近松門左衛門の晩年の最高傑作のひとつ「心中天網島」の改作版が、今回の国立劇場の文楽公演の目玉「天網島時雨炬燵」である。
近松版と比べて、この改作版の方の公演は少ないのだが、物語としては面白い。
1720年に紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件がおこり、「国性爺合戦」でブームを呼んだとしても、竹本義太夫も亡くなって、少し落ち目になっていた竹本座を起死回生すべく、門左衛門が一気に書き上げた浄瑠璃なのだが、人気が出なかったと言う。
とにかく、文学作品としては高級であっても、救いようのない程暗い作品だということであろうか、代わった筋を追って行くと面白い。
中之巻の「天満宮前町紙屋治兵衛内の段」で、小春が身請けされそうで、治兵衛がおさんの母に小春と縁を切ると言う誓詞を差し出して安心させるのだが、炬燵に入って寝込んで泣いている治兵衛を、おさんが見て、まだ小春に未練があるのかと女房の懐に鬼が済むか蛇が住むかと苦しい胸の内をかき口説いて責めるところは、そのまま残っており、これが、この浄瑠璃の最高の切場である。
ところが、その前に、小春を争っている太兵衛と隠居坊主伝界が、治兵衛が借金して返した金が贋金だと怒鳴り込んで来るのだが、なれ合いの悪事がばれて退散すると言う、曽根崎心中ばりの挿話を付け加えて、伝界に「ちょんがれ」で治兵衛を揶揄させるなど、観客サービスか、蛇足だと思える話が付加されている。
また、この段の父親五左衛門がやって来て、おさんを無理やり連れ帰るところあたりまでは、近松版と殆ど同じである。
近松版は、これで終わっているのだが、今回の舞台は、
その後、この世の別れに一目治兵衛に会おうと、小春がやってくる。
おさんに言われたと言って、丁稚の三五郎が二人の祝言を行うが、二人は末期の水杯として酌み交わす。
そこに、尼姿の娘のお末が現れて、纏っている白無垢には、おさんの字で、小春への礼と二人が夫婦になるよう、五左衛門の字で、箪笥に小春身請け用の金子が入れてあること、おさんを尼にした旨が書かれている。
折から門口に、小春を探しに太兵衛たちが現われて治兵衛を殺そうとしたので、逆に切り殺す。
近松の下之段の「蜆川新地茶屋大和屋の段」では、おさんを連れ戻され、小春の身請け金もなく万策尽きた治兵衛が小春との始末をつけるために、大和屋に行き、くぐり戸から抜け出してきた小春と手を取り合って死出の旅へ。
そして、道行名残の橋づくし 大長寺藪外の段に繋がって行く。
今回の改作版では、小春身請け金も手に入り、妻と義父の好意で治兵衛と小春の結婚には、何の障害もなくなったのだが、二人は、小春が尼になったと聞いて絶句し、心中すべく、網島に向かう。
近松版を近松半二が増補して、更に改作されたのが今回の「天網島時雨炬燵」だと言うのだが、大分、筋書が観客受けを狙った感じであり、字余りの門左衛門節が、七五調の流麗な浄瑠璃になっていると言う。
この段は、小春もそうだが、健気で人情が厚くて優しいおさんの心の軌跡を最大のテーマとした浄瑠璃であるので、一人寝の寂しさをかき口説き、治兵衛を諦めてくれと言って差し出した自分の手紙のために死を決意した小春を助けようと、必死になって金を工面すべく立ち働く健気な姿や、父親に引きずり出そうとされながら、幼い子供のことに心を痛める健気さ等々、これらのストーリー展開だけでも十分だと思っている。
小春をこの家に入れたらお前はどうするのだと言う治兵衛の能天気な言葉に対して、「ハテ、何としょう。子どもの乳母か飯たきか、・・・」とわっと泣き伏す。
ガシンタレで商才もなく女郎にうつつを抜かして家を省みない治兵衛に代わって、紙屋の仕事を、一切取り仕切って切り盛りしている健気なおさんの涙である。
小春を受けだす金がないと言われて、金子50両に加えて、殆ど何もなくなった箪笥から最後に残った子供の着物まで総てをかき集めて、ほぼ20両分を、「夫の恥と我が義理を、一つに包む風呂敷の内に、情けぞ籠りける」、と言う夫に立てる貞節。
