熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

十月大歌舞伎・・・「伊勢音頭恋寝刃」

2014年10月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この「伊勢音頭恋寝刃」は、伊勢参りで賑わっていた古市の遊郭・油屋で宇治山田の医者孫福斎が仲居のおまんらを殺害した事件を劇化した際物(キワモノ)芝居で、事件記者よろしく現場に駆けつけて、心中もの浄瑠璃を物して一世を風靡した近松門左衛門ばりの歌舞伎である。

   勿論、この芝居は、重宝青江下坂の名刀探索のお家騒動ものなので、この名刀の行方を追い駆ける福岡貢(勘九郎)が主人公の筈なのだが、この「油屋店先」の場では、仲居の万野(玉三郎)が、完全に主役を食った感じで、久しぶりに、悪女を演じた玉三郎の芸が冴えきっていて非常に面白い。
   この万野を、歌右衛門や芝翫、菊五郎、勘三郎と言った名優が演じたと言うのだから、立役・女形に拘わらず、重要な役柄なのである。

   大分前に、この意地の悪い中年仲居万野を、福助が、黒い着物を着て、歯を黒く染めて顔を横に引きつらせて、声音も完全にばあさん風にかえるなど、イメチェンして演じた舞台が、印象に残っている。
   あの時には、福岡貢を片岡仁左衛門が、恋仲の油屋お紺を時蔵が演じていたのだが、福助の万野しか記憶にはないので、とにかく、面白かったのであろう。

   この万野だが、貢が油屋にやって来て、お紺に会わせて欲しいと頼むのだが、嫌がらせをして会わせず追い出そうとするが、替わり妓を呼ぶと言うと手のひらを返したように愛想良くなる。
   その替わり妓が、貢にぞっこんのブスの油屋お鹿(橋之助)なのだが、万野は、貢との仲立ちをするとたぶらかして、偽のラブレターをでっち上げてお鹿に金を出させて着服し、満座の前で、貢に罪を着せて窮地に追い込む。
   この万野だが、貢の主人の家宝を奪う悪者に加担しており、この意地の悪さとしたたかさで貢と渡り合う丁々発止の遣り取りが実に面白く、芸達者な玉三郎の真骨頂爆発の舞台であり、正に、人間国宝の至芸である。
   それに、厳つい女形で登場した橋之助のお鹿とのコミカルタッチの掛け合いが、また、秀逸である。

   立役の橋之助が、鬘をつけて頬紅をさして着物姿で登場すると、それだけで、客席から拍手が湧く。中々の女ぶりだが、ぎこちなくて納まりの悪いところが愛敬である。
   悪女の深情けと言う訳ではないのだろうが、やはり、悪女でなくても、相性の合わない女性に恋焦がれられても、迷惑千万、一寸、実父芝翫の面影を覗かせる伯父の橋之助のお鹿を相手に、苦笑交じりで応える勘九郎の貢の微妙な表情が面白い。

   余談が長くなってしまったが、
   この場では、遊郭・油屋へ上がるために、万野に刀を預けろと言われて、仕方なく、貢は、名刀を預けることとなり、中に入った元家来筋の料理人喜助(仁左衛門)に代わりに預けて、敵方岩次(桂三)のすり替えの難を逃れるとか、
   岩次たちと登場したお紺が、万野に大恥をかかせられた貢に、愛想尽かしをして岩次に靡くふりをして、岩次が持っている折紙を取ろうと目論むのだが、それを知らない貢は、激怒して、喜助から刀を取り上げて出て行く。

   次の「油屋奥庭」は十人切りの段で、怒りに燃えて鬼と化した貢が、岩次たちを次から次へと切り殺す激しい立ち回りが演じられるのだが、その前に、刀をすり替えられたと思った貢が、引き返して、万野と諍い誤って切り殺す。
   派手な殺戮劇を演じ終えた貢の前に、折紙を持ったお紺が現れ、喜助が駆け込んで来て、貢が、人を切り殺した手持ちの刀が、青江下坂の名刀だと告げたので、お家の重宝が総て手元に戻り、万々歳。
   三人が大見得を切って幕。
   貢は後を喜助に託すと、伊勢音頭の聞こえる中、大事な二品をもって国元へと急ぐ。と言うことらしいが、凄惨な人殺しを演じた貢の罪と裁きは、どうなるのであろうか。

   何らかの形で、伊勢音頭を絡ませておれば、義平次を殺して、祭囃子に紛れて消えて行く団七のように、「夏祭浪花鑑」のような夏祭りのアンニュイな雰囲気が漂って、凄惨な殺戮のシーンも、もう少し、ムードを醸し出せたのではないであろうか。

   この歌舞伎では、油屋の場のお紺の愛想づかしと、貢の殺し場の凄惨美が見せ場。と言う。
   ニューヨークでも褒められたが、七之助の若い女は、実に色気と女らしい優しさ温かさがあって良い。
   思う男への思いを必死に堪えながら、滔々と捲し立てる愛想づかしの切なさ、しんみりとさせて素晴らしい。

   一方、どことなく頼りない弱さが滲む貢を、勘九郎が実に爽やかに演じていて、実父勘三郎より上背があってすっきりとした男振りが中々良く、粋な立ち回りが絵になっている。
   玉三郎の万野に、もっと強く啖呵を切って突っぱねれば良いのにと思わせる弱さが、この芝居のストーリー展開であろうが、激昂して飛び出して行って、偽刀だと気付いて引き返して万野を殺め、奥庭で、立て続けに殺戮を演じると言う異常なテンションの高揚と言うアンバランスが、面白いのかも知れない。
   前述した舞台では、勘九郎は、今回、主筋の今田万次郎(梅玉)を思う油屋お岸(児太郎)を演じていたのだが、あの頃は、祖父芝翫の意向で、女形を演じていたのが面白い。

   さて、今月の歌舞伎座は、二人の勘三郎の追善供養の公演であったので、一階ロビーで、二人の遺影が客を迎えていた。
   
   
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