熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・椿:エリナ・カスケード、クラブアップル咲く

2019年04月10日 | わが庭の歳時記
   今日は、朝から雨で、急に寒くなって来た。
   散り始めたソメイヨシノが、住宅街の歩道をピンクに染めて、しとしと静かに降る雨に打たれている風情も、ムードがあって面白い。

   門扉横の花壇に植えてある小さな花の椿エリナ・カスケードが、咲き始めて、カスケードのように枝を広げて、帯状に枝垂れて美しい。
   ほんの2センチ程の小さな花弁で、清楚で美しいのだが、花持ちが悪くて、すぐに落ちるのが難点である。
   随分前に、この椿のように小輪で、花付きのよいサクラという椿を植えていて、桜以上に華やかに咲いたことがあるが、椿も、このような小輪もあれば、15センチ以上の大輪の花を咲かせる椿もあって、わが庭も、どんどん主役入れ替わりで、楽しませてもらって居る。
   
   
   
   
   姫リンゴのクラブアップルの花も開き始めた。
   関西やこのあたりでは、リンゴの花を見かけることはないので、私にとっては珍しいにだが、ヨーロッパの田舎へ行くと、奇麗に咲いていて感激したのを思い出す。
   日本の春の花は、梅、桜、桃が典型的な感じがするのだが、ヨーロッパでは、日本のように、花見などに興じる感じはあまりないようで、イギリスで目立って印象に残っているのは、シャクナゲで、桜は、殆どが、ぼってりとした濃いピンクの八重桜であったと思う。
   それに、色々な果樹の花も、珍しいと思った。
   
   

   何種類か、椿を挿し木していて、何の椿であったのか記録していなかったのだが、偶々、蕾をつけた株があって、幸運にも、花でそれが分かった。
   今度2回目に咲いたのは、エレガンス・シュプリームであった。
   まだ、何株か、花芽をつけている株があるので、どんな花が咲くのか、楽しみにしている。
   
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孫娘、幼稚園に入園

2019年04月08日 | 生活随想・趣味
   今朝、鎌倉は雨だったが、孫娘の幼稚園の入園式があった。
   10時からだったが、スマホを持っていない私は、チケット予約がオープンするこの時間にパソコンの前に座っている必要があったので、少し遅れて行った。
   祖父の私が行く必要などないのだが、要するに、写真係で行くのである。
   
   それにこの日は、日産自動車の株主総会があったので、行きたかったけれど、これは、最初から諦めていた。
   歳の所為もあって、東京などへ外出することが少なくなったのだが、それでも、やはり、家族生活優先で、予定を変更することがある。
   観劇などで出かけるときには、結構、キャンセルすることが多くなる。

   孫娘は、この2年間、保育園に通っていたのだが、兄の孫息子が、保育園から、この幼稚園に変更して、3年間通園しており、これに倣ったのである。
   保育園の同級生は12人いるのだが、幼稚園行きで退園したのは孫娘だけで、元々、親の都合で保育園に通っているのだから、至れり尽くせりの保育保護が行き届いている保育園を続けるのが当然だと言うわけである。
   母親の娘も、幼稚園に行かせると、結構、公私ともに負担がかかるので、不安がったが、我々祖父母が健在である限り、少しは肩代わりが可能なので、もう少し、運動場や施設の完備やカリキュラムも含めて整っている、大きな土俵で育てた方が良いと考えて転園を決めたのである。
   孫娘の場合は、3歳児なので、これから、3年間、この幼稚園に通うことになっている。
   保育園が良いのか、幼稚園が良いのか、正直なところ、良く分からないのだが、孫息子の様子を見ていて、プレスクールとしては、幼稚園の方が良いのではないかと考えたのである。

   孫息子の保育園生活は、大船と千葉に離れて生活していたので良く分からないが、孫娘の保育園生活は、最初から最後まで送り迎えして、1歳から3歳になる本当に赤ちゃんというか幼児時代にお世話になったのを、つぶさに見ているので、全く頭が下がる思いで、保育園には、感謝感激し続けている。
   3月生まれで、やっと、3歳になったところで、4月や5月生まれの子供たちと比べると、全くの幼児で、幼稚園という広くて大きな土俵で伸び伸びと生活ができるのか、心もとないのだが、とにかく、スタートしたので、見守るしかなくなった。
   主に私になるのだが、アップダウンの激しい坂道を、朝夕、これから、3年間、送り迎えすることになるので、頑張らなければならないと思っている。
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わが庭・・・椿:黒椿、マーガレット・デイビス、そして、トキワマンサク、エニシダ、

