熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

トマト栽培日記2010(7)・・・桃太郎ゴールドの実が大きくなってきた

2010年06月12日 | トマト栽培日記2010
   通販でタキイより直接買って植えた桃太郎ゴールドも、二番花房まで結果し始めて、一番花房の実もピンポン大の大きさになった。
   尤も、6本のうち1本の醜いアヒルの子は、まだ、一番花房の花さえも咲いていない。
   他の会社の桃太郎や他の大玉とまとも、桃太郎ゴールドと似たり寄ったりの成長で、結果した実は少しずつ大きさを増してきている。
   この桃太郎ゴールドは、ハウス栽培や雨除け栽培を意図しているようだが、私のプランターは、炎天下の露天で、これから梅雨に入るので、どうなるのか、運を天に任せるより仕方がないと思っている。

   ところで、ミニトマトの方は、イエローアイコを筆頭に沢山結実して、実の房が垂れ下がり始めた。
   イエローアイコは、第4花房まで結果し始めているが、第1花房でも先端の方は、まだ、黄色い花が咲いていて、成長に落差があって面白い。
   ミニトマトで、ラベルに社名も何も書いてないので、どこの会社の苗か分からないのだが、ピンキーと言う桃色トマトは、かなり、成長も結果も順調である。
   地中海のミニトマトとタキイのミニの成長がもうひとつで、やはり、昨年育ててなれているサカタのアイコやカネコのスイートミニなどは、安心感があり、楽なような気がしている。

   ところで、花房のつき具合だが、栽培方法が悪いのか、日当たりが悪いのか分からないが、一般的とは違った傾向が出てきている。
   そのひとつは、普通、花房がつけば、その上に本葉3本を置いてその上の茎に、次の花房がつくのだが、5本くらい置いて二番花房がつくものが出てきている。
   次は、花房が出る位置は、普通同じ方向なので、それを見越して、摘果し易いように通路側に第一花房が向くように苗を植えるのだが、方向が、必ずしも定まらずあっちこっちに向いている。
   それに、ミニトマトなど、花房の分岐もまちまちで、それに、花、すなわち、実の数も、花房によって大きく違っている。

   先日、テレビで、トマトの栽培農家のビニールハウスの様子を映していたが、正に、苗は黄色に覆われていて、私のトマトと違って桁違いに、花のつき具合が多くて、あれでないとペイしないのだろうと思った。
   ミニトマトにしても、私など、一花房に20個くらい結果して、第6花房くらいまで育てて、120個くらい収穫できれば上出来だと思うのだが、プロ農家は、それの何倍も収穫しているのであろう。
   
   さて、私のトマトも、かなりの結果を得て、それなりに成長してきているので、ぼつぼつ、来週くらいから、早ければ、少しずつ色付くかも知れない。
   しかし、同時に、関東も、路地トマトにとって大敵の入梅のようなので、病虫害が心配である。
   昨年は、輪紋病と尻腐れ病の被害に苦しんだので、効果はともかくとして、庭木と一緒に、トマトにも、薬剤散布を行った。
   何時も、冬は硫黄合剤で、夏は、オルトランをベースにして抗菌剤を加えて噴霧するのだが、次には、抗菌剤を変えて行おうと思っている。
   家庭のプランター菜園だから無農薬で育てようと言うことだが、近くに田畑があり、また、家庭菜園があれば、自分のところだけ無農薬と言うのは、病虫害を一手に引き受けるようなもので、大体不可能なのである。

   そろそろ、肥料配合の培養土の肥料の期限が切れる頃であり、それに、結実が進んできているので、先日、株元に、適当に野菜用の配合肥料を埋め込んでおいた。
   解説書を読んでいると細かい指示があって、それに従っているとノイローゼになるので、私の場合は、施肥も薬剤散布も全くの我流でやっており、不都合が起これば、また、その時に考えれば良いと言う主義である。
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岩手・角館の旅(4)・・・角館

2010年06月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   角館は、武家屋敷通りの枝垂れ桜が美しいことは知っていたが、こまちで秋田まで行く途中で通過するだけで、訪れる機会はなかったので、是非、行ってみたいと思っていた。
   角館は、秋田藩の枝藩として1620年に芦名義勝が造った城下町で、北辺の古城山を頂点に武家屋敷(80)群、商人家(350戸)群と連なる小規模の町だが、町並みは当時と殆ど変わっていないと言う。
   しかし、武家屋敷の建物は、一番古いと言われている石黒家でさえ200年であるから、ビックリするほどのことはないのだが、私の味わいたかったのは、町並みと武家屋敷の佇まいであった。

