これまで、NYTのクルーグマンのコラムとエコノミスト誌の記事を参考に、今回のチプラス政権の登場による今後のギリシャ経済危機について、どう考えたらよいのか、考えて来た。
「リーダーなき経済」を読んでいて、ケインズが、第一次世界大戦後のドイツの賠償問題について約したベルサイユ条約の内容を批判した「平和の経済的帰結」で、今回のギリシャ問題について、極めて参考になる卓見を提示していることを知った。
ケインズは、当時、大藏省で、英国の戦争方針の国際問題の全般を担当していて、首席代表としてパリ講和会議に派遣されて、講和交渉に参加した。
ドイツに科された賠償金額が経済的に見て不合理であり、政治的に見て軽率であり、ベルサイユ条約は、分別を欠いている。と断じたのである。
1914年以前のヨーロッパの繁栄はドイツの経済成長に依存していた点を考慮すれば、ドイツの経済を機能不全にすることは戦勝国側にとって最も重要な利益に反する。
戦後の国際資本市場がどれだけ機能するのか不透明な状況では、国境を越えた実物資源の移転は困難であると見通して、ドイツに科された倍賞は懲罰的で常軌を逸しており、結局は役に立たず、平和ではなく、紛争の継続を齎すだろう。と示唆しているのである。
ケインズは、説く。
輸入の減少と輸出の増加で外国への支払いに利用できる黒字額を拡大することを何年にもあたって続けない限り、ドイツは、毎年科された支払いを遂行できない。財によってしか支払いは出来ない。
ドイツを一世代にわたって、隷属状態に置き、何百人もの生活水準を低下させ、国民全体から幸福を奪うような政策は、おぞましく憎むべきものである。
これは、トランスファー問題であって、ドイツが、賠償金として戦勝国に一定の外貨または現物を支払う(トランスファーする)義務を負っているので,ドイツは、経済成長を策して財を増殖し、かつ、貿易収支の拡大によって外貨獲得をしなければならない。ことを意味している。
しかし、国土が荒廃し、根こそぎ経済資源を持って行かれたドイツは、完全に経済成長の芽を摘まれてしまって、生存さえ危ない状態にある。
ケインズは、”敗戦国ドイツの諸般の事情の総てが、現状からの回復ではなく現状の継続を助長している。内紛と国際的憎悪、闘争、飢餓、略奪、虚言によって引き裂かれた今のヨーロッパは、非効率で失業が蔓延し、秩序を失っている。はたして、このような陰鬱な状態が少しでも改善すると請け合うことが出来ようか。”と言っているのである。
賠償金は、ドイツの対外債務となった。
ドイツは、外国向けに債権を発行したわけではないが、賠償金支払いスケジュールは、対外債務返済と性質的にはよく似ている。
この賠償金を、消費ブームの所為で増発した国債による対外債務と同じだと考えてみると、不本意ながら強要された国々による支払い請求と見ることが出来、正に、ギリシャ問題を彷彿とさせる。
理由如何に拘わらず、賠償金支払も、国債償還も、全く同じ対外債務であり、経済破綻を前にした債務国にとっては、死活問題であることには変わりがない。
債権者に負担の共有を求めることなく、ギリシャに債務返済を迫る様子は1920年代の賠償協議を思い出させる。
ケインズは、ベルサイユ条約と賠償金に対する敵意と反発が残ると予測した。
と、「リーダーなき経済」の著者テミンとバインズは指摘して、その後のケインズの予見した悲劇について述べている。
その後、一直線ではなかったが、ドイツではナチスの台頭を許し、戦勝国の経済をズタズタにし、アメリカで始動した大恐慌が世界経済を巻き込んで、第二次世界大戦い突入して行った。
あれから一世紀を経た今日、過去の歴史から得た貴重な教訓を忘れて、ケインズの警告にも拘わらず、ヨーロッパの大国が、敗戦国ドイツに科したと同じような過酷な試練、と言うよりも、懲罰を、ギリシャに科そうとしている。
これまでに触れたように、ギリシャが置かれた今日の状態で、EUが求めるような条件を科し続ければ、ギリシャ経済の崩壊は火を見るより明らかであり、今現在でも病んでいるヨーロッパの政治経済社会の状態を、益々悪化させるのは間違いない。
非条理かも知れないが、戦争も、モラル欠如の国家経済も、恨むべきは起こってしまった結果のみであって、悪化した窮地から脱するためには、運命共同体としての連帯責任と協働解決しか方法がないと言うことである。
ピケティの指摘を待つまでもなく、今や成熟国家連合のEUの経済成長は、どう転んでも、2%を越えることはないであろうし、国家債務はどんどん増殖して悪化して行き、この恒常化した低成長と国家債務の悪化が、少子高齢化、失業の増大と経済格差の増大を伴って、政治経済社会情勢を益々深刻化させて行く。
ヨーロッパにおける文明の衝突とポピュリズムとナショナリズムの台頭、デフレ経済突入への経済状態の悪化懸念など、益々、暗雲が垂れ込めつつあるヨーロッパにおいて、ギリシャ問題の解決如何が、その帰趨をも暗示している。
今こそ、ドイツの英知を示すべき時だと思われる。
