熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

絶対主義への下克上・・・アリス・H・アムスデン

2014年10月11日 | 政治・経済・社会
   アリス・H・アムスデンの「帝国と経済発展」を読んでいて、興味を持ったのは、
   ”絶対主義に対する脅威が、上から、つまり帝国主義からではなく、下から、つまりキャッチアップしようとする途上国から生じたのは、現代史上二回目のことであった(一度目はヴェトナム戦争であった)。と言うくだりである。
   ヴェトナムのアメリカに対する勝利(?)は、暫くおくとして、注目すべきは、中国やインドの台頭が、アメリカの絶対的権力の喪失の背後にある直接の意味だとするアムスデンの見解である。

   尤も、中国の歴史などを紐解いても、未開の民族が中華王朝を駆逐するなど、史上、下から絶対権力に挑戦した例は、いくらもあるのだが、アムスデンは、この本ではアメリカ帝国の話をしているので、これで良いのであろう。
   欧米文化に関しては、ギリシャ、ローマから西欧、イギリス、アメリカへの絶対権力の移行においては、ほぼ、多少の落差はあっても、同程度の文化文明間の権力の移行と考えられるということであろう。

   中国の優位は、爆発的な成長率と、今か今かと前進の機会を待っている人民にあると言う。
   中国の雇用増大と貧困削減は誇り得るもので、極めて高い貯蓄率、能力主義の試験制度で選ばれた官僚、起業家精神にあふれた大企業グループがあり、将来の巨人によって称賛の的となる成長モデルだとも言う。
   尤も、アメリカの持てる総合力は、中国など及びもつかない程強大なのだが、アムスデンは、ほぼ手放しで中国の将来を楽観視しており、アメリカ帝国への挑戦だと見ている。
   平和を所与とすれば、米中間で今後問題となるのは、市場の支配である。と言うのだが、私自身は、現下において、中国の場合、問題となるのは、ボリュームだけであって、経済産業構造を考えただけでも、経済は勿論、政治も含めたグローバルベースでの覇権力で、アメリカを凌駕するなど考えられないと思っている。

   いずれにしろ、同じ文明国で先進国のヨーロッパや日本ではなく、中国やインドなどの下から追い上げてくる新興国によって、挑戦を受け、脅威を感じざるを得ないと言う現実が、アメリカにとっては深刻なのであろう。
   どう考えても、文化文明的にも、経済的にも、対戦相手ではあり得なかった筈のヴェトナムに翻弄されて、国家の屋台骨まで崩されてしまったアメリカ人の恐怖は、すい星のように勃興してきた、それも、人口が一桁も上の巨大な中国やインドに、猛烈な勢いで追い上げを食っているのであるから、安閑としておれないと言うのであろう。
   今度の巨人は、ヴェトナムのような小国ではなくて、途轍もなく巨大な中国とインドであるから、尚更である。
   

   アムスデンは、この本で、帝国を凌駕して発展して行く新興国の経済発展を論じているので、この中国やインドの絶対主義に対する追い上げの脅威は、
   世界が、おそらくもっとも良い方向に真の変化を遂げている。
   と結論付けているのだが、果たしてそんなに簡単なものなのか、興味深い問題提起だと思っている。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレントトピックスへの雑感

2014年10月09日 | 生活随想・趣味
   東京では、綺麗な皆既月食が見えたようだが、ここ鎌倉では、厚い雲がかかって、とうとう月が見えなかった。
   近くの和菓子処で、だんごを買ってきて、庭ののすすきを切って備前の花瓶に挿して、孫と月見をしようと思ったのだが、残念ながら、空振りに終わった。

   俄か作りのすすきの生け花だが、庭に萩の花が咲いていなかったし、一応、秋の七草など流儀や約束事があるのであろうが、我流で、雰囲気を出そうと、庭にある材料で生けて見た。
   実が綺麗であったので伽羅の枝を、そして、アベリア、ミニトマト ect.、そんなところだが、それなりのムードが出れば良かったのである。

   花鳥風月、自然の美しさに恵まれた日本人の感性の豊かさが、典型的に表れているのが、月への限りなき憧憬と言うか思いであろうか。
   あっちこっち歩いていて、日本で見る月よりも、もっともっと美しいと思える月影や月光を見たことがあるのだが、どうも、私のこれまでの経験では、欧米など、日本人程、月に思いを馳せる国はなかったように思う。
   満月よりも十三夜を愛でる中国も、月への思いいれが強いのだろうが、これは、東アジア人の特色であろうか。