2019年04月07日 | わが庭の歳時記
   黒椿が咲き始めた。
   わが庭では、黒い花の椿が咲くと、その年の椿のシーズンは間もなく終わる。
   今年は、残念ながら、ナイトライダーは蕾をつけなかったが、この椿は栽培が難しいのである。
   
      

   ブラック・マジックという大きな花の黒椿が、何輪か蕾をつけたのだが、最初の蕾は、咲きかけて途中で落ちてしまった。
   この椿は、非常に幹や枝が細くて華奢で、すっくと立ちあがらなくて、大きな蕾は、ぐっと垂れ下がっていて、開花のエネルギーがあるのかないのか心配だが、1輪くらい真面に咲いてほしいと思っている。
   
   
   

   先日咲いたマーガレット・デイビスは、地色の赤が勝っていたのだが、もう一本の木が咲き始めた。
   これも、多少、地色の白と比べて、覆輪の赤が少し勝っている感じだが、昔のマーガレット・デイビスの写真に近い、豪華で美しい椿である。
   椿の花弁は、傷みやすいので、奇麗な花のままで過ごすのは短いが、美しい時は本当に美しくて、交感がないのが物足りないけれど、本当のマドンナと違って、気後れせずにいつまでも眺めておれるのが良い。
   
   
   
   
   

   わが庭で咲き始めた春の花は、トキワマンサク、エニシダ、ドウダンツツジ、  
   
   
   
   
   

   花ではないが、モミジが芽吹き始めた。
   私が、庭植えしたのは、獅子頭、鴫立沢、琴の糸、そして、?。
   
   
   
   

   五月に咲くのは、牡丹で、今、蕾をつけてスタンドバイ。
   ユリが、勢いよく茎をのばし始めた。
   今、シャガが奇麗に咲いている。
   毎朝、鎌倉山から下りてきて、鶯が鳴き続けていて、さわやかな春が続いている。
   
   
   
   

   今日は、統一地方選挙で、朝早く、近くの小学校の投票場に出かけた。
   知事と県会議員選挙である。
   
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映画:シェイクスピア「ジュリアス・シーザー (1953年)」

2019年04月05日 | 映画
   野口悠紀雄の「世界史を創ったビジネスモデル」を読んでいて、ローマ時代を主題にしており、丁度、録画していたシェイクスピアの映画版「ジュリアス・シーザー (1953年)」があったので、小田島雄志訳のシェイクスピア本を読みながら、見てみた。
   最近、昔よく来たRSCなどの欧米の著名な劇団のシェイクスピア戯曲公演に、出かけなくなったので、懐かしく見たのだが、舞台公演の録画ではない別な面白さがあって、楽しませてもらった。
   30年ほど前に、ロンドンにいた時、BBCで、オペラ「トスカ」が、ローマの実際の現場で、それも、実際の時間に合わせて、上演されて、その実況オペラを観たくて、早朝や深夜に、合わせて観たことを思い出す。DVDで出ているが、ズービン・メータの指揮でオーケストラはRAI, Rome、そして、プラシド・ドミンゴとキャサリン・マルフィターノ、ルッジェロ・ライモンディと言ったトップスターの共演で、感激して、ロイヤル・オペラの舞台とは違った、新たな感動を覚えたのだが、それに似た思いである。  

   ジュリアス・シーザーの訳本のなかに、1994年のヤング・ヴィック・シアターCの、そして、2000年のRSCの、夫々のジュリアス・シーザーのチケットの半券が挟まっており、かすかに、東京グローブ座だったと思うのだが、客席を群衆に見立てて、ブルータスとアントニーが、演説をぶったシーンを思い出した。5年間のロンドン在住期間を含めて、RSCの舞台などに通い詰めたので、このジュリアス・シーザーの舞台は、何回か、鑑賞していたのだろうと思う。

