【教務主任通信】 子どもは球体という考え方

【今日処理した仕事】
(1)ALTの授業予定確認
(2)学校サイトの全面更新作業
(3)教務主任通信発行(この記事の内容)
(4)教務主任通信次号・次々号作成
(5)全学級授業巡回
(6)校庭植物状況確認



【教務主任通信の内容】

はるか昔、私が大学2年生の時に瑞穂第三小学校を訪問した時のことです。
この学校は斎藤喜博先生の教育方針を引き継いでいる学校でした。全学級が毎日合唱に取り組み、体育の身体表現活動や国語をはじめとする言葉での表現活動を入学時から卒業時まで一貫した指導方針で授業を行っていました。
校長先生と懇談した時に教えていただいたことが私の「子どもの見方」の原点になっています。

「子どもはね、球体、つまりコロコロ転がるボールなんだよ。ある時は素晴らしい姿を見せる時もあるけれども、ある時にはダメな姿を見せる。ちょっと転がれば裏側の面を見せる。だからすべてが良い子もいないし、すべてが悪い子もいないと考えています。私たち教師は、このボールに癖をつけてあげるわけだよ。コロコロ転がっても最後には良い面が見えるような子どもに育てていく。第三小の先生は、みんなそういう考え方で教育をしているんだ。」


このような校長先生の考えに私なりの考えを付け加えてみます。
松下幸之助の言葉にこのようなものがあります。

「『あの男は、文句ばっかり言っていて困るんだ』と言われていた人が、縁あって私の会社へ入るとけっこうがんばる。よそでは欠点だとされていたことが、うちでは長所になる。それは、短所は気にせず、長所だけ、特色だけ見て使うということがあったかただと思います。
これはそうむずかしいことではないと思います。しかし、そのことによって、人が育つか育たないかということが決まる一面があるわけです。」

 つまり、私たち教師が子どものことをどう見るかによって、長所が短所になり、短所が長所になるということです。これをボールに例えてみれば、教師の視点も球体である。折々の状況に応じてコロコロ変わる可能性がある。また、子どもと接する教師によっても子どもの成長がコロコロ変わる。

あまりコロコロ変わってはいけないと思いますので、「学校経営方針」があり、「学級経営方針」があるわけです。この方針を規準にして、「育てるべき児童像=スタンダードな児童像」をはっきりさせる。そして児童像に向けて学級の進むべき道を真っ直ぐに見ていく必要があります。

目標イメージ像を学級の現状とは少し離れた(離れ過ぎてもいけませんが)「理想の姿」に置き、それに近づけようと指導していけば、大筋で間違うことはありません。しかし、目の前のコロコロ変わっていく子どもたちの姿に振り回され、無計画で場当たり的な指導を繰り返していくと、教師である自分までボールのように転がらなくてはならなくなります。

転がっても最後には良い面が上にくるボールを作りたいですね。


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