   さて、カレントトピックへの雑感を少々。

   青色LEDで三人の日本オリジンの科学者が、ノーベル賞物理学賞を受賞して、日本中が湧いている。
   素晴らしい快挙である。
   今回、最も注目すべきは、米国留学組ではなくて、日本で研究を続けた学者たちが、ノーベル賞を受賞したことで、特に、中村修二教授(米国籍)が、日本の地方の企業で、青色LEDの実用化に向かって大きな一歩を生み出した大発見は特筆もので、これこそ、日本のものづくり元年と記念すべきエポックメイキングである。
   これまで、日本の科学技術が、その持続的テクノロジーの深掘りばかりで、破壊的イノベーションを生み出し得ないところに、問題があると、このブログで書いて来たのだが、今回のノーベル賞受賞は、そうではないことを如実に示していて、正に、日本の科学技術、ものづくりの明るい将来像を示していて、非常に喜ばしい。
   尤も、中村教授が指摘するように、いまだに、日本が、ノーベル賞科学者や革新的でクリエイティブなイノベーターを育む土壌にはないと言うことである。

   もうひとつのカレントトピックスで、注視すべきは、イスラム国の台頭で、シリア北部で、イスラム国とクルド人が激しい戦闘状態にあり、米軍などの空爆が加速していると言う。
   深刻な問題は、日本でも、北大生のシリア渡航が話題になっているのだが、たった3万人弱と言うイスラム国戦士に、フランス、ドイツ、アメリカ、インドネシアを筆頭に、10数か国から何千人もの若者が参加していることである。
   欧米主体の現在資本主義制度下でのグローバル世界に不満を持つ分子が、義勇兵の如く、維新を目指すべく大挙して戦闘に加わっており、最早、イスラム原理主義の過激派運動に止まらず、是非はともかく、建前上、アメリカナイゼーションによって築かれているアメリカ主体の世界秩序に反旗を翻して、新秩序の構築を標榜している。
   夫々の母国のパスポートを所持しているこれらの欧米人たちの若者が、母国へ散って行けば、イスラム国思想なりドクトリンが、グローバルベースで拡散して行き、これまでのテロ構造を根本的に変えてしまう。

   ピケッティの「21世紀の資本論」で提起されて注目されているように、グローバルベースでの「格差拡大」と「貧困層の拡大」への人類社会の危機が、最大の争点のようだが、権力構造が、強者に集中している以上、イスラム国が勝利を収める可能性は少ないであろう。
   しかし、突然、蜃気楼のように忽然と現れて、国家樹立宣言をなして、世界を敵に廻して戦うと言う、歴史上でもまれな現象であり、グローバリゼーションの政治局面での新展開として、非常に、深刻な問題を提起して、このインパクトはあまりにも大きい。

   香港でも、民主的な普通選挙を求める学生たちの激しい抗議行動が、政府との対話開始で新局面を迎えている。
   香港の一国二制度が危機に直面しているのだが、他のチベットやウイグル自治区と違って、香港は、生粋の民主主義国家として生まれ育ってきた国であって、中国の支配体制に馴染めるわけがなく、全人代で決定を見たとは言え、絶対に認める訳には行かない。
   しかし、中国共産党としては、ここで香港に妥協をすると、台湾のみならず、チベットやウイグル自治区への示しがつかず、絶対に、学生たちの要求を認める訳には行かない。
   先にルトワックの「戦略論」を引用して中国の誤った世界戦略について触れたが、少しずつ、意図に反して窮地に嵌まり込んで行くような気がしている。

   
   先ごろのスコットランドの独立運動と同じように、スペインのカタロニアやバスク、カナダのケベック、デンマークのグリーンランド等々、昔から、独立を求める運動が、世界各地で渦巻いており、民族自決に対する人々の戦いは、熾烈を極めている。
   今日のグローバル経済化においても、国家経済よりも、効率の良い中規模の地域国家体制が、脚光を浴び始めている。
   独立と言う形ではなくても、強力な自治権を保持した連邦形式の、半独立体制を認めた緩やかな連携システムへの移行が望ましいのではないかと思う。
   今回のスコットランドの場合でも、独立すれば、恐らく享受できなかったであろうUKの一部としての利点を温存しながら、かつ、大幅な自治権を認められるようになったのであるから、正に、スコットランドにとっては、御の字ではなかったかと思っている。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欧米での観劇チケット購入はクレジットカードで

2014年10月08日 | 生活随想・趣味
   毎月、パソコンを叩いて、観劇チケットを手配するのは、能・狂言や歌舞伎・文楽などのチケットだが、最近は、随分便利になったが、人気の高い公演のチケットの争奪戦は、熾烈を極める。
   今日も、国立能楽堂の蝋燭の灯りによる能・狂言のチケットは、あぜくら会員分は即日完売であり、明日10時からの一般販売も、即完売となろう。
   人間国宝友枝昭世の「大江山」であるから、当然かも知れない。

