熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場の中席落語

2014年10月18日 | 落語・講談等演芸
   久しぶりの国立演芸場である。
   事前にチケットを買うと、先日も喜多能楽堂での貴重なチケットをフイにしてしまったりするので、この日は、随分空席があり、直接劇場に出かけてチケットを買った。
   人気のわりには、私にとっては、結構、面白かった。

   トリの三遊亭歌司は、「紺屋高尾」。
   神田の紺屋の染物職人久蔵が、吉原で花魁道中を見て絶世の美女である高尾太夫に一目惚れして恋煩いで寝込むのだが、3年間一生懸命働いて、10両の金を貯めて三浦屋で初回を迎える。
   花魁に「今度はいつ来てくんなます」と訊ねられて感極まって、「ここに来るのに三年、必死になってお金を貯め、今度といったらまた三年後。」と正直に苦しい胸の内を吐露する。
   高尾は、ホロリの涙ぐみ、大名相手とは言えお金で枕を交わす卑しい身を、三年も思い詰めてくれるとはと、久蔵の至誠を感じてこの人なら間違いないと思って、自分は来年の三月十五日に年季が明けるから、その時女房にしてくんなますかと言う。
   実に爽やかな純愛物語だが、実際にあった噺のようで、ウィキペディアには、
   5代目 - 紺屋高尾。駄染高尾とも。神田お玉が池の紺屋九郎兵衛に嫁した。駄染めと呼ばれる量産染色で手拭を製造し、手拭は当時の遊び人の間で流行したと伝わる。のち3人の子を産み、80歳余まで生きたとされる。
   私は、こう言う話が好きなので、しみじみと語る歌司の話に聞き惚れていた。

   もう一つ面白かったのは、柳家はん治の「妻の旅行」。
   桂文枝の創作落語で、元々は大阪のおばはんをテーマにした話であろうが、とにかく口やかましくて、愚痴や嫌味など言葉の端々に茶々を入れてかき回し、気の休まる暇のない亭主が、妻が一週間旅行に出ると言うので、嬉しさを噛み殺して、心にもない小言を言ったと言う。
   これを聴き付けた息子がやって来て、何故、喜んで送り出してやらないのかと言うので、お前は読みが浅い、前にそう言ったら、普通なら一緒に行きたがり喜んで送り出してくれる筈なのに、何か悪いことを企んでいるのではないかと散々とっちめられたので、逆を言ったのだと言う。
   とにかく、江戸バージョンになっているものの、テレビから箸の上げ下ろしまでとやかく言う妻の小言や茶々、それに受け答えする亭主との頓珍漢の会話が、実に面白い。
   妻の旅行、鬼の居ないこの留守は、亭主にとっては至福の時なのであろう。
   三枝バージョンでは、妻が出かけて行ったので、喜んで羽を伸ばそうとした瞬間、ドアのチャイムがなって、誰かと思って出てみたら、妻が「一人行けない人ができたから、一緒に行こう」ということになり、これがサゲだと言う。
   はん治のサゲは何だったか忘れてしまったが、とにかく、狂言で言う「わわしい女」の落語版と言うところか、この夫婦の泣き笑いの日常が彷彿として非常に面白い。

   さて、いずれも、夫婦の物語だが、まず、最初は、直覚の愛、一目惚れである。
   久蔵も高尾も、第一感で、総てを決めている。
   私は、直覚の愛を信じる方で、いくら考えても、ヘタな考え休むに似たりと言う感じではないかと思っている。
   昔、ある老舗の女将さんから聞いた話だが、若い時に三高を選んで結婚したのだが、すぐに分かれたと言っていたのを思い出す。
   恋とか愛とかと言うのは、理屈抜きの人間の情ではないかと言う気がするのだが、どうであろうか。

   後の話は、夫婦の問題だが、長く続いておれば、どこかに妥協なり、あいまいな空間が出来て均衡を保つのではないかと思う。
   落語には、このような夫婦間のすれ違い話が結構多くて面白いのだが、
   若かりし頃の馴れ初めが、どんなだったか、多分、初々しく恋を語った間柄ではなかったのではないかと思うと、益々、面白くなってくる。
   
コメント
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