二度の世界大戦で、敗戦の悲哀を経験し、辛酸の限りを味わい尽くし地獄を見たドイツが、一番、ギリシャの痛み悲しみを、分かっている筈だと思うのだが。
「リーダーなき経済」を読んでいて、ケインズが、第一次世界大戦後のドイツの賠償問題について約したベルサイユ条約の内容を批判した「平和の経済的帰結」で、今回のギリシャ問題について、極めて参考になる卓見を提示していることを知った。
ケインズは、当時、大藏省で、英国の戦争方針の国際問題の全般を担当していて、首席代表としてパリ講和会議に派遣されて、講和交渉に参加した。
ドイツに科された賠償金額が経済的に見て不合理であり、政治的に見て軽率であり、ベルサイユ条約は、分別を欠いている。と断じたのである。
1914年以前のヨーロッパの繁栄はドイツの経済成長に依存していた点を考慮すれば、ドイツの経済を機能不全にすることは戦勝国側にとって最も重要な利益に反する。
戦後の国際資本市場がどれだけ機能するのか不透明な状況では、国境を越えた実物資源の移転は困難であると見通して、ドイツに科された倍賞は懲罰的で常軌を逸しており、結局は役に立たず、平和ではなく、紛争の継続を齎すだろう。と示唆しているのである。
ケインズは、説く。
輸入の減少と輸出の増加で外国への支払いに利用できる黒字額を拡大することを何年にもあたって続けない限り、ドイツは、毎年科された支払いを遂行できない。財によってしか支払いは出来ない。
ドイツを一世代にわたって、隷属状態に置き、何百人もの生活水準を低下させ、国民全体から幸福を奪うような政策は、おぞましく憎むべきものである。
これは、トランスファー問題であって、ドイツが、賠償金として戦勝国に一定の外貨または現物を支払う(トランスファーする)義務を負っているので,ドイツは、経済成長を策して財を増殖し、かつ、貿易収支の拡大によって外貨獲得をしなければならない。ことを意味している。
しかし、国土が荒廃し、根こそぎ経済資源を持って行かれたドイツは、完全に経済成長の芽を摘まれてしまって、生存さえ危ない状態にある。
ケインズは、”敗戦国ドイツの諸般の事情の総てが、現状からの回復ではなく現状の継続を助長している。内紛と国際的憎悪、闘争、飢餓、略奪、虚言によって引き裂かれた今のヨーロッパは、非効率で失業が蔓延し、秩序を失っている。はたして、このような陰鬱な状態が少しでも改善すると請け合うことが出来ようか。”と言っているのである。
賠償金は、ドイツの対外債務となった。
ドイツは、外国向けに債権を発行したわけではないが、賠償金支払いスケジュールは、対外債務返済と性質的にはよく似ている。
この賠償金を、消費ブームの所為で増発した国債による対外債務と同じだと考えてみると、不本意ながら強要された国々による支払い請求と見ることが出来、正に、ギリシャ問題を彷彿とさせる。
理由如何に拘わらず、賠償金支払も、国債償還も、全く同じ対外債務であり、経済破綻を前にした債務国にとっては、死活問題であることには変わりがない。
債権者に負担の共有を求めることなく、ギリシャに債務返済を迫る様子は1920年代の賠償協議を思い出させる。
ケインズは、ベルサイユ条約と賠償金に対する敵意と反発が残ると予測した。
と、「リーダーなき経済」の著者テミンとバインズは指摘して、その後のケインズの予見した悲劇について述べている。
その後、一直線ではなかったが、ドイツではナチスの台頭を許し、戦勝国の経済をズタズタにし、アメリカで始動した大恐慌が世界経済を巻き込んで、第二次世界大戦い突入して行った。
あれから一世紀を経た今日、過去の歴史から得た貴重な教訓を忘れて、ケインズの警告にも拘わらず、ヨーロッパの大国が、敗戦国ドイツに科したと同じような過酷な試練、と言うよりも、懲罰を、ギリシャに科そうとしている。
これまでに触れたように、ギリシャが置かれた今日の状態で、EUが求めるような条件を科し続ければ、ギリシャ経済の崩壊は火を見るより明らかであり、今現在でも病んでいるヨーロッパの政治経済社会の状態を、益々悪化させるのは間違いない。
非条理かも知れないが、戦争も、モラル欠如の国家経済も、恨むべきは起こってしまった結果のみであって、悪化した窮地から脱するためには、運命共同体としての連帯責任と協働解決しか方法がないと言うことである。
ピケティの指摘を待つまでもなく、今や成熟国家連合のEUの経済成長は、どう転んでも、2%を越えることはないであろうし、国家債務はどんどん増殖して悪化して行き、この恒常化した低成長と国家債務の悪化が、少子高齢化、失業の増大と経済格差の増大を伴って、政治経済社会情勢を益々深刻化させて行く。
ヨーロッパにおける文明の衝突とポピュリズムとナショナリズムの台頭、デフレ経済突入への経済状態の悪化懸念など、益々、暗雲が垂れ込めつつあるヨーロッパにおいて、ギリシャ問題の解決如何が、その帰趨をも暗示している。
今こそ、ドイツの英知を示すべき時だと思われる。
二度の世界大戦で、敗戦の悲哀を経験し、辛酸の限りを味わい尽くし地獄を見たドイツが、一番、ギリシャの痛み悲しみを、分かっている筈だと思うのだが。