地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ジャカルタの非冷房抵抗制御車・冷房化へ!

2012-05-26 00:56:00 | インドネシアの鉄道


 先日発売されたRP誌に掲載されていたジャカルタの鉄道マンへのインタビュー記事は、鉄活動目的で現地を訪れたことがある者にとって非常に興味深いものでした。文面からは、電車を動かす人々が彼らの最善を尽くして、日本中古冷房車・日本製非冷房車ともども丁寧に使おうとしている気風が大いに感じられますが、とくに車両数の増加のみならず2009年前後における組織改編のゴタゴタを経て職場環境が安定したことにより、俄然関係者一同のヤル気がパワーアップし、故障率の劇的な低下につながっている云々につきましては、なるほど言われてみれば確かにそうなのかも知れない……と思った次第です。2009年頃は、整備不良気味を通り越して満身創痍気味な東急8500系や非冷房車を多数目にしており、「嗚呼早く何とかしてやれよ」とファインダー越しに悲しい気分になったものですが、2010年の夏に訪問すると車体がキレイに整備・清掃された車両が増え、昨年の夏にはいっそう良好な整備状況を見て取ったものですので……。カラーリングが大まかに分けてKCJ所属冷房車(赤+黄帯)・KAI所属冷房車(青+黄帯)・エコノミー(白地に朱色帯)の三種に整理統合されつつあるのは(勿論103系のような例外もあります)、一時の百花繚乱ぶりを思い出すにつけ些かの寂しさも禁じ得ませんが、それもまぁ車両の維持管理がシステマティックになっていることの表れなのでしょう。



 そんなジャカルタの電車シーンにつきまして、大いに気になる内容がいくつかありましたので、以下個人的感想と妄想をいくつか記してみます (^^;)。
 (1) 中古冷房車を10連で走らせるつもりだったところ、結局認可が下りず、各編成から2両ずつ弾かれてデポック電車区に放置されていますが、既にそれなりのタマ数(?)に達した余剰中間車の一部を先頭車化して編成増を狙っているとか!
 (2) 国産鉄道車両技術を振興するため、2013年度を最後に日本中古冷房車の導入が中止される代わりに、日本の技術支援による新型電車製作予定! 恐らくはジャカルタMRTに導入される電車とも共通設計になっている可能性が高いと思われますが、YouTubeにアップされているジャカルタMRTのイメージCG動画から推察するに、JRE・J-TREC系の技術が採用されるのでしょうか? フィリピンMRTの新路線にも「走るんです」系が採用されるようですし……何だか長期的にはジャカルタも今の日本首都圏のような世界になって行くのかも知れません。まぁそれでも個人的には、ロテム臭い雰囲気になるよりは全然マシですが (笑)。
 (3) 最高に扱いやすいのは何と言っても抵抗制御車であるため、103系は出来ればあと半世紀使いたいとか (^^;)。何故もっと早く、大量廃車が出た頃に大量譲渡しなかったのかと……。既に輸入の対象は鋼製車からアルミ・ステンレスのチョッパ制御車に移っていますが、JRWで余った103系がさらに行かないものかと妄想しなくもありません。あるいは、記事中でも触れられていますが、古い設計図が散逸している場合が少なくなく、日本国内メーカーでも古い部品の小ロット生産を終えている中、今後プリント基板や半導体製品を中心に部品供給難に見舞われる可能性が高いことから、全車インドネシア製の抵抗制御部品に換装されるという展開があるのかも知れないですね……。
 (4) そして一番ビビったのは、エコノミーの冷房化計画! サービス改善の見地から(そして恐らく屋根に乗るよりも車内に詰めて乗るよう仕向ける必要から)実施するとのことで、既にクーラーの試作品は完成しているとか。さすが経済発展の結果、変電所設備の増強も含めてそれだけの余裕が出来てきたということなのかも知れません。ただ、全ての車両で不使用or故障中となっているドアエンジンをきっちりと直し常時自動ドアとして開閉することになるのかどうか、大いに気になるところです。全開放されたエコノミーのドアの脇に座れば、外が良く見えるのみならず涼しい風が入り、MT54とMT55を足して2で割ったような豪快なサウンドが聞こえまくるという点で特等席なのですが、雨が降れば一気に吹き込みますし、投石の被害を一番受けやすいのもこの席。あるとき、私の目の前にあるドアの握り手にガコーン!と石が直撃し、あと0.001秒ズレていたらマジヤバ!と冷や汗タラタラものでした。したがって、冷房化とドアエンジン作動化は安全性アップという点で福音ですが、個人的には朝の空いているエコノミーで撮影地に「出勤」する途中、高架線を走る電車の全開にしたドアから、すがすがしい空気に包まれたモナス(独立記念塔)や官庁街、そして緑に満ちた街並みを眺めるのがお気に入りですので、そんな楽しみもあと1~2年かと思うとフクザツですね (^^;)。

