
ダークグリーン天国の観があるハノイ北東郊の要衝・ザーラム駅。但しベトナム及びベトナムに国際列車を走らせている隣国の中国が計画経済の沈滞の淵にあった時代は遠く昔に去り、市場経済化とともに自ずと生じた商売っ気を受けて、カラフルな車両も当然のように留置されています。その中でもひときわ注意を引くのは……白いボディにオレンジ濃淡の帯が印象的な、新幹線サイズ・約25mの大型車! 中国・広西チワン族自治区の区都である南寧とここザーラムの間で毎日1往復運転されている国際列車に使用されている、中国国鉄の「紅皮車」です。
ベトナムと中国のあいだには、1970年代末の中越戦争真っ盛りの頃はいざ知らず、長年国際列車が運転されておりまして、その最も代表的なものは毎週2本ある北京~ハノイ間の列車。しかし、この列車はメーターゲージ線路しかないハノイ駅まで行く関係で、ベトナム側のドンダン(同登)~ハノイ間はベトナム国鉄のメーターゲージ車両に乗り換え(改めて記事にします)。したがって、純粋な国際列車であるかというとやや難があるのですが、いっぽうこちら、2009年から運行され始めた南寧~ザーラム間の列車(何故かCNR全国時刻表の国際列車コーナーには記載無し! 京広線ゾーン・南寧~憑祥[中国側の国境駅]の欄に、特快T8701/8702として記載。国際列車としては大っぴらに宣伝せず、客が少ない場合にはこっそり「停運不開車」と宣う策略か……?)は、中国側が用意した標準軌の大型車5連+罐(罐は国境で交換)で運行されています。

というわけで、駅舎から直接見えない位置で(余り駅舎から近いところで露骨に構内に入ると公安がすっ飛んで来ます……)そろりそろりと近くまでお邪魔しますと、をを~この紅皮車は1990年代テイストな25系といっても、窓がほとんど開閉しない多数派・25G系ではなく、当初ダークグリーンで製造されたと思われる2段窓車・25B系ではありませんか! しかも、タマ数がそもそも多くないと思われる25B系の軟臥車が4両も連結されている……!
いっぽう、ハノイ側に1両だけ連結された硬臥車は、なな何と!そもそもレアなYW22の冷房車 (80年代末か90年代初頭、北京~上海間などの「直達特快」用として製造されたもの、または非冷房車が圧倒的多数なYW22を何らかの理由で冷房改造して25系と混ぜ地方の優等列車に使用したもの)ではあるという……!! くぅぅ~、YW22に接近して写真を撮れなかったのが悔やまれます。この後、列車に乗って隣駅のイェンビエン(安園)に行くべく(その理由は別の記事で記します)、切符を買って正規に構内に入ったのですが、撮影に丁度良い位置は乗る列車が入ってくる線路の上ということで、駅員に「ここから先に出るな」と硬く戒められましたし……。結局こんなカット(2枚目)しかありません。
それにしても、メーターゲージ主体のベトナム国鉄にあって、標準軌を採用しているのは北部の一部路線のみであり、とくにザーラムと国境のドンダン(同登)の間は御丁寧にも三線軌条を採用していますが、これもまた1960年代までの社会主義友好の時代の遺産と言うべきでしょうか。偉大なる中国の恩恵をベトナム人民にも及ぼすためにも、中国に通じる区間のドンダン~ザーラム間、及び枝分かれする資源輸送路線に標準軌を採用させ援助し、今でもこうして毎日1本「大中国」の体面をデカい車体及び側面の国章に体現させた客車を直通させているという……。いっぽうベトナム側は、そんな国際列車を受け容れつつも、とりあえずロンビエン橋は渡らせず(とゆーか現実的には、渡ったら重量オーバーでヤバそう ^^;)、こんな感じで近郊の駅の片隅に日中放置することで、中国の意図をしたたかにスルーしているようにも見えるのは興味深いところです (笑)。
※1……日本人がベトナムでノービザ待遇を得られるのは、空路出入国かつ帰りの航空券(またはEチケットをプリントアウトしたもの)を所持していることが前提ですので、国際列車or陸路での出入国の場合には予めビザが必要です。
※2……この記事は車両の所属に従って「中国の鉄道」カテゴリと致します。

嗚呼! はるかカザフ草原の阿拉山口、モンゴル高原の満洲里、あるいは釜山から続く(都羅山と開城のあいだは一応レールがつながっています)標準軌は、南へ向かってここに尽きる……。
それは同時に、帝都東京から昭南島(=シンガプラ)まで弾丸列車を通そうとした往年の日本人の野望も、とりあえずここで尽きていることを意味します。東南アジア諸国を縦断する将来の鉄道は、果たして標準軌とメーターゲージのどちらになるのか、そしてその勧進元は何処の国になるのか……?