ギリシャ悲劇であろうと、日本人が日本語で日本の観客のために上演するときは、すべて日本の現代劇だと思っており、そうでなければ、ただの物まねイミテーション外国劇に過ぎないと考えている。」と言っている。
これには、私自身は、あっちこっちで、多くのシェイクスピア劇やオペラを見ていて、この考え方には、多少、違和感を感じている。
古典歌舞伎を伝統的な手法で演じ続けている幸四郎が、何を持って日本の現代劇と言うのか、分からないのだが、いくら普遍的な要素があるとしても、シェイクスピアはヨーロッパ文化を色濃く体現した英国劇であり、ギリシャ悲劇は、古代ギリシャの文化哲学を濃縮した劇であり、能や狂言、和歌や俳句が、日本文化の象徴であるように、その違いにこそ、文化文明的な価値があると思っているので、シェイクスピア戯曲は、やはり、シェイクスピア劇として、出来るだけ、シェイクスピアの意図したバックグラウンドに肉薄して鑑賞したいと思っている。
幸いにも、シェイクスピアは、劇にしろオペラにしろ、ストラトフォード・アポン・エイヴォンやロンドンで、RSCやロイヤル・オペラの舞台を最も多く見ているのだが、そんな観点から、幸四郎の舞台も観ているつもりである。
「王様と私」も、ブロードウェイで、ユル・ブリンナーの舞台を観たし、「マイフェア・レディ」も、同じく、ブロードウェイのレックス・ハリソンの舞台やロンドンのウエスト・エンドの舞台を観たり、コベント・ガーデンを何度も訪れて、感触として作品を味わって来ているつもりである。
このような外国産のオリジナルの舞台を、出来るだけ忠実に真似ようとした演出なり公演がイミテーションと言うのなら分からないでもないが、クラシック音楽の奏者が、ヨーロッパの息吹や文化的な共感なり理解に欠けると生きたサウンドを奏でられないように、やはり、その戯曲なり作品が生まれ出た精神やバックグラウンドは、尊重すべきであろうと思う。
ところで、幸四郎は、「王様と私」の舞台を、松平健に代えられたことについて、次のように語っている。
「王様と私」は65年、22歳でミュージカルに初出演した思い出の作品だ。80年までに出演回数は270回を超えたが、84年、東宝から「次の王様役が他の人に決まった」と告げられた。私は「それが日本のミュージカルのためになるなら」と了承したものの、突然でもあり、何か裏にあるなと感じたが、そんなことはおくびにも出さなかった。
自分なりに「王様と私」に決別しようと、翌年、ブリンナーの舞台を見るためニューヨークに行った。・・・ブリンナーに、自分はこの役を降ろされたと言うと、彼は私の手を握って、「次の王様は君だよ」と激励してくれた。そして、なんと、それから5年後、英国での公演話が舞い込んだのだ。
私は、その幸四郎の「王様と私」の晴れ舞台を、ロンドンで観て、ユル・ブリンナーの舞台同様にイギリスの友と一緒に感激したのである。
さて、幸四郎の歌舞伎だが、私自身は、誰よりも、江戸歌舞伎の芸の神髄である伝統を頑ななほど守り続けている最右翼の歌舞伎役者ではないかと思っている。
勿論、これは古典歌舞伎についてだが、絶えず変化と切磋琢磨・成長を期待して見ていて、代わり映えを愛でると言われている上方歌舞伎の愛好者から見れば、工夫が足らんのとちゃうかと思える程、判で押したように、同じ芝居を演じているように思えてならない。
尤も、この培われた伝統や型は、営々と築き上げられた極致として昇華完成された芸であり、最高の決定版を最高の役者の舞台で鑑賞させて貰っていると言うことであろうから、時には疑問もあるが、取り立てて文句はない。
今回の梶原平三も加古川本蔵も、そんな気持ちで、舞台を観ていた。
ところで、この履歴書で、幸四郎が演じる役どころを、「開演の前に」で書いていて、梶原平三についてのコメントが興味深い。
襲名公演での演目でもあり、
「・・・六郎太夫の忠義と娘梢の親を思う心にうたれた梶原が、二人を救うと言う一幕にしております。」
また、「本当の主役は、六郎太夫と梢だと思っています。・・・六郎太夫親子の情愛があって、その情に討たれて捌き役である梶原が二人を助けてやると言うお芝居。非常に心理描写が細やか。その感動できる舞台をお客様にお伝えできれば」と言っている。
本人も言っているように、歌舞伎の様式的な面白さ、華やかさが注目されがちで、刀の目利き、二つ胴、手水鉢の石切と梶原のお約束が、目立ち過ぎて、幸四郎の芝居ばかりが目立つのだが、これは、私の見方が稚拙なのかも知れないと反省している。
また、加古川本蔵についてだが、「肚を要求される役で、小心者の悲哀と父親の情愛、非常に大きな重い役。」「忠臣蔵の大役中の大役。この場で、これ程の大きな役になったのは、歌舞伎の「創造」の凄さです。・・・娘を思う父の心が良く描かれた役だと思います。」
そんな幸四郎の娘小浪への優しい眼差しや、先の梶原平三の六郎太夫と梢に対する表情や仕草を注意して見ていると、幸四郎の気持ちなり役への微妙な思いやりが見えて来て、あらためて、感動を覚えた。