   ところで、欧米でのオペラやクラシック・コンサートやミュージカルのチケットの手配だが、私は、1980年代の半ばころから、ヨーロッパに居たので、その頃から、総て、クレジットカードで、まず、電話予約や予約フォームで、インターネットが使えるようになってからは、インターネットで行っている。
   友人たちは、危険だからやめろと言うのだが、今までに、トラブルが起きたことはない。
   一度など、マジェスティック・シアターで、オペラ座の怪人のチケットをなくしたのだが、クレジットカードの記録があったので、チケットを再発行してくれたことがあり、これなどは、クレジットカードのお蔭である。

   ニューヨークに行く時には、メトロポリタン・オペラを、ロンドンに行く時には、ロイヤルオペラを、インターネットで予約するのだが、メイリングアドレスが残っているので、今でも、両劇場から案内メールが来ており、イングリッシュ・ナショナル・オペラやシェイクスピアのグローブ座もそうである。
   日本では、総て、インターネットで海外劇団や楽団のチケットは、イープラスやぴあや劇場のボックスオフイスなどからだが、欧米のオペラや劇団などは、そのオペラ劇場や劇団のホームページから買うのが普通である。
   
   数年前に、プラハへ行った時にも、プラハ国立歌劇場などのオペラのチケットも、そして、イタリアへ行った時も、ミラノスカラ座のチケットも、日本から、インターネットでクレジットカード払いで手配したが、空いている中から、好きな席を、選べた筈なので、便利であった。
   問題は、言葉で、プラハは、チェコ語、ミラノはイタリア語で、いくら、英語版があっても、原語が顔を出すので、時には暗礁に乗り上げる。
   日本では、海外のオペラチケットなどを手配してくれる会社があるようだし、英語だがインターネットを叩けば、何社かの観劇チケット手配会社があって、便利なホームページを準備していて、代行手配してくれる。
   しかし、手間暇がかかっているので、相当、高い感じである。

   さて、先日、ロシアのモスクワのボリショイ劇場とザンクトペテルブルグのマリンスキー劇場のオペラとバレーのチケットを、いつもの調子で、劇場のホームページを開いて、公演カレンダーを検索して、手配を試みてみた。
   流石に、ボリショイ劇場は、私の意図した日は、完売で、ダメであったが、マリンスキー劇場の方は、かなり、空席が多くて、ギルギエフ指揮の「戦争と平和」さえも、インターネット販売でもディスカウントされていて、一番上等の席でも、今のレートでは、15,000円もしないくらいである。
   残念ながら、私の旅程には合わないので断念せざるを得ないのだが、マリンスキー旧劇場とマリンスキーⅡで、オペラとバレーをダブル公演をしているのだから、空席が出て来るのも仕方がないのであろう。
   ところが、この両方の劇場とも、チケット手配会社のHPを見ると、マリンスキーで2倍、ボリショイでは数倍しており、ない筈のチケットが売られている。

   このボリショイもマリンスキーも、英語バージョンがあって、メールアドレスと名前を送信すれば、Your login:Your password:Your customer code:が送信されて来て、後は、これを使って、欧米流のチケット手配のプロセスを使えば良い。
   尤も、問題が、ロシア語交じりのメールなどの応対なので、慣れていないと、手こずることとなり、多少不安になる。
   そして、英語バージョンのチケット手配が可能なのは、この2劇場くらいで、コンセルバトワールの劇場さえロシア語なので、全くお手上げとなる。
   良い所は、バーコード付きのチケットが送信されてくることで、ロシア語表記だが、チケットが手元にあるのだから、便利と言えば便利である。

   日本の国立劇場チケットセンターも、このチケットのe-mail送信システムを使えば、チケット送付などのコストが、相当、浮くように思うのだが、どうであろうか。
   尤も、日本古典芸能の愛好者は、歳の行った人が多いので、あまり、ICT技術駆使のチケット販売システムの多用は、ダメなのかも知れない。
   いまだに、手紙と電話でしかチケットの予約が出来ない都民劇場などは、ITデバイドの老年者への思いやりを維持した天然記念物のような存在ではあるのだが。
   
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十月大歌舞伎・・・「伊勢音頭恋寝刃」

2014年10月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この「伊勢音頭恋寝刃」は、伊勢参りで賑わっていた古市の遊郭・油屋で宇治山田の医者孫福斎が仲居のおまんらを殺害した事件を劇化した際物(キワモノ)芝居で、事件記者よろしく現場に駆けつけて、心中もの浄瑠璃を物して一世を風靡した近松門左衛門ばりの歌舞伎である。

