最新のロシア関連本であろう、それに、中村喜和一橋大名誉教授と和田春樹東大名誉教授と言う日本におけるロシア学の権威の書物であるから、小冊子ながら、非常に微に入り細に入った歴史的な記述も多くて、非常に内容のある本である。
しかし、世界歴史の旅の本で、モスクワ・ザンクトペテルブルク・キエフと言うタイトルが示すように、このロシアの三つの都の歴史と現在の姿を通じてロシアの歴史と社会を探る試みとして描かれている。
したがって、どちらかと言うと、これらの都市の名所旧跡を巡りながら、歴史物語を語っており、故事来歴を重視したガイドブックに近い体裁を取って、ロシアの歴史と社会を描出しているのである。
まず、名所旧跡を辿るとなると、どうしても壮大な教会など宗教関連建物が多くなる。
しかし、一時、共産主義革命時には、宗教が否定された。
そのあたりの関係が、歴史にどのような影を落としているのか、非常に興味を感じた。
ロシアは、敬虔なギリシャ正教の国である。
ウラジミール公が、988年、東ローマ帝国から皇帝の妹アンナを后に娶って、キリスト教を受け入れて以来、ロシアの歴史においては、ギリシャ正教が、極めて重要な役割を果たしており、政治経済社会の動向は勿論、ロシア文化においても、そのバックボーンを形成していたと言っても間違いではなかろう。
ところが、ソ連時代には、「宗教はアヘンである」主義の遂行で、何百と言う修道院や聖堂が解体破壊され、対ナポレオン戦勝記念として建造された救世主キリスト聖堂を、レーニン像を頂いた「ソヴィエト宮殿」建設を意図して爆破されたと言う。
ソ連崩壊後の宗教関係については、この本も先日の「ロシア・ロマノフ王朝の大地」にもほとんど触れられていないので不明だが、最近のテレビ放映などで見る限りにおいては、再び、ギリシャ正教が、ロシア国民生活の中に蘇って来たのであろうと思われる。
熾烈を極めた第二次世界大戦や過酷な共産主義の辛酸を舐め尽くした忍従生活においても生き続けてきた宗教心、そして、辛くも残された聖堂や修道院などの歴史遺産が健在であったことを、多とすべきであろう。
1980年の大阪万博の時に、ソ連館に、木造の素晴らしいキリスト教会の模型が展示されていたのを覚えているのだが、あの時、幽かに、「宗教はアヘン」と言っているが、芸術は別なのであろうか疑問を感じた。
その後、スウェーデンで、木造の簡素で美しい木造寺院を見て感激したのだが、あの模型がどこにあるロシアの歴史遺産なのか、興味を持っている。
壮大華麗な大聖堂も素晴らしいが、忍従に忍従を強いられ続けてきた多くの農奴たちが作り上げてきたロシアの遺産として、木片を重ねて作り上げた教会の方が、似つかわしい様に思うのである。
この本を読んでいて、いくらか興味深い記述があった。
造船づくりを学びたくて、自ら工員としてオランダで働いたと言うピョートル1世は、若い時から、外国人居留地のドイツ村に足しげく通って、ヨーロッパの先進技術に親しみ、側近の貴族を住まわせたと言う。
ピュートル1世の協力者ニコライ・ペトローヴィッチは、オランダのライデン大で西洋流の教養を身につけ、道楽が演劇であったので、農奴劇団を作って、農奴の中から芝居や音楽の才能のあるものを選抜して芝居の一座やオーケストラを結成して、無料で公衆の娯楽に供したと言う。
農奴劇団は、170を越えて存在していたとかで、これらが、マリインスキー劇場やボリショイ劇場の走りだと言うから面白い。
イギリスのシェイクスピア劇団は、民衆から生まれた劇団だが、宮内大臣一座や国王一座としてお抱えになっており、日本の能の世界とよく似ていているのが面白い。
トルストイの「戦争と平和」は、対ナポレオン戦争を描いた小説だが、その後を知らなかった。ロシアが勝利して、ナポレオン軍を追ってパリ入場を果たしたと言う。
この時、ヨーロッパの国々に赴いた将校たちが、当地の社会制度や人々の暮らしを見て、如何にロシアが遅れているかに衝撃を受けて、その民主化気運が「デカブリスト」の運動に繋がったと言う。
ピョートル大帝が、目的はスウェーデン対策であったにしろ、首都をザンクトペテルブルクに移して、ヨーロッパへの窓口としたのは、正解だったのであろう。
ところで、ロシアの起こりは、今、ロシアと紛争を起こしているウクライナのキエフである。
ところが、このキエフ公国を起こしたのはバイキングで、相当期間まで、大公や取り巻きは殆どスカンジナビア人であったようだし、それに、周りに隣接するモンゴルの襲来に苦しむなど、ロシアの基礎は、長い間、不安定であったようで、どうにか安定し始めたのは、14世紀初頭のモスクワでのイヴァン1世以降のようである。
しかし、この本は写真も多くて楽しめるのだが、読んでいると、結構歴史の新しい、いわば、後進国とも言うべきロシアが、このような壮大な文化文明を残しているのに驚いてしまう。