ハノイ懐旧鉄散歩 (13) 東方紅21改めD10H

2012-05-24 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 様々な来歴を持つベトナムの機関車のうち、中国製ながらもある意味で最も「正統」な歴史的背景を持つのがこのD10H型。と申しますのもこの機関車、かつてフランスがインドシナ植民地の拠点であるハノイから中国雲南省の昆明まで建設したメーターゲージの「滇越鉄道」(滇は昆明郊外の湖の名前であり、転じて中国語で雲南省の略称)のうち、今日中国側が運営する昆河線の主力機として1970年代以降製造された液体式DL「東方紅21」そのものだからです(中国で計画経済時代に量産された液体式DLには、毛沢東を讃える革命歌の最も代表的な作品である「東方紅」の名が冠されています)。その後中国側の昆河線において、線形の悪さゆえに旅客・貨物需要が新たに建設された高速道路に移ったり、さらには洪水による路盤崩壊被害による長期運休などの不運が襲ったりで、ついに旅客列車のほとんどが廃止され(したがって、中国国鉄で現在運行中のメーターゲージ客車列車は昆明近郊の石嘴~昆明北~王家営のみ)、貨物列車も凋落をたどった結果、余剰となった東方紅21がごっそりと国境の橋を渡って今日に至っています。というわけで要するにこの罐は、同じ路線の中国側で不要になったのちベトナム側で第二の車生を送っているという次第。他にも、いつもお世話になっております斎藤幹雄様がRP誌で度々レポートされておられる通り、ビルマ(ミャンマー)に譲渡された分が日本中古DCを牽引しているということで、この東方紅21は大陸部東南アジアのメーターゲージでそれなりの存在感を持っているということが言えましょう。



 まぁ、SL世代の方々から見れば、東方紅21は昆河線で活躍していた日本9600改めKD55型SLを廃車に追いやった張本人であり、ベトナム移籍によって恐らくベトナム側でもSL(その一部は日本がベトナムを占領していた時期に投入されたC12など)が淘汰されていると思われますので、この罐を見ると恨み辛みが湧いてくるのかも知れません。しかし、1980年代に中国の鉄道事情を紹介する本(例えば中国鉄道出版社・美乃美編『中国鉄道の旅』や昭文社エアリアガイド『中国鉄道の旅』)で昆河線のマニアックな雰囲気を知った私にとっては、この東方紅21こそ「懐かしい罐」という印象だったりします(若造でスミマセン……^^;)。
 というわけで、この東方紅21改めD10H(何故か正面には、毛沢東書体による「東方紅」ロゴが撤去された代わりに、東方紅DongFangHong21を意味する「DFH21」というプレートが……)が、日中のザーラム界隈で見られる最も見事な長大緑皮編成であるハノイ~イェンバイ[安沛]間の普通列車を牽引している光景にもうメロメロ……(*^O^*)。先述の通り、既に中国側の昆河線では長距離列車がなくなり、昆明近郊の短距離運転用として僅かに残されている客車も緑皮ではなく藍皮塗装(白ベースに、窓周り濃いめの青+腰回りに赤い細帯)となっていますので、まさに昆河線の古き良き時代が今やベトナム側で再現されていることに不思議な感慨を覚えます。しかもこのイェンバイ行は、かつての滇越鉄道のベトナム側にあたるラオカイ線(ハノイ~イェンビエン[安園]~ラオカイ[老街])の区間運転列車ですので、舞台はまさにドンピシャ。そして、このイェンバイ鈍行(毎日1往復)及び、ハノイ界隈では早朝夜間しか見られないハノイ~ラオカイ鈍行(毎日2往復)はいずれも軟座車を連結していますので(編成中1両ある窓が大きい車両が軟座車)、実にいろいろな意味で撮影時の気合いが盛り上がる列車です☆ そして、機関助士が腕を伸ばしてタブレットを授受しようとするポーズもまた良い感じ……。
 こんな、罐も客車もオール緑皮で最高に計画経済チックな、そしてそれゆえに最高に前時代的な列車を、出来ればもっと撮りまくりたいものですが、本数がとにかく少ないのが残念無念……。撮影可能なのは毎日1往復なんて (-_-;)。