   映画は、シェイクスピアの戯曲に、忠実で、ウィキペディアを多少修正して要約すると、ストーリーは、次の通り、
   紀元前44年のローマで、ジュリアス・シーザーは、市民の圧倒的支持を得て終身独裁官となったのだが、共和派のカシアスたちは、シーザーの独裁制の進行に危機感を募らせる。シーザーは、競技場に向かう途中、占い師から「3月15日に気をつけろ」と忠告されるが無視するも、前日の嵐の夜、ブルータスの元にカシアスたち仲間が押しかけて、シーザー暗殺計画を明かし加担すべく示唆する。迷い呻吟するブルータスを妻のポーシャが気遣う。 3月15日の朝、シーザーは、悪夢を見た妻カルプルニアに止められるのだが、反対を押し切って元老院に行き、ブルータスたちに刺殺される。ブルータスは、ローマ市民に、暗殺の正当性を訴え支持されるが、その後、アントニーがシーザーの偉大さと業績を称えて、熱弁をふるうと、一気に、市民たちはアントニー側についたので、ブルータスたちはローマから逃げ去り、シーザーの養子オクタビアスとアントニーたちが政治の実権を握る。ブルータスとカシアスは謀反人となり二人の関係も険悪となるが、ポーシャの自殺の報に接して、団結し直す。 アントニーは、討伐のために兵を進め、フィリッピの戦いで勝利し、ブルータスは従者に命じて命を絶つ。ブルータスの遺体を前にして、アントニーは、彼の高潔な人格を称えて手厚く葬ることを誓う。

   75年前の映画なので、私など、アントニーを演じている若い頃のマーロン・ブランドの姿や、ポーシャのデボラ・カーの美しさに感激なのだが、キャストは、次の通り。
ジュリアス・シーザー - ルイス・カルハーン
アントニー - マーロン・ブランド
ブルータス - ジェームズ・メイソン
カシアス - ジョン・ギールグッド
ポーシャ - デボラ・カー
カルプルニア - グリア・ガーソン
カスカ - エドモンド・オブライエン
   私は、ブルータスのジェームズ・メイソンについては、殆ど記憶はないのだが、やはり、この戯曲では主役であり、愁いを帯びたストレートな演技で、渋い雰囲気の良い味を醸し出していて素晴らしい。
   さすがに、英国の俳優で、「建築家を目指してケンブリッジ大学で建築を専攻し学位も取った」と言うから、芸に深みのあるのも当然なのであろう。

   このジュリアス・シーザーについては、事実とシェイクスピアの創作とが入り混じっていて真偽のほどは測りかねるのであるが、未亡人となっていたブルータスの母親セルウィリアが、シーザーの愛人でもあり、ブルータスが、シーザーの実の子供だと言うような話があり、子供のように接していたと言うので、シーザー暗殺時に、「ブルータス。お前もか。」という最後のセリフの意味も良く分かる。

   シーザーの亡骸を抱えて、元老院前の広場に集まった群衆の前に現れたアントニーが、感動的なシーザー追悼演説を行って、先のブルータスの演説をひっくり返して、群衆を蜂起させるのだが、マーロン・ブランドは、流石に上手い。
   ゴッド・ファーザーのマーロン・ブランドの圧倒的な存在感は感激であったが、栴檀は双葉より芳しで、このアントニーの雄姿は、正に、名優としての証でもあり、輝いていた。

   舞台で観るシェイクスピア戯曲は、聴きに行く、映画のシェイクスピアは、観に行く、
   丁寧に時代考証をして、ストーリーを展開する、このジュリアス・シーザーは、感動的な映画である。
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書店併設の喫茶店で過ごす楽しみ

2019年04月04日 | 生活随想・趣味
   東京駅に出て、午後、夕刻までの会合時間までに、少し時間があったので、いつもの例で、書店に立ち寄った。
   通常は、政治経済社会と言った社会科学系の書棚を梯子するのだが、この日は、芸術関係の階に行って、古典芸能などの本をチェックしていた。

   この書店は、東京駅に隣接するアゾアの丸善なのだが、3階の芸術や旅などのコーナーに、Cafe1986という喫茶店が併設されていて、JRの線路に並行した窓際に、一列に椅子がおいてあって、こもごも、コーヒーや紅茶などを喫しながら、本を読んだりスマホを叩いたり憩っている。
   大体、席はびっしりと埋まっていて、盛況である。

   私も、時間つぶしもかねて、ブレンドコーヒーをオーダーして席に着いた。
   手持ちブタさも何なので、書棚から2冊本を借りて読み始めた。
    野村 四郎&山本 東次郎の「芸の心 〔能狂言 終わりなき道〕」を第一夜のパートを読んだのだが面白かった。

   もう、10年以上も前だが、ニューヨークに行ったときに、5番街のバーンズ&ノーブルの2階だったっと思うが、スターバックスが併設されていて、書店とコーヒーショップとは、相性が良いのを知って面白いと思った。
   それ以降、日本の書店でも、大型書店では、喫茶店やレストランが併設されているところが増えてきた。
   しかし、殆ど、書棚とコーヒーショップが分離されている場合が多い。
   従って、この丸善のように、書棚に沿って窓際にコーヒーショップの椅子が並んでいると、私のように、良いのか悪いのか分からないが、書棚から本を取り出してきて、立ち読み(?)できるような感じなので、大分雰囲気が違ってくる。

    とにかく、私など本好きには、有難いコーナーである。
    
    

   余談ながら、この後、八重洲ブックセンターにも立ち寄ったのだが、何故か、あれほど、騒いでいた元号「令和」の発表で湧いていた万葉集の特設コーナーが、両書店とも跡形もなく、万葉集の「ま」もなかったのである。
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万葉集:新元号は梅だが、椿の歌は

2019年04月02日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   新元号が、発表された。
   「令和」である。
   出典は万葉集の「梅花の歌三十二首」の漢文で書かれた序文「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」。
   この「序」は、大伴旅人が、正月に、左遷先の大宰府の館に、仲間たちを招いて開いた歌会で、前置きとした文章だと言うことで、王義之の「蘭亭序」に倣ったものだと言われている。

   万葉集は、奈良には限らず、全国展開だが、やはり、明日香など大和の印象が強くて、学生時代に、随分、昔懐かしい日本のふるさとの風景を訪ねようと、歩き回ったので、今回の新元号の発表で、一気に、あの頃の思い出に、タイムスリップしてしまった。

   私は、どちらかと言えば、桜よりも、それ以前に、花として貴重な存在であった梅の方が好きなのだが、しかし、私にとっては、「花」は椿である。
   調べてみたら、椿は、神聖な花だと言うことで、万葉集には、椿を詠んだ歌が、9首あると言う。
   その中で、大友家持の歌は、次の2首。
   奥山の八つ峰の椿つばらかに今日は暮らさね大夫の伴
   あしひきの八峯の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君

   1首目は、家持の館で催された宴会での歌で、皆さん、今日は大いに楽しんでくださいと言うことで、
   2首目は、つくづく眺めても飽きることがあろうか、この椿を植えた貴方のことを と言うことで、愛しい人への思いであろうか。

   私は、朴念仁なので、歌を詠む素養がないのが残念だが、新元号の誕生を寿いで、今朝、わが庭に咲く椿花の数ショットを、
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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「桜坂」を歩く

2019年04月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   福山雅治の「桜坂」で、人気スポットとなっている田園調布本町にある桜坂を、素通りだが桜を見ながら歩いた。
   今、花盛りである。
   
   池袋の芸術劇場からの帰り、この近くに転居した長女の家族を訪ねて行ったのだが、曇り日で夕刻でもあった所為で、ソメイヨシノであろうか、色彩は冴えなかったが、さくらばしの前後、200メートルくらいであろうが、道路の両脇に桜が咲き乱れている風情は中々の雰囲気である。
   完全に住宅街なので、気の利いた喫茶店もなければ屋台もなく、中々、素晴らしい桜スポットである。

   甘く切ない、情緒面々たるムードたっぷりの福山雅治の歌声に魅かれて、若いカップルの訪れが多いと言うことだが、この日も、かなりの人が、さくらばしの上から、桜並木を眺めていた。
   
   
   
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