津久井神奈交バス最高!……新緑の相模湖駅前に集う二段窓車3台♪
二段窓キュービック! 打倒エルガ!とは逆の趨勢が悲しいです (-_-;
90年代半ばらしさあふれる富士重工7Eも神奈中では絶滅の危機……。
三菱の中型2段窓もかつては少輸送量路線で幅を効かせていましたが……。
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スハネフ14見物を兼ねて富士急を訪れ、帰りがけには何時まで走るのか不透明な中央東線115系を激写し (レタッチが追いつきませんが、そのうちぼちぼちアップ予定)、すっかり満足に浸った新緑の一日……。ふと思い立って途中下車してみた相模湖駅前には、そんな一日の最後を締めくくるにふさわしい、いや考えようによっては圧倒的に鼻血炸裂モノの感動的光景が展開されていました。何と……日本最大級のバス会社グループである神奈中バスにおいて二段窓車が落日の一途をたどりつつある中、その輝かしい歴史の最後の華としか言い様のない偶然過ぎる光景が私の目の前で展開されたのです!!\(*^O^*)/
かつては三浦半島・県西・東横線沿線以東を除く神奈川県内全体及び東京都の一部を、単一の巨大組織である神奈中バス(神奈川中央交通)が覆い尽くしていましたが、最近は不採算路線の分社化という流行 (?) に乗って神奈中も各営業所の一部路線を独自の「○○ (地域名が入ります) 神奈交バス」へと移管させ、山深き神奈川県最北端に位置する津久井エリア[※1]の零細路線は津久井神奈交バスの担当となっています。そして車両面でも、もともと内陸部の営業所の車両は東海道線沿いや大和・厚木営業所の車両と比べて年式が古そうな雰囲気を漂わせていましたが (気のせい? ^^;)、分社化によって一層そのような構図が強まり (?)、最も経営環境が厳しい津久井神奈交バスは神奈中全体の中でも旧型車の最後の活躍の場という位置づけのようです。もちろん、津久井神奈交にも2000年代以降に製造された大窓車がそれなりに在籍し、相模湖駅前でも他の神奈中エリア駅前と変わらないバスシーンが展開されていますが、1995~96年頃に製造された二段窓車がごく少数ながらも現存するのは膨大な神奈中バス陣営の中でも最早ここだけとか……[※2]。
その僅かな1995~96年製二段窓車が、突然目の前に3台も現れたものですからもう超フィーバー!! 周辺を歩く人々の白い眼も一切関係なく、ひたすらシャッターを切りまくったことは言うまでもありません (笑)。嗚呼……思い出してみれば神奈中の二段窓路線バスなんて物心ついた頃から余りにも当たり前で、個人的に小学・中学・高校の遠足や林間学校もことごとく神奈中の路線バス車両利用だったことに至っては、現役学生当時「何というつまらなさ……」と思ったのみならず、のちに東武沿線小中学校の林間学校が78系や6000・8000系を利用していたことを知るに及んで激しいショックを感じたものですが (笑)、やはり神奈中の二段窓車は相模国の日常風景とは切っても切り離せない偉大な存在であったことには違いありません。そんな二段窓車が絶滅の危機に瀕し、もう主要駅周辺の路線では滅多に目撃できなくなっている中、こんな偶然に立ち会えた幸せ……。恐らく今後余程運が良くない限り、ヨソ者が相模湖駅前にて二段窓車の3台並びを眼にすることは叶わないでしょうが、神奈中グループ最古参車の最後の活躍を見届けるため、そのうちまた改めて津久井エリアを訪ねてみたいものだ……と思っているところです。
[※1]かつて津久井郡であった相模湖・藤野・津久井・城山町は、相模原市の政令指定都市化と合わせた市町村合併によって相模原市緑区の一部分となっていますが、緑区の中心地である橋本の繁華ぶりとは全く異なる津久井らしさ全開の雰囲気ゆえ、未だにここが相模原市の一部分だなんて信じられません……(汗)。あ、でも人煙稀な南アルプスの3000m級の山々が静岡市葵区であるという激しいギャップと比べれば全然有り得るか……(^^;;)。
[※2]この記事の作成にあたりましては、神奈中バスについて圧倒的な情報量を擁する私設ファンサイト『カナちゃん号』を参考にさせて頂きました。この場ながら心よりお礼申し上げます。m(_ _)m