秩父鉄道の熱い初夏2012 (2) 三田線5000

2012-05-23 00:00:00 | 地方民鉄 (関東北東部)


 広瀬川原イベント当日の午前中、沿線でまったりと撮り鉄した際には、当たり前過ぎることかも知れませんが、元都営三田線6000系あらため5000系もやって来ました。しかも、5004Fの踏切事故のため現在稼働可能な3編成のうち2編成も! この確率はかなり高い……。
 都営三田線6000系そのものは、東武東上線との直通を考慮して、8000系のステンレスカー版とも言うべき風貌と、ソツなく走る安定した性能を持つのは周知の事実。しかし、如何せんどの路線とも直通していなかった三田線時代の存在感は利用者以外にとって地味過ぎましたし(私はたまに利用していましたので、トンネル内のワイルドな走行音が未だに鮮烈な印象として残っています)、秩父で同僚として活躍する他の車両がズバ抜けて魅力的であることから、「どちらかというと来るとハズレ」な雰囲気が漂う不幸な車両だ……と思うのは私だけでしょうか? (^^;;) というわけで、過去の秩父鉄道訪問においては5000系が来ると「ちぇっ……」とつぶやくことが多々あったものです (汗)。



 しかし最近は、インドネシアに毎年通って都営6000系の七変化ぶり、そして投石を食らってコルゲート面が結構デコボコになっているのを目にするにつけ、秩父5000系を見る視点が変わってきました。何と申しますかその……全くベコベコしておらず、全てが直線的に見えて美しい……!! そして、帯色も頑なに三田線時代のそれを踏襲し続けており、インドネシアの帯色が既に何種類も登場していることと比較しますと、まさに動態保存そのものとしか言い様がありません (*^^*)。というわけで、5000系を撮影する際の気構えは以前と比べて確実に盛り上がります♪
 今後は、広瀬川原で展示されたマルタイが7000・7500系と同じエメグリ帯(しかも正面はグラデ帯という凝りよう)に変わったことに鑑み、果たして5000系の帯色がエメグリに変わるのかどうか……個人的に秘かに注目しているところです (そんなの私だけかも ^^;)。いっぽう、かねてから無架線地帯で都営三田線時代の姿のまま放置されていた部品取り廃車体が、C58の普段のねぐらと同じ検修庫内に取り込まれ(↓からご覧下さい)、何やらキレイに磨かれつつあるようなのですが……これってもしやして、方向転換や部品の切った貼ったを通じ、デハ5004・2代目を用意するということなのでしょうか?? 5004Fの残りの2両はさらにその横に収納されており、今のところ部品取り廃車の気配はありませんので……。熊本電鉄やインドネシアあたりがデハ5104・クハ5204の部品を欲しがっているのではないかとも思われますが、やはり秩父鉄道としては手持ち部品を活かして復活できるものは復活させようと考えているのかも知れません。あるいは、そのまま部品取り廃車となるかも知れませんが (汗)、ともあれ今後の動向に大いに注目したいところです。


 広瀬川原イベント時にシャッターが開いていたからこそ撮影出来た貴重な画像。非常に暗いですが、EOS 5D MⅡを用いて手持ち撮影しております。全く本題から外れますが、今度はオレンジのスイッチャーをクラの外で拝みたいものですね……。

祝スカイツリー開業!東武スペーシア「雅」

2012-05-22 00:00:00 | 大手民鉄 (東武)


 今日は恐らく朝から晩までこの話題でもちきりでしょうが、祝!東京スカイツリー正式開業! 当分は予約をしなければ展望台に上がることは出来ず、かといって本日のように天気は雨で展望最悪ということもあるでしょうから(よりにもよって開業日に雨とは……予約した方ご愁傷様)、とりあえず私はひたすら怪社のオフィスをはじめ都内のあちこちから眺めるのみで、展望台訪問は誰もが忘れた頃の真冬の快晴日を選んで関八州の絶景を独り占め……ということにしたいと思っております。もっとも、未だに東京タワーを訪れたこともありませんので (爆)、放っておくと何時まで経っても未訪問のままになりそうですなぁ~(ちなみに、お上りさんの誰もが行きたがると思われる上野動物園と京葉沿線某鼠園も行ったことがありません。滝汗)。いやいや、東京スカイツリーは東武謹製ですので、昔の業平橋ヤードを覚えている東武ファンのはしくれとしましては、必ずいつか行きますよ!必ず! (^^;)