さて、平成19年の「天網島時雨炬燵」は、通し狂言で、今回の「紙屋内の段」だけではなく、前に、「北新地河庄の段」そして、後に、「道行名残の橋尽し」が演じられていて、治兵衛が勘十郎、小春が和生、おさんが簑助で、粉屋孫右衛門を玉女が遣っており、「河庄」の切場を住大夫と錦糸、「紙屋内」の切場を嶋大夫と清助。
今回は、治兵衛が玉女、小春が簑助、おさんが和生で、切場は嶋大夫と錦糸が務めている。
これまで、おさんは、文雀が遣っていることが多かったので、一番弟子であり文雀の芸を一番忠実に継承しているのは和生であるから、文句なしのおさん遣いと言えよう。
この舞台のタイトルロールと言うべき人形で、おさんの健気さ優しさ一途の姿が胸を打つ。
近松物をやりたいと語っていた玉女の東京最後の舞台が紙屋治兵衛、大阪の襲名披露公演でも、この治兵衛を演じる。
派手な動きが少なく、誠心誠意姿で見せる心理描写が真骨頂か、存在感を示した舞台であった。
簑助の小春の神々しさ女らしさ。
曽根崎新地の安遊女と言う設定の小春なのだが、黒ずくめのパリッとした衣装で登場して、簑助が遣うと、人形は匂うように色香を発散して優雅に見える。
治兵衛に思いをぶっつける時に、簑助の小春は、正面から対するのではなく、やや、斜め横から縋り付くような形で体を預けるのだが、その艶めかしさの何とセクシーなこと。
悲劇でありながら、簑助の遣う女形の人形は、小さな胸を激しく律動させながら息づいていて、生身以上の得も言われぬ多くの感情を呼び起こしてくれるのである。
玉男と築き上げて来た近松の世界を、玉女に必死になって体当たりで伝授しているように思って、感動しながら見ていた。
この「天網島時雨炬燵」の紙屋内の段の切場は、嶋大夫が務めていて、今回は、錦糸との新コンビである。
演台に手をついての熱演が、おさんの切なさ悲しさ、健気さを叩きつけて胸に迫る。
人形の慟哭が如何に凄いか、胸に沁みる舞台である。
近松版と比べて、この改作版の方の公演は少ないのだが、物語としては面白い。
1720年に紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件がおこり、「国性爺合戦」でブームを呼んだとしても、竹本義太夫も亡くなって、少し落ち目になっていた竹本座を起死回生すべく、門左衛門が一気に書き上げた浄瑠璃なのだが、人気が出なかったと言う。
とにかく、文学作品としては高級であっても、救いようのない程暗い作品だということであろうか、代わった筋を追って行くと面白い。
中之巻の「天満宮前町紙屋治兵衛内の段」で、小春が身請けされそうで、治兵衛がおさんの母に小春と縁を切ると言う誓詞を差し出して安心させるのだが、炬燵に入って寝込んで泣いている治兵衛を、おさんが見て、まだ小春に未練があるのかと女房の懐に鬼が済むか蛇が住むかと苦しい胸の内をかき口説いて責めるところは、そのまま残っており、これが、この浄瑠璃の最高の切場である。
ところが、その前に、小春を争っている太兵衛と隠居坊主伝界が、治兵衛が借金して返した金が贋金だと怒鳴り込んで来るのだが、なれ合いの悪事がばれて退散すると言う、曽根崎心中ばりの挿話を付け加えて、伝界に「ちょんがれ」で治兵衛を揶揄させるなど、観客サービスか、蛇足だと思える話が付加されている。
また、この段の父親五左衛門がやって来て、おさんを無理やり連れ帰るところあたりまでは、近松版と殆ど同じである。
近松版は、これで終わっているのだが、今回の舞台は、
その後、この世の別れに一目治兵衛に会おうと、小春がやってくる。
おさんに言われたと言って、丁稚の三五郎が二人の祝言を行うが、二人は末期の水杯として酌み交わす。
そこに、尼姿の娘のお末が現れて、纏っている白無垢には、おさんの字で、小春への礼と二人が夫婦になるよう、五左衛門の字で、箪笥に小春身請け用の金子が入れてあること、おさんを尼にした旨が書かれている。
折から門口に、小春を探しに太兵衛たちが現われて治兵衛を殺そうとしたので、逆に切り殺す。
近松の下之段の「蜆川新地茶屋大和屋の段」では、おさんを連れ戻され、小春の身請け金もなく万策尽きた治兵衛が小春との始末をつけるために、大和屋に行き、くぐり戸から抜け出してきた小春と手を取り合って死出の旅へ。
そして、道行名残の橋づくし 大長寺藪外の段に繋がって行く。
今回の改作版では、小春身請け金も手に入り、妻と義父の好意で治兵衛と小春の結婚には、何の障害もなくなったのだが、二人は、小春が尼になったと聞いて絶句し、心中すべく、網島に向かう。
近松版を近松半二が増補して、更に改作されたのが今回の「天網島時雨炬燵」だと言うのだが、大分、筋書が観客受けを狙った感じであり、字余りの門左衛門節が、七五調の流麗な浄瑠璃になっていると言う。
この段は、小春もそうだが、健気で人情が厚くて優しいおさんの心の軌跡を最大のテーマとした浄瑠璃であるので、一人寝の寂しさをかき口説き、治兵衛を諦めてくれと言って差し出した自分の手紙のために死を決意した小春を助けようと、必死になって金を工面すべく立ち働く健気な姿や、父親に引きずり出そうとされながら、幼い子供のことに心を痛める健気さ等々、これらのストーリー展開だけでも十分だと思っている。
小春をこの家に入れたらお前はどうするのだと言う治兵衛の能天気な言葉に対して、「ハテ、何としょう。子どもの乳母か飯たきか、・・・」とわっと泣き伏す。
ガシンタレで商才もなく女郎にうつつを抜かして家を省みない治兵衛に代わって、紙屋の仕事を、一切取り仕切って切り盛りしている健気なおさんの涙である。
小春を受けだす金がないと言われて、金子50両に加えて、殆ど何もなくなった箪笥から最後に残った子供の着物まで総てをかき集めて、ほぼ20両分を、「夫の恥と我が義理を、一つに包む風呂敷の内に、情けぞ籠りける」、と言う夫に立てる貞節。
さて、平成19年の「天網島時雨炬燵」は、通し狂言で、今回の「紙屋内の段」だけではなく、前に、「北新地河庄の段」そして、後に、「道行名残の橋尽し」が演じられていて、治兵衛が勘十郎、小春が和生、おさんが簑助で、粉屋孫右衛門を玉女が遣っており、「河庄」の切場を住大夫と錦糸、「紙屋内」の切場を嶋大夫と清助。
今回は、治兵衛が玉女、小春が簑助、おさんが和生で、切場は嶋大夫と錦糸が務めている。
これまで、おさんは、文雀が遣っていることが多かったので、一番弟子であり文雀の芸を一番忠実に継承しているのは和生であるから、文句なしのおさん遣いと言えよう。
この舞台のタイトルロールと言うべき人形で、おさんの健気さ優しさ一途の姿が胸を打つ。
近松物をやりたいと語っていた玉女の東京最後の舞台が紙屋治兵衛、大阪の襲名披露公演でも、この治兵衛を演じる。
派手な動きが少なく、誠心誠意姿で見せる心理描写が真骨頂か、存在感を示した舞台であった。
簑助の小春の神々しさ女らしさ。
曽根崎新地の安遊女と言う設定の小春なのだが、黒ずくめのパリッとした衣装で登場して、簑助が遣うと、人形は匂うように色香を発散して優雅に見える。
治兵衛に思いをぶっつける時に、簑助の小春は、正面から対するのではなく、やや、斜め横から縋り付くような形で体を預けるのだが、その艶めかしさの何とセクシーなこと。
悲劇でありながら、簑助の遣う女形の人形は、小さな胸を激しく律動させながら息づいていて、生身以上の得も言われぬ多くの感情を呼び起こしてくれるのである。
玉男と築き上げて来た近松の世界を、玉女に必死になって体当たりで伝授しているように思って、感動しながら見ていた。
この「天網島時雨炬燵」の紙屋内の段の切場は、嶋大夫が務めていて、今回は、錦糸との新コンビである。
演台に手をついての熱演が、おさんの切なさ悲しさ、健気さを叩きつけて胸に迫る。
人形の慟哭が如何に凄いか、胸に沁みる舞台である。