近松門左衛門作の浄瑠璃「国性爺合戦」が、玉女の五常軍甘輝、玉志の和籐内、清十郎の錦祥女、玉輝の鄭芝龍老一官、勘壽の同妻などの人形、
甘輝舘の段は、千歳大夫と富助、紅流しより獅子が城の段は、咲甫大夫と宗助の語りと三味線。
で演じられて、充実した舞台を見せてくれた。
「曽根崎心中」で和事の世界を開いた近松が、義太夫が逝って、24歳の政大夫を後継者に指名していたための内紛で下火になっていた竹本座を起死回生すべく、竹田出雲と協力して作り上げた異国情緒たっぷりの浄瑠璃。
日本(和)でもない唐(籐)でもない(内)と言う「和籐内」を主人公にして、派手な中国風の舞台や衣装で観客の目を引いた面白い浄瑠璃であったから、17か月のロングランと言うのも当然かも知れない。
日本の平戸で、中国人の父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に生まれた鄭成功を主人公とした浄瑠璃だが、史実はここまでで、和藤内(鄭成功)が、父母とともに中国に渡って異母姉の夫・甘輝と同盟を結んで韃靼に闘いを挑むと言う物語は、近松の創作である。
鄭成功が中国に渡った時点では、既に、明が滅んで清朝の時代になっており、清の支配に対する抵抗運動にその存在意義があり、北伐軍を興して南京を目指すが、敗退している。
むしろ、鄭成功の偉業は、当時オランダの支配下にあった台湾を解放したことで、途中で死去したが、大変な偉人扱いであり、台湾城内に明延平郡王祠として祠られていると言う。
この浄瑠璃には参考となる前作があったようだが、近松は、スペイン文学などヨーロッパ情報にも造詣が深かったと言うから、むしろ、この鄭成功の台湾解放を舞台にした独自の浄瑠璃を書いた方が、中国のみならずオランダ風をも取り入れて、よりエキゾチックな異国情緒を醸し出して面白かったのではなかったかと勝手に思っている。
当時は、鎖国状態で、庶民には、中国さえ、見知らぬ異国であったのであるから。
さて、この舞台だが、今回は、和藤内が中国に渡る「千里が竹虎狩りの段」から、和藤内が甘輝と同盟を結ぶ「獅子が城の段」までで、中国風の衣装を身に着けた人物や異国情緒漂う城内など、異文化遭遇の舞台をバックにして、忠君愛国の公の倫理、そして、人間としての義理人情が演じられていて、観客を感激させる。
元明臣であった甘輝は、和藤内に同心するのには異存はないが、いったん韃靼の王に忠誠を誓った以上、妻(和藤内の異母姉)への情に絆されて味方になったとしては義が立たない、味方になるのなら、錦祥女を殺してからだ。と言うことになる。
錦祥女は、約束通りに、話決裂の合図の紅を川に流したので、それを見て怒った和藤内が甘輝の城へ乗り込んで来るのだが、紅と思ったものは錦祥女が自害して流した血であり、それを知った母も、義娘に義理を立てて、自害して果てる。
自ら命を絶った妻の情に心を打たれた甘輝は韃靼征伐を決心し、和藤内に従う。
この浄瑠璃では、囚われの身となって自ら獅子が城に入って、甘輝に、和藤内への同心を説得するのは母であり、甘輝の決心を決定づけるのは、妻の自害であると言うのであるから、ピボットは女性二人であり、何となく、勇ましく大見得を切って大仰な芝居を演じている甘輝と和藤内が、狂言回しの操り人形のように思えて面白くなる。
中身はないが、舞台として面白いのは、千里が竹虎狩りの段で、獰猛な虎が、伊勢神宮のお守りを向けると猫のように大人しくなり、虎の首にお守りをかけると神通力を得て敵を蹴散らすと言う奇天烈さ、
着ぐるみの虎が大暴れするので、舞台の衝立がなくなって、3人遣いの人形遣いが姿を現して演じる姿が見えて興味深い。
錦祥女の衣装も、中々凝っていて綺麗だが、和議成立後、唐土の装束に変えて登場した和藤内と甘輝の雄姿も、見栄えがして素晴らしい。
玉女の立役の颯爽たる偉丈夫ぶりは、この甘輝で終わって、再来月からの2代目玉男として、「一谷嫩軍記」の熊谷直実に引き継がれるのであろう。
楽しみである。
清十郎の錦祥女は、中々威厳もあり優しい女性らしさも備えていて、それに風格もあって上手いと思った。
勘壽の老一官妻だが、縛られてからの2人遣いが、中々印象的で、重要な役柄を上手くこなしていた。
玉志の和藤内は、タイトルロールとしての貫録十分で、玉女と渡り合って、舞台を盛り上げていた。
勿論、千歳大夫と富助、咲甫大夫と宗助、大夫たちの浄瑠璃語りと三味線の熱演も忘れがたいのだが、今回は、客席の前方に座っていたので、残念ながら、表情をうかがうことは出来なかった。
