安倍晋三首相は、5月下旬の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の準備会合である国際金融経済分析会合で、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツやクルーグマンを招き、意見を聴取した。
勿論、経済全般についての提言であった筈だと思うのだが、日経などのメディア情報は、来年に予定されている消費税10%への増税に焦点を当てた報道が主体であり、ジョルゲンソンなどを除けば、殆ど、来年の消費増税には消極的で延期論であった。
私自身は、このブログでも何回か言及しているのだが、スティグリッツにしろクルーグマンにしろ、以前から、はっきりと、安倍政権の消費税増税について、反対しており、TPPやアベノミクスなどについても、明確に見解を述べていて、夫々の考えについては、客観的に判断できると思われるのに、何故、有識者として招待したのかと言うことが、気になっている。
先の8%への消費税増税が、消費を抑えて日本経済の成長を腰折れさせて、アベノミクスにさえも、暗雲が垂れ込め始めていることを考えれば、スティグリッツやクルーグマンの見解を求めるまでもなく、来年の消費税の増税は、日本経済に打撃となり得ることは、ほぼ、予測がつく。
それに、この夏には、参議院議員選挙もあり、中国経済を筆頭に国際経済が悪化して回復の余地が殆ど望めないであろうし、増税に拒否反応なり抵抗のある国民感情を考えれば、来春の増税など、実施できる環境ではないであろう。
私自身は、スティグリッツやクルーグマンと言った日本の消費税増税にはっきりと反対を表明している経済学者を呼んで、わざわざ、見解を述べさせたのは、明らかに、安倍政権は、来春の消費税増税を延期して夏の選挙に臨もうとしている布石に間違いはなかろうと思っている。
日本は、まだまだ、デフレ経済から十分には脱却しておらず、もっと、更なる財政出動など需要拡大に努めるべきと言うのは、ケインジアンである両ノーベル賞受賞経済学者の当然の見解であろう。
しかし、日本政府の異常とも言うべき国家債務の増大と、その解消課題は、悪夢のように、日本の政治経済を過酷に締め付けている。
悪化の一途を辿っている財政赤字の累増は、財政の破綻のみならず、中長期的に経済成長の阻害要因となり、こうした事態を未然に防ぐために、財政構造を改革し、財政の健全化を図らなければならないと言う国是とも言うべき呪縛である。
経済が回復して成長軌道に乗るまでは、需要を拡大し続けるべきであり、需要を抑制する増税などはもってのほかとするケインジアンの見解に対しては、「公共選択の理論」のブキャナンやタロックなどは、強硬に反対して、財政膨張を防ぐために公債を発行しない均衡予算ルールを「憲法」に設けるべきだとしていて、政治的意思決定にも、かなり、影響を与えている。
クルーグマンは、コテンパンに叩いているが、ラインハートとロゴフの「国家は破綻する――金融危機の800年」のご宣託をどう受け止めるであるが、どこの国も歴史上においても経験したことのなかった未曾有の国家債務の重圧を背負って歩む日本が、果たして、川端康成の「雪国」のように、長いトンネルを通り抜けて行けるのかどうか、私は疑問だと思っている。
安倍内閣は、「3本の矢」として、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「投資を喚起する成長戦略」の3つを核にしてアベノミクスを始動させたが、今回、新たな3本の矢として、(1)希望を生み出す強い経済(2)夢を紡ぐ子育て支援(3)安心につながる社会保障――の3項目を打ち出し、首相は「長年手つかずだった日本社会の構造的課題である少子高齢化の問題に真正面から挑戦したい」と述べた。
スティグリッツは、アベノミクスは失敗だと苦言を呈したと報道されているが、私は、問題の3本目の矢である「成長戦略」が殆ど機能していないことに問題があると思っている。
新しい3本の矢は、美辞麗句を並べた意味不明の文章の羅列のような感じがして、空回りしそうである。
言っても無意味だと思うのだが、新3本の矢を実現したいのなら、まず、今話題となっている「保育園落ちた日本死ね!!!」問題を、即刻、抜本的に解決することである。
既得利権にしがみついた岩盤規制の一端を吹き飛ばして、補助金まみれの財政を修正して支出を捻出すれば、その程度の予算は一気に捻出できるのではないかと思う。
女性の地位と雇用の拡大、出生率アップ、子育て支援などと題目を唱えるのなら、待機児童をなくして、すべて希望する幼児を保育園に収容して、母親に、後顧の憂いなく働いてもらうことである。
資金を捻出する能力がなければ、まだまだ、元気に働いて社会貢献できる膨大な団塊の世代前後の熟年に、誇り高きボランティアとして力を借りて、あっちこっちにあるシャッター通りや空き家を改装するなり、法規制を整備するなりして、保育園を増設すれば良い。
