1987年の春に国鉄が消えてJRが発足して以来、早いもので本日25周年・四半世紀の節目を迎えました。その間に起きた変化の巨大さは、日々少しずつ乗っているだけでは余り意識しないかも知れませんが、いざ25年前の状況と比較するとまさに隔世の感がありますね……。確かにサービス精神・コスト意識は劇的に向上し、駅に華やかさが増して車両もキレイにはなりましたが、旅客輸送と線路保有の地域会社化による影響も恐らく多大にあって、新幹線や他の交通機関の拡大成長と反比例するかのように在来線から長距離列車が消えて行き、つい先日も列車による長旅ファンにとっての最後の砦のひとつであった「日本海」「きたぐに」が消えて行ったのは周知の通りです。その理由のひとつは、代替車両を作っても採算が見込めないこと云々……とのこと。
これはそのまま、国鉄時代に製造された、国鉄時代の輸送に適合した車両が、国鉄消滅25周年を経て加速度的に老朽廃車のときを迎えていることを意味するのでしょう。そこで改めて、国鉄型車両が置かれた現状や最近の動向を考えてみますと、あれほど沢山走っていた103系や113・115系がここ10年来のあいだに壊滅的に減っていったことの寂しさを想起せずにはいられません。
103系や113・115系といった直流電車の王者は、JREでは山岳・寒冷地ローカルで115系が残るのみとなり、JRCでは全廃、それに対してJRWでは財務体質の違いもあってそれなりに多数走っていたわけですが、さすがに国鉄消滅25年前後ともなれば、国鉄末期の時点で既にそれなりに走り込んでいた車両を維持するのには限界があるようで……ここに来てJRW103系の没落が目立っているように思われます。広島では安芸路ライナー用としてトイレ設置と体質改善が図られた3連を除けばあっという間に消滅してしまいましたし、大阪環状線では激減、阪和線では大阪環状線からの転出組 (N40体質改善施工車多数) によって非ユニット窓車が多数脱落……。
そして、関西における103系最後の楽園の観があった奈良線においても、阪和線への225系投入→221系の奈良転属に伴い、奈良線普通列車の一定の割合が221系で走るようになり、その結果非ユニット窓(&改造小型ブタ鼻ライト)のクハを組み込んだ編成から廃車が進んでいるようです。先月中旬のダイヤ改正前日に京都に出張した際には、恐らくほとんど全ての関西人撮り鉄の皆様は「日本海」「きたぐに」に張り付き、まず京都府南部には来ないことが想像されたことから、103系を久しぶりにのんびり・まったりと撮り貯める好機と思いまして、さっそく京都から103系の乗り心地を楽しみつつ南下したところ……パッと見で3分の1程度の普通列車が221系で走っていたのみならず、非ユニット窓車を見かけたのは1枚目の画像の編成だけであったという……。たまたまそうだったのかも知れませんが、ともあれ半年以上前と比べて様子が変わったのは確かでしょう……。JRWがここに来て225系の新造に熱心であることを考えますと、奈良線で運用される103系数本を置き換えることなどたやすいことでしょうから、宇治茶の産地に103系がMT55サウンドを響かせる日常はもう余り長くないのだろう……と思いつつ、黄檗にて下車し次のスポットに向かったのでした (何処かはバレバレですな ^^;)。