熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鎌倉山を散策してみた

2014年01月12日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鎌倉に移り住んでほぼ一か月が過ぎた。
   鎌倉山に隣接した閑静な住宅街なので、八幡宮のある鎌倉旧市内とは違って、緑滴る豊かな空間を楽しめて、千葉とは一寸違ったお洒落なトカイナカ生活を味わうことが出来るのが良い。

   鎌倉山と言っても、鎌倉にいくつもあるそれ程高くもない標高100メートルくらいの丘状の高台が連なっている丘陵地帯で、恵まれた高台の住宅からは、遠くに海が一面に広がり、富士山と江の島が見晴るかせて、非常に眺望を楽しめると言う。
   別荘地として変遷を遂げながら、高度成長期以降に住宅地として再開発され、今では、鎌倉の山の手の高級住宅地として、立派な住宅が軒を連ねている。
   鎌倉山を横切る唯一のさくら通りを南東に向かって歩いたのだが、途中に、海側の道路沿いに、ライオンズヒルズ鎌倉山と言う低層の高級マンションが立っていた。
   反対側の山中に、鎌倉山と言う高級ローストビーフのレストランがある。
   そして、少し歩いたところで、住宅が切れて、折り重なった丘陵の向こうに、曇っていたので定かではなかったが、海が広がっているようで、その向こうに富士山が遠望できるのであろう。
   
   

   鎌倉山散策の起点は、市道大船・西鎌倉線とさくら道との交点「鎌倉山ロータリー」交差点で、そこから、約3kmほどの市道(さくら道)が主要な道路として通っているだけで、バスは、この道を経て鎌倉駅を目指して走っている。
   春には沿道に桜が咲き乱れて美しいと言うことだが、今は、藪椿の真赤な花が、あっちこっちに咲いているだけである。
   
   
   更に、さくら通りを南下して、そば割烹檑亭(らいてい)に向かって歩いた。
   ウイキペディアによると、
   別荘分譲開始と共に建てられた別荘だったが、昭和44年(1969年)に料亭となった。山門は鎌倉市西御門にあった寿延山高松寺で寛永19年(1642年)に建立された物を、建物は横浜市戸塚区にあった江戸時代の養蜂農家猪熊家の旧宅をそれぞれ別荘建築の際に移築し、店舗用に改装したものである。また建物内部には明治初期に輸入されたシャンデリアや、日本で初めて生産されたステンドグラスなどが今でも使われている。なお、店名の由来は、当地がすりこぎ(檑)に適した山椒の木が多かったためという。2003年に鎌倉市の「景観重要建築物」に指定された。と言うことである。
   

   1時半を過ぎていたのに、道路沿いの駐車場には、ひっきりなしに車が出入りしており、タクシーで来る客もあるのを見ていると、かなり、辺鄙なところなので、人気があるのであろう。
   実は、お茶やお花は勿論、能や浪曲なども習っている日本文化どっぷりの友人が、今度のアラスカ会(アラスカプロジェクトで一緒した仕事仲間の同窓会)の会場として指定しているので、月末に、ここで会食することになっている。
   この友人は、大学では建築学、加州大バークレーでは、不動産学修士を収め、京大の工学博士でもあると言う英才なのだが、私の知らない粋な世界や価値ある文化生活の息吹をインスパイア―してくれている。

   この日は、比較的にアップダウンも少ないこのさくら通りも、車や人が少なくて、散策には丁度良かったが、シーズンには賑わうのであろう。
   結局、檑亭の少し先まで歩いて、引き返したので、ほんの小一時間の散策で、歩数5000程度にしか過ぎなかったが、勾配があったので、まずまずの散歩であったと思っている。
   
コメント
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