   勿論、この芝居は、重宝青江下坂の名刀探索のお家騒動ものなので、この名刀の行方を追い駆ける福岡貢(勘九郎)が主人公の筈なのだが、この「油屋店先」の場では、仲居の万野(玉三郎)が、完全に主役を食った感じで、久しぶりに、悪女を演じた玉三郎の芸が冴えきっていて非常に面白い。
   この万野を、歌右衛門や芝翫、菊五郎、勘三郎と言った名優が演じたと言うのだから、立役・女形に拘わらず、重要な役柄なのである。

   大分前に、この意地の悪い中年仲居万野を、福助が、黒い着物を着て、歯を黒く染めて顔を横に引きつらせて、声音も完全にばあさん風にかえるなど、イメチェンして演じた舞台が、印象に残っている。
   あの時には、福岡貢を片岡仁左衛門が、恋仲の油屋お紺を時蔵が演じていたのだが、福助の万野しか記憶にはないので、とにかく、面白かったのであろう。

   この万野だが、貢が油屋にやって来て、お紺に会わせて欲しいと頼むのだが、嫌がらせをして会わせず追い出そうとするが、替わり妓を呼ぶと言うと手のひらを返したように愛想良くなる。
   その替わり妓が、貢にぞっこんのブスの油屋お鹿(橋之助)なのだが、万野は、貢との仲立ちをするとたぶらかして、偽のラブレターをでっち上げてお鹿に金を出させて着服し、満座の前で、貢に罪を着せて窮地に追い込む。
   この万野だが、貢の主人の家宝を奪う悪者に加担しており、この意地の悪さとしたたかさで貢と渡り合う丁々発止の遣り取りが実に面白く、芸達者な玉三郎の真骨頂爆発の舞台であり、正に、人間国宝の至芸である。
   それに、厳つい女形で登場した橋之助のお鹿とのコミカルタッチの掛け合いが、また、秀逸である。

   立役の橋之助が、鬘をつけて頬紅をさして着物姿で登場すると、それだけで、客席から拍手が湧く。中々の女ぶりだが、ぎこちなくて納まりの悪いところが愛敬である。
   悪女の深情けと言う訳ではないのだろうが、やはり、悪女でなくても、相性の合わない女性に恋焦がれられても、迷惑千万、一寸、実父芝翫の面影を覗かせる伯父の橋之助のお鹿を相手に、苦笑交じりで応える勘九郎の貢の微妙な表情が面白い。

   余談が長くなってしまったが、
   この場では、遊郭・油屋へ上がるために、万野に刀を預けろと言われて、仕方なく、貢は、名刀を預けることとなり、中に入った元家来筋の料理人喜助(仁左衛門)に代わりに預けて、敵方岩次(桂三)のすり替えの難を逃れるとか、
   岩次たちと登場したお紺が、万野に大恥をかかせられた貢に、愛想尽かしをして岩次に靡くふりをして、岩次が持っている折紙を取ろうと目論むのだが、それを知らない貢は、激怒して、喜助から刀を取り上げて出て行く。

   次の「油屋奥庭」は十人切りの段で、怒りに燃えて鬼と化した貢が、岩次たちを次から次へと切り殺す激しい立ち回りが演じられるのだが、その前に、刀をすり替えられたと思った貢が、引き返して、万野と諍い誤って切り殺す。
   派手な殺戮劇を演じ終えた貢の前に、折紙を持ったお紺が現れ、喜助が駆け込んで来て、貢が、人を切り殺した手持ちの刀が、青江下坂の名刀だと告げたので、お家の重宝が総て手元に戻り、万々歳。
   三人が大見得を切って幕。
   貢は後を喜助に託すと、伊勢音頭の聞こえる中、大事な二品をもって国元へと急ぐ。と言うことらしいが、凄惨な人殺しを演じた貢の罪と裁きは、どうなるのであろうか。

   何らかの形で、伊勢音頭を絡ませておれば、義平次を殺して、祭囃子に紛れて消えて行く団七のように、「夏祭浪花鑑」のような夏祭りのアンニュイな雰囲気が漂って、凄惨な殺戮のシーンも、もう少し、ムードを醸し出せたのではないであろうか。

   この歌舞伎では、油屋の場のお紺の愛想づかしと、貢の殺し場の凄惨美が見せ場。と言う。
   ニューヨークでも褒められたが、七之助の若い女は、実に色気と女らしい優しさ温かさがあって良い。
   思う男への思いを必死に堪えながら、滔々と捲し立てる愛想づかしの切なさ、しんみりとさせて素晴らしい。

