人間国宝の柳家小三治がトリを務める特別プログラムの寄席なので、売り出しと同時に、チケットはすぐに完売で、取得できなかった。
ところが、開演10日前くらいであろうか、国立劇場のホームページを開いて他の寄席の予約を入れようとしたら、何故か、再び、この芸術祭寄席の消えていた「申し込む」の表示がオレンジ色に変わっていたので、喜んでクリックして取得した貴重なチケットだったのでである。
小三治の出し物は、「長短」。
幼なじみである気の長い長さんと、気の短かい短七との、どうにも噛み合わない愉快な会話が展開され、それを実に表情豊かに、話芸の頂点を極めた人間国宝が語るのであるから、面白くない訳がない。
長さんが、のっそりとやって来て、鷹揚に語り始めたのは、夜中に小用のために起きて戸をあけて外を見たら星がなくて明るかったので明日は雨だろうと思ったら雨だったと言う話を、超スローテンポで語るので、短七は頭にくる。
菓子を食わせたら、いつまでもくちゃくちゃやっていて、イラついた短七が、腐っちまうと、ひったくって一気に口へ放り込んでゴクン。
極め付きは、煙草。
のろのろキセルを使って吸い始めるのを見て、短七が、急ぐ時には、火をつける前にキセルをはたくくらいだと早業を披露する。
ところが、はたいた火が、袂に入り込んだのを見ていた長さんが、怒るだろうな、怒らない、怒るだろうなと言いながら、短七が怒らないと言ったので、これも、超スローテンポで注意するので、袖を焼け焦がしてしまった短七はカンカン。
怒ったではないか。やっぱり、教えないほうが良かった。
気が長くてスローテンポの長さんと極めて短気な短七が、何故か、喧嘩一つしたことのない幼馴染の仲良し。
お互いに惹かれあっている絶妙な人間関係が、この落語のよいところ。
最後に、落語は、客を笑わせることで良しと考えていたが、このように気の長い人間と気の短い人間が仲良く生きている、この良さが分かってこそ、こんな話が語れるのだと言って、観客を喜ばせていた。
しみじみと心に沁みる、人間としての幸せを噛みしめながら生きる喜びを語り継ぐ、それが落語だと言うことであろうか。
ところで、この日、日頃身のまわり一切をアシスタントしている女性が病気で、一人で高田馬場の家を飛び出し舞台衣装を忘れて楽屋へ駆け込んで来たので、羽織は喜多八から、着物は小はぜから借りて登場したと言うことで、まくらは、この失敗談をひとくさり。
この羽織は、文楽譲りとか。
少し小さくて身に合わないので、登壇するとすぐに脱いで丁寧に畳み始めた。
「袖たたみ」と言うたたみ方だと、ここ何十年も羽織をたたんだことはないのだが、若い頃に覚えたことは今でもやれると、懐かしそうに語った。
何でも、自分で考えてやらないとバカになる。最近は、何事も、「マニュアル通り(この言葉、度忘れして、客席から声がかかった)」にやる若者の風潮を嘆いていた。
この「長短」の噺の後、お囃子を制して、もう一つ、と師匠小さんとの話を語り始めた。
弟子でありながら、小さんからは、何も教えてもらわなかった。他の落語家が聞きに行けば丁寧に教えていたのに、自分は、「聞いて盗め」とだけ言われ続けていたと言う。
高座で語れば、「誰から教わったのだ」と小言を言われ、芸を盗んでは怒られて、一度「お前の落語は面白くない」と言われたことがある、と言う。
ドイツのマイスターの修業も、マイスターの仕事を通して技を磨いたと言うことであるし、日本の古い職人や芸人の育て方も、師の技や芸を盗み取ると言う手法が優勢であったことを思えば、異常でもないのであろう。
考えてみれば、弟子は、師匠にとって最大のライバルであるから、師匠は、獅子の親子と同じように、子獅子を千尋の谷そこに突き落として必死に這い上がってきて凌駕されることを一番恐れ、一番願っていたのではないかと思うのである。
芸の道の奥深さは、分からないので、口幅ったい言い方をして失礼だが、そんな気がしている。