   武家屋敷沿いに植えられている枝垂れ桜の巨木には番号が打たれているのだが、ほんの数百メートルの道路左右に総数450本と言うのだから大変なボリュームである。
   ことりっぷの説明では、この枝垂れ桜は、佐竹家へ嫁入りした時に、妻が京都三条西家から嫁入り道具として持ち込んだ3本の苗木が元だと言うから、やはり、この角館で同じく有名な桧木内川堤2キロメートルのソメイヨシノとは全く違うルートなのである。
   正しくは、エドヒガンザクラが垂れたサクラと言うことのようだが、これだけ(写真でしか知らないが)素晴らしい枝垂桜は、京都や奈良にもないであろう。
   尤も、今は、サクラの季節ではないのでサクラ並木は新緑一色だが、どうせ、季節には銀座通りのような雑踏なのであろうから、訪れたいとは思わないが、壮観だろうと思う。

   ところで、この武家屋敷通りは、やはり、城下町の街道なので、真ん中に鍵の手があって、ここで道路が鍵状に折れていて一直線ではない。
   それに、この通りは、薩摩の知覧や他の城下町の武家屋敷通りなどと比べてもかなり広いのだが、山が迫り川に面した謂わば地峡のような位置に、武家屋敷を一直線に並べて、その奥の山中に城を構えたと言う地割が面白い。
   尤も、この城下町では、いざと言うときには、この程度では、殆ど、防衛機能は、果たせなかったであろうと思う。
   
   結局、この日は、この武家屋敷町だけで時間を過ごして、角館観光を終了して家路についた。
   角館武家屋敷資料館前の古風な麺処古泉堂で稲庭うどんを食べながら小休止したのだが、平日の午後であった所為もあってか、観光客はまばらで閑古鳥が鳴いていた。
   暑い夏や寒い冬に観光客が来るのかどうか分からないが、この町は、まだ、純国産志向と言うか日本人相手の観光地であるようで、サクラの季節は別として、やはり、日本人だけでは、観光立国としても苦しいのではなかろうかと思う。

   まず、訪れた武家屋敷は、書院造りの座敷を持つ河原田家で、そのまま、庭続きで、となりの小田野家に入る。
   これまでに全国あっちこっちに行って、沢山の古建築を見て回っているので、正直なところ、特別に感慨もなく通り過ごす。
   私には、家そのものよりも、緑豊かな広い庭の方に興味があり、植栽などを注意して見ていた。
   日本の家屋は、寒い雪国であるこの地でも、もっと南の温かい地方と同じように、南方系の開放された構造を持っており、冬は寒かったであろうと思う。
   庭は、京都の庭のように綺麗に整備されていないが、自然が息づいていて住宅にマッチしていて四季の変化を楽しめたであろうと思った。
   
   次に訪れたのは、青柳家で、ここは、広い敷地に色々な展示スペースや売店食堂なども併設した総合博物館と言ったところで、角館や青柳家に縁の深い文物が主体なので、ごった煮と言うかそれ程質の高いものではないのだが、地方の息吹を感じて、それなりに面白かった。
   興味深かったのは、先ほどの小田野家と関係のある小田野直武が、平賀源内に師事して、蘭学にも勤しみ、西洋画法を学んで洋画風の秋田蘭画を確立して、「解体新書」の挿絵を描いたと言うことで、邸内に彼の銅像があり、秋田蘭画が展示されていて、オランダとの関係が、こんなところにも及んでいるのが分かったことである。   
   ハイカラ舘には、平賀源内時代当時の時計や蓄音機などのアンティークが展示されていて、その地階が、コーヒーショップになっている。
   この小田野直武が伝えたと言うコーヒーは南蛮茶と呼ばれたようで、ここでは、背後の源太寺山から流れる沢水・神明水を使って煎れているようだが、高い割には可もなく不可もなくで並みの味である。
   ここでは、例の旧式のビーカーで煎れているのだが、オランダ・コーヒーなら、3年も現地で飲み続けたが、元より美味い筈がない。
   ラテン系は一寸別だが、欧米のコーヒーが上手くなったのは、すべからく、スターバックスのお陰なのである。