   一方、どことなく頼りない弱さが滲む貢を、勘九郎が実に爽やかに演じていて、実父勘三郎より上背があってすっきりとした男振りが中々良く、粋な立ち回りが絵になっている。
   玉三郎の万野に、もっと強く啖呵を切って突っぱねれば良いのにと思わせる弱さが、この芝居のストーリー展開であろうが、激昂して飛び出して行って、偽刀だと気付いて引き返して万野を殺め、奥庭で、立て続けに殺戮を演じると言う異常なテンションの高揚と言うアンバランスが、面白いのかも知れない。
   前述した舞台では、勘九郎は、今回、主筋の今田万次郎(梅玉)を思う油屋お岸(児太郎)を演じていたのだが、あの頃は、祖父芝翫の意向で、女形を演じていたのが面白い。

   さて、今月の歌舞伎座は、二人の勘三郎の追善供養の公演であったので、一階ロビーで、二人の遺影が客を迎えていた。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大型書店の嫌中韓本の賑わい

2014年10月04日 | 生活随想・趣味
   何時ものように神保町に行くと三省堂書店に立ち寄って、3階の政治経済社会本のコーナーに行く。
   ビジネス街ではないので、書棚のディスプレィも、東京駅や大手町の大書店と違って、何となく核がないのだが、書棚の一角に、嫌中韓本とも言うべき一連の本が、平積みになって、積まれていた。
  

   尤も、このコーナーは、嫌中韓本と言うのではなく、日本の領土問題や防衛安全、政治外交などカレントトピックスをもテーマにしているのだが、圧倒的に、この種類の本が多いのである。
   この平台には、朝には、同じ高さに平積みされた筈だと思うのだが、口絵でも分かるように、次の二冊が、大きく買われている。
   宮崎正弘の「中国・韓国を本当に見捨て始めた世界」
   上念司・倉山満の「日本の敵を叩きのめす!」

   日本の国のことを、真剣に考えることは大切なことだとは思うし、これらの問題意識は、重要な問題だとは思うのだが、私自身は、これらの本を手に取って読もうと言う気持ちは、全くない。
   現状を知ると言うことは、大変重要なことだとは思うのだが、真実かどうかと言う問題以外にも、基本的には、長期的な歴史認識の問題であり、相当掘り下げて勉強しないと、正しい判断が出来ないと思うからである。
   まして、一方的であろうと思えるような嫌中韓論であろうから、危険でさえあると思っている。

   私自身は、中国には、中国が開国し始めた時期、天安門事件の後、7~8年前、とたったの3回しか北京と上海とその近郊しか行っていないし、韓国へは一度も行ったことがないので、語る資格もないのだが、一つは、住んでみて分かることが結構多くて、私の場合には、好きも嫌いも、アメリカ、ブラジル、オランダ、イギリスについては、実際にも住みながら、その国や人びとについても勉強して見たし、実感として、それらの国を身近に感じている。
   そのような経験から、特に、カレントトピックスとして著されたこのような中国や韓国論は、かなり、スキューしている感じがして、読んで見る気にはなれないのである。

   ところで、これらの平積み本の裏の書棚は、次のような経済書コーナーであった。
   

   宇沢弘文先生の本はともかく、本格的な経済学書と言うよりは、経済学に親しむためと言うか経済学への誘いと言った初歩的な本が並んでいる。
   私自身は、大学と大学院で経済学を勉強し、その後、何十年も経済学書を読み続けているのだが、
   「学問に王道なし」で、経済学は、実に難しい学問であって、今でもよく分からないことも多くて考え方を変えることもあり、簡易な勉強法などある筈もなく、巷に出ている入門書などが、役に立つとは思えない。

   私が、学生の頃には、近代経済学とマルクス経済学と言う両派が鎬を削っていたのだが、マル径の後退で、新古典派経済学やケインズ経営学を継承した近経も大きく変貌し、進化経済学、ポストケインジアン、オーストリア学派経済学、複雑系経済学などの展開で、経済学は、どんどん、歴史の潮流によって進化発展(?)して、決定版の経済学など存在しない。
   したがって、同じ経済社会現象であっても、学派によって大きく見解が違っており、例えば、グローバリゼーションが人類の幸福にとって良いのか悪いのか、全く両極端な議論が展開されているのである。
   卑近な話でも、経済学者の経済予測が殆ど当たらないと言う現実に鑑みれば、如何に、経済学が難しくて複雑な学問であるかが分かる。

   私の学生の頃は、サミュエルソンの「エコノミクス」であったが、今なら、スティグリッツ、クルーグマン、マンキューなどのマクロ・ミクロの経済学テキストであろうか。
   これなどでも、先達はあらまほしけれで、講義解説を受けるのが好ましく、経済学の片鱗に触れるためには、最低限度でも、この程度の勉強は必要だろうと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルームバーグ:暮らしに「ゆとりがない」