もう少し、本格的な噺を聞きたいと思っていたのだが、小三治の豊かな人間性の片鱗に接した貴重な機会に出合えて幸せであった。

ところが、開演10日前くらいであろうか、国立劇場のホームページを開いて他の寄席の予約を入れようとしたら、何故か、再び、この芸術祭寄席の消えていた「申し込む」の表示がオレンジ色に変わっていたので、喜んでクリックして取得した貴重なチケットだったのでである。
小三治の出し物は、「長短」。
幼なじみである気の長い長さんと、気の短かい短七との、どうにも噛み合わない愉快な会話が展開され、それを実に表情豊かに、話芸の頂点を極めた人間国宝が語るのであるから、面白くない訳がない。
長さんが、のっそりとやって来て、鷹揚に語り始めたのは、夜中に小用のために起きて戸をあけて外を見たら星がなくて明るかったので明日は雨だろうと思ったら雨だったと言う話を、超スローテンポで語るので、短七は頭にくる。
菓子を食わせたら、いつまでもくちゃくちゃやっていて、イラついた短七が、腐っちまうと、ひったくって一気に口へ放り込んでゴクン。
極め付きは、煙草。
のろのろキセルを使って吸い始めるのを見て、短七が、急ぐ時には、火をつける前にキセルをはたくくらいだと早業を披露する。
ところが、はたいた火が、袂に入り込んだのを見ていた長さんが、怒るだろうな、怒らない、怒るだろうなと言いながら、短七が怒らないと言ったので、これも、超スローテンポで注意するので、袖を焼け焦がしてしまった短七はカンカン。
怒ったではないか。やっぱり、教えないほうが良かった。
気が長くてスローテンポの長さんと極めて短気な短七が、何故か、喧嘩一つしたことのない幼馴染の仲良し。
お互いに惹かれあっている絶妙な人間関係が、この落語のよいところ。
最後に、落語は、客を笑わせることで良しと考えていたが、このように気の長い人間と気の短い人間が仲良く生きている、この良さが分かってこそ、こんな話が語れるのだと言って、観客を喜ばせていた。
しみじみと心に沁みる、人間としての幸せを噛みしめながら生きる喜びを語り継ぐ、それが落語だと言うことであろうか。
ところで、この日、日頃身のまわり一切をアシスタントしている女性が病気で、一人で高田馬場の家を飛び出し舞台衣装を忘れて楽屋へ駆け込んで来たので、羽織は喜多八から、着物は小はぜから借りて登場したと言うことで、まくらは、この失敗談をひとくさり。
この羽織は、文楽譲りとか。
少し小さくて身に合わないので、登壇するとすぐに脱いで丁寧に畳み始めた。
「袖たたみ」と言うたたみ方だと、ここ何十年も羽織をたたんだことはないのだが、若い頃に覚えたことは今でもやれると、懐かしそうに語った。
何でも、自分で考えてやらないとバカになる。最近は、何事も、「マニュアル通り(この言葉、度忘れして、客席から声がかかった)」にやる若者の風潮を嘆いていた。
この「長短」の噺の後、お囃子を制して、もう一つ、と師匠小さんとの話を語り始めた。
弟子でありながら、小さんからは、何も教えてもらわなかった。他の落語家が聞きに行けば丁寧に教えていたのに、自分は、「聞いて盗め」とだけ言われ続けていたと言う。
高座で語れば、「誰から教わったのだ」と小言を言われ、芸を盗んでは怒られて、一度「お前の落語は面白くない」と言われたことがある、と言う。
ドイツのマイスターの修業も、マイスターの仕事を通して技を磨いたと言うことであるし、日本の古い職人や芸人の育て方も、師の技や芸を盗み取ると言う手法が優勢であったことを思えば、異常でもないのであろう。
考えてみれば、弟子は、師匠にとって最大のライバルであるから、師匠は、獅子の親子と同じように、子獅子を千尋の谷そこに突き落として必死に這い上がってきて凌駕されることを一番恐れ、一番願っていたのではないかと思うのである。
芸の道の奥深さは、分からないので、口幅ったい言い方をして失礼だが、そんな気がしている。
もう少し、本格的な噺を聞きたいと思っていたのだが、小三治の豊かな人間性の片鱗に接した貴重な機会に出合えて幸せであった。