   さて、この青柳家の庭も広いが、本格的な庭師が入って作庭したとは思えない自然風な佇まいで、色々な植物や庭木、花木が混植されていて、無秩序な秩序を醸し出していて、丁度新緑に萌えて緑一色であり、それなりに、雰囲気があって面白い。
   
   ところで、角館特産の桜皮細工だが、以前に、三越で角型のお盆を見つけて、私自身愛用すると同時に、イギリスの友人にも贈って喜ばれている。
   1780年頃、藤村彦六と言う侍が始めたようで、秋田藩のバックアップもあり、それに、明治に入って武士が禄をなくしてから細工職人に変わる等、長い伝統と技術を継承しているとかで、みやげ物店には、安い日用品から芸術作品まで沢山ディスプレイされていて面白い。
   尤も、ひとつあれば十分である。何故なら、殆ど同じパターンと意匠の繰り返しでマンネリ化してしまっており、斬新さなり目新しい魅力を感じられないのが残念でもある。
   
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岩手・角館の旅(3)・・・田沢湖

2010年06月06日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   田沢湖は、実に美しい湖である。
   湖岸に近づくと、まず、その水面の美しさに感動する。
   透明度が、摩周湖の次に高いと言うから、とにかく、水面が透き通って見えていて、それに、水深が423.4メートルと日本一の深さで、その湖面は、あるところではコバルトブルー、あるところでは、瑠璃色と言うか、深い緑色を帯びた濃青と言うか、深いブルーの何とも言えない美しい色をしていて、スイス・アルプスで見た素晴らしい絵のような湖を思い出した。
   裏磐梯の五色沼の水面も美しいが、この湖のブルーは、正真正銘の水の青さなのであるから、正に感動である。

   それに、湖なのに、波打ち際には、白い砂浜が広がっていて、湖岸に林立する赤松越しに湖面を見ると、正に、白砂青松の絵のような海岸風景が広がっているのである。
   残念ながら、その湖岸に、客が居なくて陸揚げされている白鳥のボートが並んでいるのが、如何にも無粋なのだが、観光シーズンには、人々で賑わうのであろうか。

   しかし、この湖は、比較的乱開発が少なくて、湖岸の観光施設そのものも控え目のようで、自然の佇まいが残っていて、湖岸をドライブしていても、自然の美しい風景を満喫できて、非常に快適である。
   丁度、新緑が萌えて一番緑が美しいシーズンなので、一層、湖面の美しさが引き立つのかも知れない。
   特に、この日は快晴で、太陽の光が燦々と湖に降り注いでいて、その光を吸収して益々青さを増している。
   
   うかつにも、全く知らなかったのだが、この湖には、美しいたつこと言う乙女が永遠の美貌を求めた為に龍になったと言う辰子伝説があって、岸から少し離れた湖面に金色に光り輝く美しいたつこのヌード像が立っている。
   乙女の彫刻で有名なのは、コペンハーゲンにある人魚姫の像だが、あれは、あまりにも小さくて貧弱なので、初めて見た人はびっくりするのだが、このたつこ像は、台座2メートル高さ2.3メートルの立像であり金ぴかに光り輝いているので、辰子伝説を知らない人には、逆に、異様に見えるであろうと思われるほど目立っている。

   解説によると、「辰子は姿の良い、雪のような白い肌と黒い瞳の娘となり、その美しさは村中の評判となった」と言うほどの美人だったのだが、水鏡に映った美しい自分の姿に大きく心が揺れて、何時までも若く美しくありたいと、院内岳の大蔵観音に願掛けて、龍に化身したのだと言う。
   長寿を願って、あらゆる食べ物を試みたと言う中国人の話と良く似ているが、すでに美しくて皆の羨望の的なのに、何故それに満足出来ずに永遠の美貌を求めるのか。生老病死、四苦八苦を背負った死すべき運命にある人間の性を思えば、年齢に応じた美しさを保つことにこそ腐心すべきだと思うのだが、願われた大蔵漢音も、たつこの願いを叶える為には龍に化身させる以外に方法はなかったのであろう。

   以前に、イギリスに住んでいた時に、スコットランドのネス湖をドライブしたことがあるが、ここにには、ネッシーと言う怪物が住んでいると言う伝えがある。
   田沢湖の方が、はるかに神秘的で美しいと思うのだが、湖には、どこか、神秘的で不可思議で、季節の移り変わりとともに異様に変化して人々を恐れさせる霊気のようなものがあるので、龍や怪獣たちが住むという伝説が生まれるのであろうか。
   翌朝、早く起きて、もやに霞んだダークブルーのネス湖の湖面を見て、何となくそんな気がしたのである。

   さて、美しい女性と言うことだが、世界中をあっちこっち歩きながら、長い人生を過ごして来たので、それなりに、美しい女性に巡りあい、と言うよりも、見たと言う経験が結構ある筈だが、それ程、記憶に残っていないのが不思議である。
   美しい人と言ってもどう言う意味なのか、人夫々で、ケインズの美人投票と同じで、自分が美人だと思った人には投票せず、人々が美人だと思って投票するであろう人に投票するのが人間だから、どうしても他人の目に影響されてしまう。
   可愛い、セクシーである、魅力的である、色々な表現があるのだが、美しい女性は、男にとっては、やはり、憧れであり、ある時には、生き甲斐となるのであろうが、美しいという表現よりも印象に強く残り忘れられない女性と言う人の方が大切であり、案外、そんな人は、身近に居ることが多いような気がしている。

   私が出会った女性で、記憶に残っている美しい人は、ダイアナ妃である。
   ロンドンで、ある厚生施設の開所式のレセプションで、主賓のダイアナ妃を入り口で並んで出迎える役割を引き受けた時が最初で、握手をして二言三言お話したのだが、その後そばに居て、椅子に座って自分の大きなポートレートにサインをするダイアナ妃を、真横に立って見ていたので、やはり、実際に動きを伴った生身のダイアナ妃の美しさは格別で、報道写真では見られない程、美しくて魅力的であった。
   その後、ロンドン交響楽団の演奏会のエントランスホールで、真横で一回、そのほかは、ロイヤルバレーやロイヤルオペラなどの観劇での機会で何回か、その他大勢で見たというところだが、まだ、離婚前の若々しいダイアナ妃の姿であった。
   
   たつこ伝説で、話が飛んでしまったが、あの神秘的な摩周湖も美しいが、この田沢湖も実に素晴らしい湖だと思いながら、湖畔を後にして角館に急いだ。
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岩手・角館の旅(2)・・・小岩井農場

2010年06月06日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   天候に恵まれなかった岩手も、朝起きてみると大変な好天気で、ホテルの窓からは、まだ少し雪を頂いた岩手山が、青空をバックにくっきりと見えている。
   その岩手山の方角から、まっすぐに、新幹線はやての精悍な姿が滑り込む。
   メトロポリタン・ホテルの朝食を十分に取って体調を整えてから、盛岡駅のJRレンターカーでカローラを借りて、角館に向かうことにした。
   娘から運転に気をつけよとのメールが入ったので、同行の友人が運転するのだと返事したら、それなら安心と言うつれない答が返ってきた。

   小岩井農場は、雫石だから、角館への途中であり、観光資源に乏しい盛岡での唯一の目玉と言うことであろうか、要するに、観光牧場と言うことで、私が、最初に、そんな雰囲気を味わったのは、もう、半世紀以上も昔の六甲牧場であった。
   小岩井農場は、1891年に、荒れ果てた大地を耕して木を植えることから始めた日本最大の民間総合農場と言うことだが、親しんでいるのは、あっちこっちで目にする小岩井農場ブランドの乳製品などで、味付け卵やコーヒー牛乳などは、あれば、文句なしに買って賞味している。

   観光牧場へは、子供が小さかった頃には、マザー牧場など良く行ったが、特に、訪れると言うよりは、あれば、何かの都合で行くと言う感じで、スイス・アルプスやヨーロッパの田舎を走った時に、旅の途中で見た牧場風景が印象に残っているくらいであろうか。
   イギリスの湖水地方の森や湖の田園風景やコツワルドなどの牧場で、草を食んでいた羊たちの長閑な姿を思い出すことがある。
   ストーンヘンジなど、石の列柱のそばまで羊が近づいていて、丁度、望遠レンズで、石と羊の交差した風景を何枚も撮った記憶がある。

   何故、こんなことを書くのかと言うのは、先に触れたように、牧場は、あくまで、原野なり荒れた森林などを、すなわち、自然の景観を破壊して、人間が作り上げた人工的な利便性の高い緑の空間であると言うことである。
   ヨーロッパなどは、肉食を旨としているので、牧畜のために殆ど原始の自然を破壊しつくしてしまって、どこへ行っても、美しい田園地帯が広がっていて、実に快適であるが、はたして、エコシステムとして、人間にとって良いことなのかどうかは分からなくなってしまっている。