2014年10月03日 | 政治・経済・社会
   Bloombergが、”暮らしに「ゆとりがない」がアベノミクス前の水準に悪化”と言う記事を配信していた。
   ”1年前と比べて現在の暮らし向きに「ゆとりがなくなってきた」という家計が全体の約半数に達し、安倍政権が誕生する直前の水準まで高まっていることが日本銀行の調査で分かった。”と言うのである。

   ”「ゆとりがなくなってきた」と答えた人にその理由(複数回答)を聞いたところ、「物価が上がったから」という回答が66.2%に達し、「給与や事業などの収入が減ったから」の48.5%を上回り、最多の回答となった。「物価が上がったから」という回答は、消費税率引き上げ後に行った前回6月調査(61.9%)をさらに上回った。”と言うことである。

   何故、物価が上がったのかと言う原因だが、単純に考えれば、消費税8%への増税が、直接の原因だが、更に、円安による輸入原材料や原油などのコストアップや、日銀のデフレ脱却インフレ政策が大きな原因なら、アベノミクスに責任があるのは当然であろう。
   今回の物価上昇は、国民の生活必需品を直撃しており、
   需要が低迷しているので、完全にコストプッシュによるのであって、経済成長を伴った上昇志向のデマンドプルでないところが、苦しいところである。

   政府は、アベノミクスの成長によって、景気が回復しており、更に第3の矢の発動と地方創生で成長戦略を加速して、経済の好循環を達成すると言うのだが、
   創造的破壊と言えるような革新的な経済活動を起爆できないために、牽引力なく機動性に欠けて、持続的な経済成長トレンドを生み出し得ないのである。

   かって、レーガノミクスで、サプライサイド経済学が隆盛を極めていた頃、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)して行く」とするトリクルダウン理論(trickle-down theory)が持て囃された。
   現実にも、戦後復興期の日本や、最近までの中国など、高度成長を謳歌していた時には、貧しい人々の生活水準も大きく改善し貧困率の解消に大きく貢献してきた。
   しかし、これは、異常とも言うべき高度成長の成せる技であって、今日のように、2~3%程度の低成長では、焼け石に水であって、トリクルダウンなどは起こり得ないので、成熟して成長が止まった殆どの先進国では、ピケッティの説くように格差拡大を加速させるだけとなている。

   まして、今回のような増税や円高による消費者物価の上昇が加わって来ると、多くの増収を期待できない国民が、「ゆとりがなくなってきた」と窮乏感をつのらせてくるのは当然なのである。

   
   もっと、政治経済社会的に困って来るのは、経済格差の拡大が進行するにつれて、益々、困窮度を増して行く貧困層の生活水準の低下と疎外感の拡大、深刻な社会不安の惹起である。
   早い話が、全く収入増の期待できない、無年金や年金だけの年金生活者、シングルマザーや無職の人、あるいは、貧困層下の低賃金労働者たちの生活が、いよいよ成り立たなくなってきていると言われており、これ以上、増税となり物価が上がれば、どうして生きて行けばよいのか。
   町内会費を払えなくて、集金に居留守を使わざるを得ない隣人が、すぐ、近所にいる、そんな悲しい日本になってしまっているのである。

   インターネットを叩けば、次のような見出しが躍っている。
   ”日本人の6人に1人が「貧困層」”” 若年女性の3分の1が貧困””年収300万以下の比率4割超え!””シングルマザー、半数近くが「貧困層」 子育てと仕事の重圧””日本の相対的貧困率は、OECDで、メキシコ、米国、トルコ、アイルランドに次ぐ第5位だったが、ついに“堂々たる世界2位”の格差社会に”
   デフレ解消も必須であろう。経済再生も緊急課題である。
   しかし、今程度のアベノミクス経済しかやれないとするならば、格差縮小は望み得ないであろうから、貧困層への配慮などセイフティネットの拡充が急務だと思っている。

   政府は、企業の賃上げ努力を要請し続けているのだが、国際競争力のある大企業などは可能であっても、現下の熾烈な競争のグローバル経済下においては、要素価格平準化定理の作用によって、中国や新興国並の仕事をしておれば、賃金ダウンは避けられず、クリエイティブなイノベーション志向の経営によってブルーオーシャン市場を開拓するか、生産性を国際水準よりはるかにアップ出来ない企業には、賃上げは国際競争力からの脱落を意味するだけで、無理であろう。
   再説するが、イノベーションを伴った経営革新やブルーオーシャン市場の開発などによって、国際競争に勝ち抜いて行かない限り、政府の言うように賃上げしても一時的な現象であって、需要の拡大に繋がるような持続的な好循環はあり得ない筈である。
   日本全体の国力、その総体を、アップすることこそ、緊急要件なのであって、それ以外に生きる道はない。

