熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

初春大歌舞伎・・・「東慶寺花だより」

2014年01月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎座の新作「陰陽師」に安倍晴明役で主演した市川染五郎(40)が、再び新作に挑戦したのが、今回の「東慶寺花だより」。
   井上やすしが、駆け込み寺で有名な鎌倉の東慶寺を舞台にして描いた男女の悲喜劇物語を、非常に軽妙洒脱なタッチで、歌舞伎化していて、非常に面白い。

   ここで、登場するのは、夫を愛するが故に駆け込んで来た唐子屋内儀おせん(片岡孝太郎)、女房お陸(片岡秀太郎)に頭が上がらず激しい夜の要求に音をあげて逃げてきた作り酒屋国分屋惣右衛門(中村翫雀)、幼馴染に添いたくて労咳を装って堀切屋の隠居から逃れようとする妾のおぎん(市川笑也)。
   悩み抜いて必死になって苦境から逃れようと足掻きながら、東慶寺に駆け込んで来た夫々の男女を題材にして、医者見習の信次郎(染五郎)が、そういった女性たちの身柄を預かる東慶寺門前の御用宿柏屋に間借りをしながら、滑稽本の作者として修業中であり、彼の目を通して、悲喜劇の数々が展開される。
   「蚤蚊虱の大合戦」と言う奇天烈な滑稽本しか書いたことのない新米戯作本作家の信次郎に智慧をつけながら、狂言回しを演じるのが、柏屋主人の源兵衛(彌十郎)で、雇い人たちが、茶々を入れてかき回す。

   面白いのは、駆け込み寺である東慶寺の尼僧模様で、男子禁制であるから、男気に縁のない女性だけの世界であり、男だと言うだけで、色めき立つ庵主法秀尼(東蔵)や法光尼、そして、駆け込んで来て修業をしている女たちの男を見る目が、実に面白い。
   固い筈の法秀尼の藤蔵が、医者代理として患者おぎんを診察に来た信次郎に「若い若い」と言いながらそわそわしながらすり寄ったり、男・惣右衛門が駆け込んで来たと聞くと、信次郎をそっちのけで駆け出して行ったり・・・。

   駆け込み寺であるから、男でも離縁できると勘違いして、遠路はるばる大坂から逃げてきた恐妻家の惣右衛門の翫雀と女房お陸の秀太郎は、大阪弁丸出しのしゃべくりで、特に、翫雀の一気に滔々と吐露する女房の寝間での責め苦をまくし立てる語り口は、藤十郎の紙屋主人の治兵衛の語り口を彷彿とさせて、味があって実に面白い。
   エスプリも諧謔のひねくりも衒いも一切なく、ストレートで思いをまくし立てるこの語り口は、大阪の漫才の世界そのものであろうか。
   上方歌舞伎の重鎮秀太郎の色摩と称された大坂の大店のおかみ・お陸のアタック姿も、新鮮で面白かった。
   とにかく、江戸時代、幕府公認の縁切寺であったこの鎌倉の東慶寺に離縁を求めて多くの女性が駆け込んで来たのだが、男の駆け込みを扱った発想が実にユニークで楽しい。

   そして、舞台をギュッと引き締めていたのは芸達者なおせんの孝太郎で、立て板に水、染五郎や彌十郎の受け答えを手玉にとって受答えする間合いと語り口の良さは、流石である。
   もう一人の駆け込み人のおぎんの笑也だが、実に、ムードのある役者で、薄幸の女を演じさせると、これ程雰囲気のある風情を感じさせて、しっとりと語りかけてくれる人はいない。

   さて、主役の染五郎だが、謂わば、原作者の井上ひさしの分身と言うべきか。
   コミカルタッチのピボット的な役回りだが、このあたりの芸域の広がりは、実父幸四郎よりは、叔父吉右衛門に近く、弥生まで演じ切れる染五郎であるから、これまでにはなかった万能役者としての高麗屋の始まりであろうか。
   井上ひさしの世界からは、まだまだ距離のある駆け出し状態かも知れないが、今、近松門左衛門の心中ものを演じさせても、江戸ベースの役者としては最高峰の役者であるから、将来が楽しみである。

   さて、東慶寺だが、私は、花の寺として、良く訪れる。
   元尼寺であった所為もあってか、花木や草花の植栽が実に優しくて、一風、イングリッシュ・ガーデンの雰囲気があって良い。
   鎌倉に移り住んだので、すぐに行ける距離になったが、まだ、その機会はない。
   
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