   国道を、小岩井農場に向かって外れると、乳牛や牧舎などの遠望風景が現れ、すぐに森の中に入って、新緑の美しい緑のトンネルの中を走る。実に快適である。
   どこかで見た風景だと思ったが、印象の近いのは、ドイツの黒い森だが、この小岩井の森は、あまりにも緑の密度が低くて明るく、それに、軽快で優しすぎて美しい。

   さて、小岩井農場は、丁度、この口絵写真のように、晴天に恵まれて、真っ青に晴れ渡ったブルースカイをバックに、遠くに岩手山が見え、萌えいずる新緑が光り輝いていて、実に美しかった。
   それに、口蹄疫の問題があるので、家畜たちは遠くへ隔離されていて、目の届くところには居ないので、極めて清潔で、正に、緑の牧場がどこまでも広がっていて、小人の小屋のような瀟洒な売店やレストランの建物が点在して点景となっていて、気持ちの良い空間を作り出している。
   家内たちは、売店で、小岩井農場の特産品を探しながら買い物を楽しみ、いそいそとして、孫や娘たちに宅急便を頼んだりしていた。
   私は、ソウセイジやチーズを肴に、ワインでも楽しみたかったが、運転の可能性もあるので、断念した。ヨーロッパでは、ドライブ途中で・・・とは思ったが、ここは日本である。

   ところで、不思議なのは、このまきば園で売っている牛乳は、持ち出し禁止で、可愛いおねえさんが、栓を開けてくれて、その場で飲まなければならない。
   低温殺菌とかで、何となく有難い気がするが、別に、味が格別良いわけではなく、ヨーロッパの牧場で飲んだ絞りたての方が印象に残っている。
   特に、目的があって小岩井農場を訪れたわけでもなかったので、緑の草原を歩きながら、初夏の爽やかで気持ちの良い牧場の雰囲気を、しばらく楽しんでから、次の田沢湖に向かった。
   
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岩手・角館の旅(1)・・・盛岡のまち

2010年06月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   ある会合に参加する為に、盛岡に出かけた。
   その日の午後遅くから時間が空いたので、一泊して角館まで足を伸ばそうと思って、その日は、盛岡駅構内のメトロポロタンに宿を取った。
   これまで、出張の時には、利便を優先して駅に近いホテルに宿泊していたのだが、このホテルも二回くらい泊まって便利だったので、暇がありながらなまくらを決め込んだ。

   ところが、困ったのは、仙台や十和田・八甲田、会津磐梯など東北の旅行ガイドは結構あるのだが、岩手県単独の本はなく、東北ガイドの一角を占めているだけで、如何に、盛岡近辺と言うか岩手の観光が貧弱かが良く分かって面白い。
   幸い、一冊だけだが、昭文社から「ことりっぷ」と言う本のシリーズで「角館・盛岡」が出ていて、これを頼りに歩いた。
   ヨーロッパなら、ミシュランのグリーン本と言う立派な観光ガイドがあるのだが、日本のガイドブックは、バックマージンを貰っているのか、独善と偏見が強いのか、偏りすぎて参考程度にしかならないのだが、この本も似たり寄ったり。しかし、いずれにしろ、分からない土地では、何らかのガイドが必要なのである。
   尤も、この前に、歌舞伎座の前にある岩手県の物産店に出かけて、観光案内所で観光情報を得ようとしたのだが、特に、特別なものはなく、全県地図をくれただけで、地方のパンフレットを見よと言うことであった。

   結局、最初に行った所は、盛岡城跡公園。
   1633年完成と言うから新しい城で、観光案内では、盛岡産の巨大な石垣に、盛岡藩20万石の面影が残ると書いてあるのだが、大阪城やあっちこっちの立派な古城を見て歩いた私には、普通のこじんまりとした平山城と言う印象しかない。
   若き日の啄木や宮沢賢治がこよなく愛したと言うことだが、当時城内に植わっていた風雪に耐えてきた木々であろうか、新緑に萌えて真っ青に輝いていて実に美しく、素晴らしく静かで平和な空間を作り出していて爽快であった。
   まだ、八重桜や藤の花が少し残っていた。観光客は殆ど居ない。