   景気は、”気”のものだ、成長する、日本経済は元気になる、等々、日本人が日本経済の底力を信じて、その気になれば、必ず日本経済は良くなると言われているが、今や、気だけでは、どうしようもいない。
   アベノミクスなり、安倍政府の経済政策は、前の民主党政権よりは、はるかにましだとおもうのだが、ぼつぼつ、このままでは、危ないのではないかと思い始めた今日この頃である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住み慣れた千葉を離れる思い

2014年10月02日 | 生活随想・趣味
   鎌倉に転居して空いていたわが千葉の家も、人手に渡ったので、これで、住み慣れた千葉へのアクセスも殆どなくなり、感無量である。
   関西から、大阪万博が終わって東京へ移ってからは、本格的に関東拠点での生活が見えて来ていたので、ブラジル赴任が終わって帰国した直後に、取りあえず、土地だけでも押さえておこう思って選んだのがこの千葉であった。

   数年後に家を建てたのだが、3年ほど住んだだけで、ヨーロッパへ赴任した。
   会社の後輩に住んで貰って、8年間留守をしたのだが、帰って来てからは、長く住んでいたので、この千葉が私の生活拠点であった。

   色々な思い出があるのだが、私にとっては、かなり広い庭を利用してのガーデニングと言うか、庭を通じての自然とのふれあいが印象深く残っている。
   残念だったのは、私が丹精込めて育てた花木など庭木や球根を、そのまま残して来たことである。

   この口絵写真のピンクの枝垂れ梅は、まだ、1メートルの背丈にもならなかった鉢植えを買ってきて植えたもので、今では堂々たるもので、3月の中旬には、5メートルくらいの枝を横に広げて滝のように美しい花を咲かせる。
   その後から、春の草花を下草に従えて、30種以上もある椿の花が、順繰りに咲き乱れて、牡丹や芍薬、バラやユリにバトンタッチして行く。
   その間に、前の集会場の庭のソメイヨシノが咲き始めると、借景となって、わが庭も華やぐ。
   庭の移り変わりについては、このブログの「わが庭の歳時記」や「花鳥風月・・・」に書き続けて来たので、思い出の片鱗は反芻できるし、それに、膨大な花の写真が残っている。
   
   

   さて、わが住まいだが、西宮、宝塚、伊丹、茨木、高槻・・・と関西だけでも、随分、移転を重ねていて、関東に移ってからも、東京から数か所、それに、海外では、フィラデルフィア、サンパウロ、アムステルダム、ロンドンと都合7回以上も宿替えをしているので、私の人生は、正に、旅と宿替えの人生であったと言えよう。

   尤も、この千葉の家だけは、サラリーマン人生で、私自身が自分で建てた唯一の自家であった。
   娘たちにとっても思い出深い家なので、どうしようかと迷ったのだが、このまま何らかの形で保有していても、この9か月の間でも、留守宅のチェックや庭の雑草などの処理で結構大変であったし、維持管理の苦労を考えれば、手放す方が良いと考えたのである。

   私たちが家を手配した頃には、住宅公庫でさえ5.5%、厚生年金では6.5%と言う高金利のローンを組まなければならず、最初は、毎月のローン返済は、金利ばかりで、元金の減少などスズメの涙ほどで、正に恐怖だったが、救いは、今とは違って、仕事さえ続けておれば、毎年、昇給があったと言うことである。
   ところが、やっと、ローンを払い終えたところで、バブル崩壊。不動産価格の釣瓶落としの下落である。
   その後の持家である中古の住宅価格の低落は、目も当てられない状態だが、今や少子高齢化および人口減で、政府の発表だと、25年度の空き家率は,13.5%と過去最高で、全国の空き家総数が820万戸だと言うから、最早、時代の流れ。
   現状を甘受するほかなく、喜んで住んで貰える人がいると言うだけでも、有難いと思うべきであろう。

   注文住宅で、かなりシッカリと建てた家であり、3.11の大震災で、震度6弱ないし5強にも耐えてビクともしていないので、そのまま家を維持して、リフォームして住んでくれると言うことであるから、私にとっては、御の字である。

   ところで、家を手放すにあたって、どんな気持ちかと聞かれるのだが、私にとっては、大切なものをなくすのであるから寂しい気はするのだが、これだけ、移動の激しい人生を送っていると、ほかの宿替えと似たり寄ったりで、それほど強い寂寥感を感じないのが、自分でも不思議である。
   これまでも、前に住んでいた家を見ることは殆どなかったので、この千葉の家も思い出の彼方に消えて行くのであろうが、
   ”月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也”を、肝に銘じて生きて来たようなものだから、後ろを振り向くこともなかろうと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK朝ドラ:異国情緒の魅力

