地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ懐旧鉄散歩 (11) オーストラリアD5H

2012-05-12 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 ベトナムの鉄道は、まさにベトナムの歴史がそうであるように、様々な国々の影響にもまれながら必死に、しかししなやかに今日まで生き延びて来ましたが、とくにソ連がつぶれてソ連のみに頼ることが出来なくなった1990年代以降は、頼れるものは何でも頼り、もらえるものは何でももらうという徹底した実用本位主義の世界となっているようです。そこで1990年代には、オーストラリアのクィーンズランド州営鉄道で用いられていた液体式DL計13両が遠路はるばる海を渡り、ベトナム国鉄D5Hと命名され今日に至っています。とはいえ、豪州時代の車番が前照灯の両脇に併記されたままですし、何と塗装も基本的に踏襲しまくり! たまたま塗装がダークグリーンとイエローを基調としており、社会主義的な雰囲気も感じられたからこそそうなっているのかも知れませんが (あくまで勝手な推測です)、だからといってクィーンズランド鉄道のロゴまで側面に御丁寧に再現する必要はないだろう……と (^^;)。正面の非常に目立つ位置に、クィーンズランド鉄道とベトナム国鉄のロゴが書かれ(ベトナム国鉄のそれは正式なものではなく、何やらJRのロゴに似ている……笑)、その下に握手イラストが描かれていることからして、無償譲渡か相当破格な条件での売却であったことが伺われます。



 しかし……そんなD5Hを眺めていて、日本人ヲタとしては少々歯がゆい思いもあります。と申しますのも、クィーンズランド州営鉄道は日本在来線と同じ1067mmで、しかもこのDLは液体式であり、ちょこっと台車をいじりさえすればベトナム国鉄の条件に合致するという点で日本のDLも同じ条件を満たしているからです。しかし……日本でかつてDLが大量に廃車されたのは、貨物・客車列車の劇的な削減が断行された1970年代末から1980年代にかけてのこと。当時は、ご用済みとなったヤードの片隅に、放置されて色褪せたDD13やDE10が大量に放置されて、やがて少しずつ解体されて行ったという悲しい光景が広がっていたものですが、この頃のベトナムはまだまだソ連にのみ依存し、米国に基地を提供している日本との関係は自ずと疎遠であったことから、DD13・DE10はベトナムの条件にドンピシャであるにもかかわらず、ほとんど海を渡ることはありませんでした。
 ごく僅かなベトナム譲渡の事例として、(財) 海外鉄道技術協力協会編『世界の鉄道』(ぎょうせい刊) によりますと、1970年代末に労働組合系の募金によりDD11がベトナムに送られています。しかしタマ数が極めて少なく、予備部品供給も不十分だったためか、あるいはベトナム自身がベトナム戦争後の疲弊から十分に立ち直っておらず整備が行き届かなかったためか、結局長続きせず……やがてザーラム工場の片隅に放置され朽ち果てて今日に至っているようです。
 今やベトナム国鉄は、主に中国南車から最新DLを買っているようですので、今後日本から中古DLがベトナムに渡ることは多分ないものと予想しています (-_-)。もっとも将来、京阪や東急が自ら手がける路線に中古車を持って来れば、日本の鉄道車両の存在感を示すことは出来る……という妄想はしなくもないのですが (笑)。
 それはさておき話題をD5Hに戻しますが、とりあえずベトナム各地に少数ずつ配置され、適度にパワーを要求される入換機として用いられているようで、私が見聞した範囲では、ザーラム~ロンビエン間の回送列車牽引のために大活躍しておりました(ロンビエン発着の列車は、ロンビエン駅が一本線の停留所であるために機回しできず、橋を渡った北側にあるザーラム駅を運行拠点とする必要あり)。というわけで、住宅街の中に豊かな緑が生い茂るザーラム界隈の風景に、D5Hの勇姿が見事にマッチしていたのが印象的ですね~。
 そして、オーストラリアには行ったことがない私にとって、この罐は記念すべき豪州製車両第一号 (笑→タイのオーストラリア中古客車はまだ見たことないです。タイは17年前に行ったきり ^^;)。こうして「へぇ~」と思うと、それまで無縁だった国への興味も何となく湧いて来るのが海外鉄の楽しみというものでしょうか。