   城址から中津川べりに降りて、古い盛岡が残っている河畔を散策することにした。
   対岸の橋の袂には、レンガ造りの外壁と白色花崗岩の装飾の美しい明治期の岩手銀行中ノ橋支店の建物が目を引く。
   その正面の広場で、古本のオープンマーケットが立っていて、止せば良いのにと言われたが、立派な小学館の日本古典文学全集の近松門左衛門集2巻を見つけたので買ってしまった。

   この銀行の建物を回りこんで裏道を歩いていくと、街道沿いに、「ござ九」と言う江戸後期に建てられた豪商の建物(口絵写真)がある。
   現在も雑貨商を営んでいると言うことだったが、この日は、残念ながら閉店していて中には入れなかった。
   この道を更に歩いて行くと、赤い屋根を被った角型の望楼のある紺屋町番屋が見えてくる。大正期の木造洋風建築と言うことだが、日本には珍しい青い壁面の建物で、赤い屋根が如何にもエキゾチックな雰囲気を醸し出していて面白い。
   このあたりには、他に、今、もりおか啄木・賢治青春舘となっている明治期の旧第九十銀行のロマネスク様式の建物があるようだが、古い古建築は、これだけだが、立ち寄るだけなら2~30分くらいで回れるので手ごろだが、観光資源としてはやや貧弱ということであろうか。

   その後、元々古い商人町のようだが、新装なった材木町へ向かった。
   宮沢賢治の世界が漂う古くて新しい町並みだと言う触れ込みだが、道路や店舗が綺麗に整備され、彫刻のモニュメントが歩道に置かれるなど、気持ちの良い遊歩道である。
   宮沢賢治の「注文の多い料理店」を出版した光原社が、賢治の関係展示などを含めて、シックな店舗群を経営していて、時間つぶしに丁度良い。

   夜は、郷土料理を味わいたくて、南部民族料理と言う民族と言う言葉に引かれて、「南部どぶろく家」に出かけた。
   今時、どぶろくはないだろうと思ったが、飲んでみたが、可もなく不可もなくであった。
   岩手の伝統を守ってその土地で採れた素材を土地の料理法で出すと言う触れ込みで、店に入ると、主人が、店の中央にどっかり座り込んで注文をとり、お客の相手をしている。
   馬刺くらいは覚えているが、何を食べたのか良く覚えていないが、結構美味かった。
   中央大法科を出て御手洗さんとも親しいと言う主人と世間話をしながら、ひと時を過ごした。
   ところで、先の昭文社の「ことりっぷ」本だが、郷土料理の紹介などなく、わんこそばやじゃじゃ麺、盛岡冷麺、それに、スイーツの話ばかりだが、みんな、盛岡へ行けば、わんこそばを喜んで食べると思っているのだろうか。
   このあたりの錯誤ぶりが、日本のガイドブックの限界でもある。
   

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国立劇場:五月文楽・・・祗園祭礼信仰記

2010年06月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場5月文楽の第一部は、「祗園祭礼信仰記」の金閣寺の段と爪先鼠の段、「碁太平記白石噺」の浅草雷門の段と新吉原揚屋の段、それに、連獅子の3演目であった。

   碁太平記白石噺の方は、悪代官に父を殺された姉妹が敵討ちをすると言う話だが、全盛を誇る傾城・宮城野(和生)を訪ねて、妹の奥州訛り丸出しの田舎娘おのぶが、新吉原の揚屋大黒屋で再会して、仇討ちを決意すると言うところまでだが、弟子の和生が豪華な衣装に身を包んだ花魁を遣い、文雀が、小さなおのぶを遣ってサポートするところが面白い。
   雷門で、おのぶが、悪いやくざな金貸し観九郎(玉志)に騙されて売り飛ばされるのだが、運良く買ったのが宮城野の居る大黒屋の主人惣六(文司)で、奉公人として新入りして、宮城野に会って、奥州言葉の訛りで姉妹だと分かると言う趣向で、いなか娘のおのぶが、新造たちに散々からかわれるなど、準主役としては破格の活躍で、人間国宝の文雀が、実にたくみに演じ泳がせており、非常に面白い。

   浄瑠璃は、大阪弁だと言うのは、真っ赤なうそで、よく分からないおのぶの奥州弁を、嶋大夫が、実に堂に入った語り口で語り続け、後半の姉妹水入らずの会話など秀逸である。
   それもその筈、これは、江戸の外記座で初演された江戸発の文楽なのであるから、大分、大阪の浄瑠璃とは雰囲気が違うのも当然と言うことである。