2014年10月01日 | 生活随想・趣味
   赤毛のアンの翻訳者村岡花子の生涯をドラマ化したNHKの朝ドラ「花子とアン」が人気が高くて、高視聴率を達成したと言う。
   私も、途中で見始めたのだが、どんどん引き込まれて、最後には、一回も欠かさずに見た。

   今週からは、新しい朝ドラ「マッサン」が、始まった。
   ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝とその妻竹鶴リタ(ジェシー・ロバータ・カウン)の国産ウィスキーに賭けた波乱万丈のものがたりということで、前評判も、中々良いと言う。

   私は、小京都と言われている非常に綺麗な竹原市に残る竹鶴政孝の生家・小笹屋(竹鶴酒造)を訪れたことがある。
   竹鶴は、製造工場はスコットランドに似た風土の北海道に作るべきだと考えていたので、独立後、北海道余市町でウイスキー製造を開始したのだが、今でも、その綺麗なニッカウヰスキー生誕の地である「余市蒸溜所」があって、観光客を魅了し続けている。
   私も一度だけ訪れたのだが、中々、雰囲気があって、楽しいところである。

   イギリスに居た時、1週間ほど車でスコットランドを旅した時に、当然、スコッチ・ウィスキーの工場や博物館に行ったのだが、あの時には、もっともっと古い昔の家内工場風の蒸留所の雰囲気で、感激したのを覚えている。
   あの産業革命を起こしたブラック・カントリーでもそうだが、イギリスでは、あっちこっちで、古い産業遺産を文化財として大切に保存しており、頭が下がる思いであった。
   イギリスには、19世紀に設立されたナショナル・トラスト (National Trust) と言う歴史的建築物の保護を目的として設立されたボランティア団体があって、積極的に活動しており、その意味では、文化先進国である。
   尤も、大英帝国は、七つの海を支配した世界制覇の過程で、随分、重要な人類遺産を破壊し続けた元凶でもあるので、単なる懐古趣味だけではなく、贖罪の気持ちからかも知れないと、穿って考えることもある。

   余談が、長くなってしまったが、何かの記事で、「花子とアン」の人気が高いのは、ディズニー映画の「アナと雪の女王」にストーリーや構成が似ているからだと評論しているのを読んだことがあるが、そうかも知れない。
   しかし、私は、あの朝ドラを見ていて、カナダ宣教師の「ミッションスクール・修和女学校」でのブラックバーン校長やスコット先生との関わりや、第二次世界大戦で垣間見える欧米の影、それに、欧米化しつつあった日本の大正文化の姿などを通して見え隠れする異国の香り、そして、何よりも、重要なのは、カナダの作家L・M・モンゴメリの『赤毛のアン Anne of Green Gables)』が主題として醸し出す欧米文化なり生活の匂いが、何となく、視聴者の感興を呼んだのではないかと思っている。

   貧しい境遇から艱難辛苦を乗り越えての成功物語でも、「おしん」のように、純日本風の物語ではなくて、時代の潮流の変化で、異国情緒、それも、何となく、文化の香りがする隠し味を加えたようなストーリーが、好まれるような雰囲気になってきたのではなかろうか。
   それに、19世紀末から戦後までの、団塊の世代の半世紀も前の日本の姿を追っ駆けた異文化異文明との遭遇と言ったような異次元の日本を活写することによって、それでも、やっぱり同じ日本なんだと感じさせる、二重写しのストーリーが、大いに興味をそそったのだと思っている。

   今度の「マッサン」は、冒頭からスコットランドの絵のような風景が出て来て、スコットランド人(実際には、シャーロット・ケイト・フォックスは米国女優)の亀山エリーが、主人公の一人であるから、随所に、異国情調、そして、日英との異文化遭遇とカルチャーショックが現出されるのであるから、その点では、「花子とアン」の比ではなく、もっと、欧米文化の露出度は高い。

   私がいた頃でも、本場である筈のイギリスのホテルやレストランで、日本製のウィスキーが並んでいて、既に国際品であったのだが、やはり、酒の国、最高峰の醸造技術の日本故に成し得た快挙なのである。
   その波乱万丈の世界が、日本で最も喜怒哀楽の激しくて感情豊かなラテン系文化に近いと言われている大阪を舞台に展開されるのであるから、日本人の心を掴まない筈がないと思っている。
   スコットランド、竹原、大阪、余市、夫々、非常に魅力的なところを舞台にして、泣き笑いの起伏に富んだ異文化の遭遇するストーリーが、どのように展開されて行くのか、楽しみである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする