バレーボール界の名言集

私がこのブログ内で歴史上の名言を記録していくチャレンジをしていた時期がありました。
2004年3月~8月の記事を開いてみて下さい。ほぼ毎日、名言から書き出している日記が続いています。
今の辰巳ジャンプのチーム状況はその頃ととても似ているのです。

昨日は大松さんの言葉ばかりを並べましたので、今日は他のバレーボール関係者の言葉を集めてみました。
けっこうたくさんありました。



【元全日本キャプテン・吉原知子】

「誰かがやっているから私もやらなきゃ、という練習はやめてね。そんなのは全然、意味がないから。自分でこれがうまくなりたい、この技を磨きたいと思ってする練習ならいいけど、体育館で一緒に時間を過ごす振りをするのはやめてね。」


【三屋裕子 1983年第3回アジア選手権決勝・中国戦に勝った後で】

まっ白な世界だった ボールだけ追っていた 何も考えていなかった
みんなが同じ呼吸をしている
だれがどこにいるか 見なくてもわかる
いっしょのリズム いっしょの呼吸 いっしょの波長
6人のハーモニー 無心の状態 雑念はなにもなかった
プレーしていて楽しかったもん


【東京オリンピック金メダルチームキャプテン・河西昌枝】

「『あなたたち選手の全員に憎まれてもいい、チームが強くなってくれれば』という言葉を、わたしはしばしば使っています。練習の激しいさなかには、たしかに、そういう言葉を使いましたが、じっさいに全員に憎まれてはキャプテンは勤まるわけがありません。裏を返せば、信頼しあって、猛訓練に耐えていこうという表現だったのです。つまり私自身としては、選手に信頼されるキャプテンであろうとした、ということです。」

「わたしたちが、来る日も来る日も、何百回、何千回と練習してきた回転レシーブも、それこそ事実血を流して習得してきた回転レシーブでさえ、いざ実際の試合になれば、そのうちのほんの二つか三つぐらいしか応用できないということです。それに、ふだんあんなにうまく上げられたボールをミスすることさえあるではありませんか。いつだって努力の何分の一しか答えは得られないのです。やっぱり凡人であるわたしたちにできることは、努力することなのでしょう。」

「試合に勝って泣き、負けて泣き、練習がきびしいといって泣き、しかられたといって泣き、泣きながら、ボールにむしゃぶりついていったりするのは、女子選手としては日常茶飯事であったのだから、よく泣けるということは、女である証拠かもしれない。わたしも、いつのまにか泣かない河西にされてしまったが、はじめのころはよく泣いたものであった。コートの中で、ワーンと泣いたことはないが、勝つたびに、負けるたびに、泣いていたこともあった。ひょっとしたら、女は泣きながら強くなる本能をもっているのかもしれない。」

「わたしたちは、先生のためにやっているんですよ。だって先生は、わたしたちのためにやってくれてるんですもの。」

「わたしたちが続けた練習というのは、単に個々の技術の錬磨ではなかった。わたしがこういうトスを上げた方がいいんだと思って上げる。すると、こういうトスが来ると判断して待ち構えて打つ。あの人がああいうかっこうをしてレシーブしたら、ボールはこっちへ飛ぶ。わたしはこういうふうに出てこうする。この以心伝心の連繋動作が、よりいっそう緊密になり、6人が完全に一体となるための練習でもあった。」

「わたしたちは、『できない』ということは禁句であった。できないことをやるのが練習だったからである。そして、これらの過程で手足もからだも鍛えられた。」


【ミュンヘンオリンピック金メダルチーム監督・松平康隆】

選手育成について
「本人に『おれは才能がある、逸材らしいぞ』と自覚させるのが始まり」


【ミュンヘンオリンピック金メダルチームセンター・森田淳悟】

「能力のある子には、その力より一歩上を進ませるのが進歩につながっていく」


【全日本元監督・小島孝治】

「長い間悩んだ末、私が到達した基礎・基本のマスター度をはかる基準は次のようになった。
・「おはよう」「こんにちは」が大声でいえる。
・きちんと返事ができる。
・コートの中で大声が出せる。
・人の言葉を素直に聞ける。
・構えているとき口を真一文字につむれる。
・コートの上以外で指導者を非難しない。
・練習が終わったら「お疲れさま」の一声がかけられる。
つまり、私達が人間として、またチームの一員としてしなければならない最低の礼儀である。」

「ボールは手で拾うものではない。足と心で拾うもの。」

「『和』は無限の力を秘めている。」

「チームワーク、即ち和は、人と人との間に存在する力で、それが見事な円を描けば無限の力を有していることになる。チームプレーの面白さは、この「和作り」の面白さに尽きる。」

「コンビバレーの原点はパスの正確さにある。その原点の基礎・基本がおろそかになっていて失う1点の重みは、強烈なスパイクで取られた失点の3~4点にも相当する。「チャンス!」が次の瞬間にパスの失敗でポロリ、その精神的落差が、つまり敗戦への道につながっているのだ。
 ミスの中にも、やっても影響の少ないミスと、一度やってしまったら取り返しのつかないミスとがある。後者のミスは基礎・基本の訓練不足からくることが圧倒的に多いことを肝に命ずるべきだ。」


【ミュンヘンオリンピック選手・中村祐造】
「物事には、絶対にやってはいけないこと、何としてもやらなければいけないことがある。たとえば、企業の中でも、機械の取り扱い、危険物の取り扱いについて、機械のスイッチを切ってから修理をしろ、ガソリンの横でタバコを吸うな、などの厳しい規則があり、普段から従業員に徹底させるよう訓練されているはずだ。ネットタッチはまさにこの“標準作業”に該当する。そして、こうした標準作業は、皮膚に叩き込んでおかないと、ちょっとした気の緩みなどから、ミスを招く恐れが非常に高いのである。飛行機や列車などで、考えられないような基本的ミスで大事故が起こるが、あれなども、上の者が皮膚まで叩き込む訓練を怠ったからではないかと思うのだ。」


【下北沢成徳高校監督・小川良樹】
「監督というのはサービス業だと僕は思うんです。だから自分の感情で判断するのではなく、選手が今、何を求めているのかをまず最初に考える。上からやらされるバレーではなく、選手がやるバレーにするため、僕はそのお手伝いとして存在するんです。一般的な指導者論だと、指導者側が選手を見下していることになる。選手がどう思っているかを考えない。選手の立場になって考えたうえで、足りないところがあったら、大人の常識としてアドバイスをしてあげればいいんじゃないですか。」


【木村沙織選手について書かれた本から】

「この頃(小学生時代)に木村の才能の基礎が形成されたといってもいい。何より、バレーをすることが当たり前であった環境が幸いした。もし、両親のどちらかに「バレーばかりしていないで勉強をしなさい」と言われていたら、17歳で全日本に抜擢されるような才能は培われなかった。」(『甦る全日本女子バレー』吉井妙子著より抜粋)


【北京オリンピック全日本のエースアタッカー・大山加奈】

「ワールドカップ出場で一番うれしかったのは『ひまわりクラブ』に入部希望者がたくさん増えたこと。スタメンになれなくてもいいからバレーがしたいという小学生が殺到していると聞きました。子供たちがバレーに目覚めてくれるなんて、こんなうれしいことはないじゃないですか。」


【ミュンヘンオリンピック金メダルチームセッター・猫田勝敏】

「毎日、毎日の練習で“骨で汗をかいた”と納得できるまでやることです」


【アメリカナショナルチーム元監督・吉田敏明】

「私はアメリカの選手たちに『丹田とは身体の中心であり、ここからエネルギーが出る。人間にとって大切な場所なのだ』と説明した。そして『この前でボールを受けなさい』と教え、足首とひざを曲げて身体を低くし、手を振るかわりに身体を伸ばすことでボールを返すという具体的な練習をくり返させた。選手がすぐにイメージできるよう、この動きを『ダウンアップ』と名づけた。」

「選手にやらせてみたらできなかったとする。そのとき「馬鹿野郎!おまえは何もわかっていないのか!」と叱り飛ばすのがこれまでの日本のやり方だった。
 しかし、そうしたくても、上に立つ者としては「自分は教えてこなかったのだ」と思わなければならないのである。教えるのも1回ではいけない。「この前、教えただろう。どうしてわからないんだ!」と責めるのではなく、ベクトルを自分に向けるのである。わかるまでは時間がかかるものだと我慢して、じっくり時間をかけて教えていくことが、これからは日本でも求められていくのではないかと思うのだ。」


【東京オリンピック金メダルチームアタッカー・磯部サタ】

「いちいち人の言うことを気にしていたら、あっちもしなければ、こっちもしなければ、と思っていたら、なんにもできない。1本でもよけいに拾い、1本でもよけいに思い切り自分でポイントすることだ。それがチームのためになるのだ。」


【延岡学園バレーボール部・佐藤監督に関する話】

「延岡学園高校の佐藤先生から、延岡学園高校の垂れ幕、「部旗」の説明がありました、私は感動しました。
 春の高校バレーの時に必ず話題になる延岡学園高校の部旗だそうです。私が高校生の時には、綺麗で真っ赤な生地に「真心」と書かれておりました。しかし約30年後の今はボロボロ状態。つぎはぎだらけで、破けては縫い合わせて現在なんとか部旗の形をとどめています。この部旗を作り替えようとしたそうです。するとOG達の猛反対にあったそうです。話を聞くと、OG達は、卒業するとき部旗の一部をちぎって「お守り」として持ち続けているそうです。ちぎった部分を自分でつぎはぎして縫い合わせ、現在の形になっていった。
 誰が部旗をやぶいてお守りにしようとしたのか分からない、いつの間にかそれが伝統となっていったそうです。
 今ではこの部旗を神様のように扱う選手たちです、決して床に置かない、持ち運ぶときにはぶら下げない、必ず置く場所が決まっていて、飛行機の中でも両手で支えるように持ち続けているそうです。
 佐藤先生の講習はこの部旗の前で、真心を込めて行われました。」


【アメリカナショナルチームセッター・ヨウコ=ゼッタ―ランド】

「選手というのは、どんなレベルであっても練習や実戦を積み重ねていくうち、自分ができないことや、欠点がわかってきますが、なかなか自分の持っている良い点に気付かないことが多いものです。
そういう部分に気付かせてあげて、選手が自分自身に対して良いイメージを持たせることは、とても大切だと思います。 そしてこれは、気持ちの中に自信が芽生えることにつながってくると、私は思います。
もし将来、指導者になることがあったら、2割の短所より8割の長所に着目して、選手を育成するポジティブ法を実践してみたいと思います。」


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