   私は、最初の「祗園祭礼信仰記」の方が面白かったし、立役の重要な舞台を務めるのは嬉しいが、あれだけ、師匠の簔助に学び続けて来たので、是非に女形を遣りたいと言っていた勘十郎が、大役である三姫のひとつである時姫を遣って会心の演技を披露したのであるから、面白くない筈がない。
   主君の将軍足利義輝を殺して、義輝の母慶壽院を人質にして金閣寺に立て篭もっている松永大膳(玉也)が、慶壽院が天井画に雲龍を描くよう所望したので、機嫌取りに、雪舟の孫娘時姫とその夫狩野之助直信を捕らえており、描かなければ、時姫に夜伽をと迫る悪辣ぶりだが、信長に寝返った振りをして弟子入りした真柴久吉(玉女)に出し抜かれると言う冴えない筋書きが、この舞台のあらまし。
   夫の命を救う為に、大膳の意に従うと決心した時姫が、弟子入りに志願してきた久吉と碁の対戦中に、その意を伝えるのだが、碁に夢中の大膳は中々気付かず、やっと時姫の色よい返事に、われを忘れて碁に負けると言うあたりの、如何にも人間くさい筋の展開や、爪先鼠の段で、桜の木に縛り付けられた時姫が、涙で鼠の絵を描いて鼠に助けられた雪舟の故事を思い出して、桜の花びらを掻き集めて鼠を描くと、白い鼠に変わって縄を食い切ると言う話など、サービス精神旺盛で軽妙なタッチだが、これに、盗まれた宝刀倶利伽羅丸や久吉の権謀術数が絡ませるのだから、作者も大変である。
   それに、久吉が、桜の木をよじ登って三層の金閣寺の最上階まで上ると言う大ゼリのスペクタクルも呼び物で、見せる舞台になっている。
   悪役の大膳を遣う玉也も、貫禄と憎憎しさを巧みに表現していて上手いが、颯爽として凛とした策士久吉を遣った玉女の風格が、控え目で気品と色香を感じさせて魅力的な時姫を紡ぎ出した勘十郎との相性の良さを感じさせて爽快であった。

   
   
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わが庭の歳時記・・・フレンチ・ローズも育ててみよう

2010年06月02日 | わが庭の歳時記
   NHKの趣味の園芸の5月号の特集「あこがれのバラを育てる!」で、イングリッシュ・ローズとともに、魅惑のフレンチローズが紹介されている。
   イングリシュローズを育てるのなら、ついでにフレンチローズもと思って、園芸店にナーセリーのギヨーの大苗が出ていたので、2本ジェネロサ・シリーズのアニュス・シルジュスとフランシス・プレイスと言うバラの苗を試みに買って植えてみることにした。
   その一本前者に花が咲いたのが、この口絵写真である。

   イングリッシュローズとどう違うのか、私には良く分からないが、フランスでは、鮮やかな色彩で、大きく華やかな印象の花が好まれるということで、ギヨーは、他のナーセリーとやや異なり、イングリッシュローズの趣を持つ品種が多いと言う。
   兎に角、輸入苗なので種類が沢山あるわけではなく、店頭に出ているだけの苗から選んで買うのであるから、好みがどうと言うことではなく、これで良いかと言った程度で選択している。
   京成バラ園のバラの倍近い値段だが、こちらの方は、やはり、昔ながらのモダンローズが大半であり、選択の余地はない。
   尤も、京成バラ園には、車で1時間もあれば十分行けるので、そこで、イングリッシュローズやフレンチローズの苗を買って来て植えた方が間違いはないのであろうが、やはり、そこはそこで、生産地の苗の方が、失敗しても諦めがつく。

   今回、デイヴィッド・オースティンのオールドローズとイングリッシュローズ、ギヨーのフレンチローズ合わせて10本ばかり輸入苗を買って、とりあえず9号のプラ鉢に仮植えしたのだが、咲けば咲いたで花を確認して、その後、少し肥培して、秋には、咲いた鉢を順繰りに門口に置こうかと思っている。
   時々、椿の鉢植えやユリの鉢植えなど、綺麗に咲くと、門のところに移しているのだが、その要領である。