甘輝舘の段は、千歳大夫と富助、紅流しより獅子が城の段は、咲甫大夫と宗助の語りと三味線。
で演じられて、充実した舞台を見せてくれた。
「曽根崎心中」で和事の世界を開いた近松が、義太夫が逝って、24歳の政大夫を後継者に指名していたための内紛で下火になっていた竹本座を起死回生すべく、竹田出雲と協力して作り上げた異国情緒たっぷりの浄瑠璃。
日本(和)でもない唐(籐)でもない(内)と言う「和籐内」を主人公にして、派手な中国風の舞台や衣装で観客の目を引いた面白い浄瑠璃であったから、17か月のロングランと言うのも当然かも知れない。
日本の平戸で、中国人の父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に生まれた鄭成功を主人公とした浄瑠璃だが、史実はここまでで、和藤内(鄭成功)が、父母とともに中国に渡って異母姉の夫・甘輝と同盟を結んで韃靼に闘いを挑むと言う物語は、近松の創作である。
鄭成功が中国に渡った時点では、既に、明が滅んで清朝の時代になっており、清の支配に対する抵抗運動にその存在意義があり、北伐軍を興して南京を目指すが、敗退している。
むしろ、鄭成功の偉業は、当時オランダの支配下にあった台湾を解放したことで、途中で死去したが、大変な偉人扱いであり、台湾城内に明延平郡王祠として祠られていると言う。
この浄瑠璃には参考となる前作があったようだが、近松は、スペイン文学などヨーロッパ情報にも造詣が深かったと言うから、むしろ、この鄭成功の台湾解放を舞台にした独自の浄瑠璃を書いた方が、中国のみならずオランダ風をも取り入れて、よりエキゾチックな異国情緒を醸し出して面白かったのではなかったかと勝手に思っている。
当時は、鎖国状態で、庶民には、中国さえ、見知らぬ異国であったのであるから。
さて、この舞台だが、今回は、和藤内が中国に渡る「千里が竹虎狩りの段」から、和藤内が甘輝と同盟を結ぶ「獅子が城の段」までで、中国風の衣装を身に着けた人物や異国情緒漂う城内など、異文化遭遇の舞台をバックにして、忠君愛国の公の倫理、そして、人間としての義理人情が演じられていて、観客を感激させる。
元明臣であった甘輝は、和藤内に同心するのには異存はないが、いったん韃靼の王に忠誠を誓った以上、妻(和藤内の異母姉)への情に絆されて味方になったとしては義が立たない、味方になるのなら、錦祥女を殺してからだ。と言うことになる。
錦祥女は、約束通りに、話決裂の合図の紅を川に流したので、それを見て怒った和藤内が甘輝の城へ乗り込んで来るのだが、紅と思ったものは錦祥女が自害して流した血であり、それを知った母も、義娘に義理を立てて、自害して果てる。
自ら命を絶った妻の情に心を打たれた甘輝は韃靼征伐を決心し、和藤内に従う。
この浄瑠璃では、囚われの身となって自ら獅子が城に入って、甘輝に、和藤内への同心を説得するのは母であり、甘輝の決心を決定づけるのは、妻の自害であると言うのであるから、ピボットは女性二人であり、何となく、勇ましく大見得を切って大仰な芝居を演じている甘輝と和藤内が、狂言回しの操り人形のように思えて面白くなる。
中身はないが、舞台として面白いのは、千里が竹虎狩りの段で、獰猛な虎が、伊勢神宮のお守りを向けると猫のように大人しくなり、虎の首にお守りをかけると神通力を得て敵を蹴散らすと言う奇天烈さ、
着ぐるみの虎が大暴れするので、舞台の衝立がなくなって、3人遣いの人形遣いが姿を現して演じる姿が見えて興味深い。
錦祥女の衣装も、中々凝っていて綺麗だが、和議成立後、唐土の装束に変えて登場した和藤内と甘輝の雄姿も、見栄えがして素晴らしい。
玉女の立役の颯爽たる偉丈夫ぶりは、この甘輝で終わって、再来月からの2代目玉男として、「一谷嫩軍記」の熊谷直実に引き継がれるのであろう。
楽しみである。
清十郎の錦祥女は、中々威厳もあり優しい女性らしさも備えていて、それに風格もあって上手いと思った。
勘壽の老一官妻だが、縛られてからの2人遣いが、中々印象的で、重要な役柄を上手くこなしていた。
玉志の和藤内は、タイトルロールとしての貫録十分で、玉女と渡り合って、舞台を盛り上げていた。
勿論、千歳大夫と富助、咲甫大夫と宗助、大夫たちの浄瑠璃語りと三味線の熱演も忘れがたいのだが、今回は、客席の前方に座っていたので、残念ながら、表情をうかがうことは出来なかった。