足を引っ張る輩が多い日本なので、大変かも知れないが、やる気があるかないかの問題で、官僚の書いた文章の羅列にうつつをぬかすのが、政治ではなかろうと思っている。
勿論、経済全般についての提言であった筈だと思うのだが、日経などのメディア情報は、来年に予定されている消費税10%への増税に焦点を当てた報道が主体であり、ジョルゲンソンなどを除けば、殆ど、来年の消費増税には消極的で延期論であった。
私自身は、このブログでも何回か言及しているのだが、スティグリッツにしろクルーグマンにしろ、以前から、はっきりと、安倍政権の消費税増税について、反対しており、TPPやアベノミクスなどについても、明確に見解を述べていて、夫々の考えについては、客観的に判断できると思われるのに、何故、有識者として招待したのかと言うことが、気になっている。
先の8%への消費税増税が、消費を抑えて日本経済の成長を腰折れさせて、アベノミクスにさえも、暗雲が垂れ込め始めていることを考えれば、スティグリッツやクルーグマンの見解を求めるまでもなく、来年の消費税の増税は、日本経済に打撃となり得ることは、ほぼ、予測がつく。
それに、この夏には、参議院議員選挙もあり、中国経済を筆頭に国際経済が悪化して回復の余地が殆ど望めないであろうし、増税に拒否反応なり抵抗のある国民感情を考えれば、来春の増税など、実施できる環境ではないであろう。
私自身は、スティグリッツやクルーグマンと言った日本の消費税増税にはっきりと反対を表明している経済学者を呼んで、わざわざ、見解を述べさせたのは、明らかに、安倍政権は、来春の消費税増税を延期して夏の選挙に臨もうとしている布石に間違いはなかろうと思っている。
日本は、まだまだ、デフレ経済から十分には脱却しておらず、もっと、更なる財政出動など需要拡大に努めるべきと言うのは、ケインジアンである両ノーベル賞受賞経済学者の当然の見解であろう。
しかし、日本政府の異常とも言うべき国家債務の増大と、その解消課題は、悪夢のように、日本の政治経済を過酷に締め付けている。
悪化の一途を辿っている財政赤字の累増は、財政の破綻のみならず、中長期的に経済成長の阻害要因となり、こうした事態を未然に防ぐために、財政構造を改革し、財政の健全化を図らなければならないと言う国是とも言うべき呪縛である。
経済が回復して成長軌道に乗るまでは、需要を拡大し続けるべきであり、需要を抑制する増税などはもってのほかとするケインジアンの見解に対しては、「公共選択の理論」のブキャナンやタロックなどは、強硬に反対して、財政膨張を防ぐために公債を発行しない均衡予算ルールを「憲法」に設けるべきだとしていて、政治的意思決定にも、かなり、影響を与えている。
クルーグマンは、コテンパンに叩いているが、ラインハートとロゴフの「国家は破綻する――金融危機の800年」のご宣託をどう受け止めるであるが、どこの国も歴史上においても経験したことのなかった未曾有の国家債務の重圧を背負って歩む日本が、果たして、川端康成の「雪国」のように、長いトンネルを通り抜けて行けるのかどうか、私は疑問だと思っている。
安倍内閣は、「3本の矢」として、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「投資を喚起する成長戦略」の3つを核にしてアベノミクスを始動させたが、今回、新たな3本の矢として、(1)希望を生み出す強い経済(2)夢を紡ぐ子育て支援(3)安心につながる社会保障――の3項目を打ち出し、首相は「長年手つかずだった日本社会の構造的課題である少子高齢化の問題に真正面から挑戦したい」と述べた。
スティグリッツは、アベノミクスは失敗だと苦言を呈したと報道されているが、私は、問題の3本目の矢である「成長戦略」が殆ど機能していないことに問題があると思っている。
新しい3本の矢は、美辞麗句を並べた意味不明の文章の羅列のような感じがして、空回りしそうである。
言っても無意味だと思うのだが、新3本の矢を実現したいのなら、まず、今話題となっている「保育園落ちた日本死ね!!!」問題を、即刻、抜本的に解決することである。
既得利権にしがみついた岩盤規制の一端を吹き飛ばして、補助金まみれの財政を修正して支出を捻出すれば、その程度の予算は一気に捻出できるのではないかと思う。
女性の地位と雇用の拡大、出生率アップ、子育て支援などと題目を唱えるのなら、待機児童をなくして、すべて希望する幼児を保育園に収容して、母親に、後顧の憂いなく働いてもらうことである。
資金を捻出する能力がなければ、まだまだ、元気に働いて社会貢献できる膨大な団塊の世代前後の熟年に、誇り高きボランティアとして力を借りて、あっちこっちにあるシャッター通りや空き家を改装するなり、法規制を整備するなりして、保育園を増設すれば良い。
足を引っ張る輩が多い日本なので、大変かも知れないが、やる気があるかないかの問題で、官僚の書いた文章の羅列にうつつをぬかすのが、政治ではなかろうと思っている。