   さて、私の庭だが、今年は、枇杷の実が沢山ついて少し黄色く色付き始めている。
   小鳥に食べられるのが先か、熟した時まで木に残っていて私が賞味できるのか、分からないが、もう少し様子を見ようと思っている。
   オレンジレモンの紫色の花が咲いていたが、殆ど落ちたようで、今年もあまり受粉していそうにないようである。
   ゆずの木にも、真っ白な花が咲き始めたが、昨年沢山実が成ったので、今年は花数が随分少ない。
   一本切り残したイチジクの木にも実がついていて大きくなってきているが、カミキリムシにやられて木のあっちこっちに穴が開いていて、これも切り倒さなければならない。イチジクの実は、必ず、小鳥に食べられてしまうので、あてにはしないことにしている。

   芍薬の花が、まだ咲いている。
   日本の芍薬の他に、中国芍薬の株が2株あるのだが、この花は、ツートンカラーの二段構えになっていて、半八重の外周の花弁の中に、細長い花弁が真ん中から沢山放射状に出ていて中々優雅で面白い。
   日本芍薬のように花弁が薄くて弱くはないので、比較的、花もちの良いのが優れたところである。
   淡い青紫とピンクのミヤコワスレと濃い青紫のホタルブクロが、淡いピンクのツツジをバックに咲き乱れていて、風に揺れると中々の風情である。
   フェジョアとユリの花が、もう少しで咲き始める。
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トマト栽培日記2010(6)・・・実が大きくなり始める

2010年06月01日 | トマト栽培日記2010
   アイコ・トマトは、イエローもレッドも、実が少しずつ肥大し、特徴のある長楕円形の実が、広がった花房にびっしりと並び始めた。
   一房には、昨年よりは多くの花を咲かせたが、結実せずに落ちてしまった花も結構多いのが、今年の特徴である。

   この口絵写真は、サカタのミニトマト・キャロルロゼなのだが、粒の揃った他のミニトマトとは、少し違っていて、形など大玉に近い雰囲気である。
   まだ、今のところでは、どのミニトマトも、結実して大きくなり始めたところなので、どんなトマトになるのか全く分からないのだが、テキストの写真のように、真っ赤や黄色の実が数珠繋ぎになれば、幸いである。
   尤も、昨年は、完熟次第に順番に食べてしまって居たので、丸ごと鈴なりのミニトマトを見てはいない。
   一粒、15から25グラムの大きさの実が房状に結実して緑色から少しずつ赤く、あるいは、黄色く完熟して行くのだが、花房の突端の実が色付くまでには、かなりの期間を要する。

   このミニトマトの倍くらいの大きさのトマトが中玉トマトだが、実の成り方は、ミニトマトのように房状になるのだが、当然、一花房あたりの実の数は少なくなる。
   サントリーのルビーノは、やや長円形のトマトのようだし、デルモンテのフルーツルビーEXは、実の先端が尖っているなど、少し形が違っているようだが、トマトは、形だけではなく、味の差が色々あるのも面白い。

   大玉トマトは、まだ、結果し始めたところなので、大玉だと言う雰囲気はないが、花房の段階で、花の数が僅かしかなく、それに、人工授粉を怠ったので、桃太郎トマトの木によっては、第一花房で、一つだけしか結果しなかったり、全く空振りのところがあったりして、今のところ出来が良くない。
   一粒200グラム以上の大きさだから、中玉やミニと比べれば桁違いに大きく立派なのだが、私の子供の頃、宝塚の農家から出荷されていたトマトは総てこれで、中玉やミニトマトなどは見たことがなかった。
   
   トマトは、野菜なのか果物なのか。
   昔の田舎で食べていたトマトは、どちらかと言えば、あま酸っぱかったので文句なく野菜だったのだが、桃太郎トマトを食べてからは、果物だと思えるようになった。
   今では、苗によっては、フルーツと銘打ったり、甘さを売り物にしているトマトが出回るなど随分美味しいトマトが出てきたが、昔、タキイの社長が、タキイには、沢山の原種のトマトの種を保有しているので、掛け合わせることによって、いくらでも好きな望みのトマトを作出出来るのだと言っていたのを思い出したが、これに、遺伝子組み換えを加えれば、想像も出来ないような面白い夢のあるトマトが生まれ出るかも知れないのである。
   
   さて、私のトマトだが、木によっては、大分大きな実も成ってきているので、ぼつぼつ中旬くらいから色付き始めるかもしれない。
   今年は、かなり、趣向を変えて、色々な会社の種類の違ったトマトを植えたので、面白い発見なり経験が出来るのではないかと楽しみにしている。
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