やはり、ロシアは、大国なのである。
しかし、世界歴史の旅の本で、モスクワ・ザンクトペテルブルク・キエフと言うタイトルが示すように、このロシアの三つの都の歴史と現在の姿を通じてロシアの歴史と社会を探る試みとして描かれている。
したがって、どちらかと言うと、これらの都市の名所旧跡を巡りながら、歴史物語を語っており、故事来歴を重視したガイドブックに近い体裁を取って、ロシアの歴史と社会を描出しているのである。
まず、名所旧跡を辿るとなると、どうしても壮大な教会など宗教関連建物が多くなる。
しかし、一時、共産主義革命時には、宗教が否定された。
そのあたりの関係が、歴史にどのような影を落としているのか、非常に興味を感じた。
ロシアは、敬虔なギリシャ正教の国である。
ウラジミール公が、988年、東ローマ帝国から皇帝の妹アンナを后に娶って、キリスト教を受け入れて以来、ロシアの歴史においては、ギリシャ正教が、極めて重要な役割を果たしており、政治経済社会の動向は勿論、ロシア文化においても、そのバックボーンを形成していたと言っても間違いではなかろう。
ところが、ソ連時代には、「宗教はアヘンである」主義の遂行で、何百と言う修道院や聖堂が解体破壊され、対ナポレオン戦勝記念として建造された救世主キリスト聖堂を、レーニン像を頂いた「ソヴィエト宮殿」建設を意図して爆破されたと言う。
ソ連崩壊後の宗教関係については、この本も先日の「ロシア・ロマノフ王朝の大地」にもほとんど触れられていないので不明だが、最近のテレビ放映などで見る限りにおいては、再び、ギリシャ正教が、ロシア国民生活の中に蘇って来たのであろうと思われる。
熾烈を極めた第二次世界大戦や過酷な共産主義の辛酸を舐め尽くした忍従生活においても生き続けてきた宗教心、そして、辛くも残された聖堂や修道院などの歴史遺産が健在であったことを、多とすべきであろう。
1980年の大阪万博の時に、ソ連館に、木造の素晴らしいキリスト教会の模型が展示されていたのを覚えているのだが、あの時、幽かに、「宗教はアヘン」と言っているが、芸術は別なのであろうか疑問を感じた。
その後、スウェーデンで、木造の簡素で美しい木造寺院を見て感激したのだが、あの模型がどこにあるロシアの歴史遺産なのか、興味を持っている。
壮大華麗な大聖堂も素晴らしいが、忍従に忍従を強いられ続けてきた多くの農奴たちが作り上げてきたロシアの遺産として、木片を重ねて作り上げた教会の方が、似つかわしい様に思うのである。
この本を読んでいて、いくらか興味深い記述があった。
造船づくりを学びたくて、自ら工員としてオランダで働いたと言うピョートル1世は、若い時から、外国人居留地のドイツ村に足しげく通って、ヨーロッパの先進技術に親しみ、側近の貴族を住まわせたと言う。
ピュートル1世の協力者ニコライ・ペトローヴィッチは、オランダのライデン大で西洋流の教養を身につけ、道楽が演劇であったので、農奴劇団を作って、農奴の中から芝居や音楽の才能のあるものを選抜して芝居の一座やオーケストラを結成して、無料で公衆の娯楽に供したと言う。
農奴劇団は、170を越えて存在していたとかで、これらが、マリインスキー劇場やボリショイ劇場の走りだと言うから面白い。
イギリスのシェイクスピア劇団は、民衆から生まれた劇団だが、宮内大臣一座や国王一座としてお抱えになっており、日本の能の世界とよく似ていているのが面白い。
トルストイの「戦争と平和」は、対ナポレオン戦争を描いた小説だが、その後を知らなかった。ロシアが勝利して、ナポレオン軍を追ってパリ入場を果たしたと言う。
この時、ヨーロッパの国々に赴いた将校たちが、当地の社会制度や人々の暮らしを見て、如何にロシアが遅れているかに衝撃を受けて、その民主化気運が「デカブリスト」の運動に繋がったと言う。
ピョートル大帝が、目的はスウェーデン対策であったにしろ、首都をザンクトペテルブルクに移して、ヨーロッパへの窓口としたのは、正解だったのであろう。
ところで、ロシアの起こりは、今、ロシアと紛争を起こしているウクライナのキエフである。
ところが、このキエフ公国を起こしたのはバイキングで、相当期間まで、大公や取り巻きは殆どスカンジナビア人であったようだし、それに、周りに隣接するモンゴルの襲来に苦しむなど、ロシアの基礎は、長い間、不安定であったようで、どうにか安定し始めたのは、14世紀初頭のモスクワでのイヴァン1世以降のようである。
しかし、この本は写真も多くて楽しめるのだが、読んでいると、結構歴史の新しい、いわば、後進国とも言うべきロシアが、このような壮大な文化文明を残しているのに驚いてしまう。
やはり、ロシアは、大国なのである。