 というわけで、東武がスカイツリー開業に合わせて突貫工事で塗り替えたスペーシア新塗装のうち、メタリックなパープルが何とも印象的な「雅」編成をアップしてみましょう~。東武が御スペの塗装変更を突然発表した当初、東武の日光鬼怒川特急といえばデハ10形以来の暖色系こそ正統だろうと信じて疑わなかった私としましては、「え~こんなの東武特急じゃねぇ! 何でぇ何でぇこの雅編成の紫って……東急田都新5000の車内化粧板並みにキモ過ぎやしねぇか?。粋編成の塗装なんてモロ8000系じゃねぇかべらんめぇ!」と思ったものですが (チャキチャキの江戸っ子風?……ステレオタイプ化され過ぎた表現のような悪寒 ^^;)、由緒ある業平橋駅の駅名が消える直前に久々に伊勢崎線で撮り鉄し、塗装変更間もない御スペの姿をファインダー越しに捉えた瞬間……何なのだこの神々しい存在感は!と圧倒されました (笑)。イラストやCGよりも実車の方が桁違いに見映えがするということはよくありますが、今回の塗装変更はその典型例なのではないかと……。これなら褪色が進んだ従来色が塗り替えられても仕方がないな、と思う私でありました……(^^;)。
 そこで、毎日御丁寧にカウントダウンで貼り替えられるHM姿をもう何度か晴天時に狙いたいと思っていたのですが、あ~あぁ、結局多忙のためスカイツリー開業までに伊勢崎・日光線(スカイツリーラインって、呼びにくく書きにくいのですが……略称「スカツリ線」で良くないか?と思う私←いや、それではスカート吊りみたいでは?^^; )を訪問することは叶いませんでした。当分スカイツリー開業記念HMを貼ってくれるのであれば、また近いうちに撮りに行きたいものです……。

秩父鉄道の熱い初夏2012 (1) 7500天国

2012-05-21 08:49:00 | 地方民鉄 (秩父)


 秩父鉄道では周知の通り、老朽化の極限に達しつつある1000系の代替として東急から8500・8090系を購入し7000・7500系と名付けており、その恩田での改造の模様や甲種輸送の模様はたびたび当ブログでもお伝えしている通りですが、何とも恥ずかしいことに秩父鉄道撮影自体が昨年5月の広瀬川原イベント以来1年ぶりとなってしまい (ジャカルタ訪問の頻度と同じとは……汗)、続々とデビューした7500系の活躍の模様をまだ余り撮り貯めていなかったりします。そこで今回の広瀬川原イベント訪問にあたっては、光線状態からいって昼前に到着すれば問題ないことから、朝早くから午前11時頃まで沿線での撮り鉄に充てることにしまして、1000系がイベント用として駆り出される代わりに多数運用されることが予想された7500系を一気に撮りまくることにしました。まぁ焦る必要は全くないのですが、恩田での改造中の模様を見届けた者としては、キレイ目な姿を早めにというわけで……。



 すると予想通り、来るわ来るわの7500系入れ食い状態! まず熊谷からの移動にあたっては、最新編成として去る1月に恩田からのデヤサンド発送を見届けたばかりの7506Fが来たのみならず、7500系の6本中4本を記録することが出来ました♪ 長瀞駅100周年がらみ(でしたっけ?)で7503Fに貼られていたドア脇ラッピング(この編成でしたっけ? ^^;)も剥がされ、全車緑帯が初夏の陽光に映えまくって何とも美しく頼もしい限りです♪
 しかし……こうも8090系改め7500系がジャンジャン姿を現しますと、大井町線で「他に8500系や8590系も撮りたいのに、何で8090系ばっかしなんだぁ!」とぼやきながら撮影した昨年あたりまでの状況を思い出してしまうのも事実です (笑)。勿論、8090系改め7500系も、かけがえのない東急8000系ファミリーの一員として重要であることは言うまでもないのですが、やはりこればかりですと些か退屈するわけで……なんていうのは贅沢過ぎる発想でしょうか? (^^;;) そして……昨年の今頃は、これだけ頻繁に来る7500系の代わりに1000系が多数走っていたのだよなぁ……ということを思い起こすにつけ、100系や800系がどんどん1000系に置き換わり「うぎぃぃっ!」と歯ぎしりした20数年前・釣掛マニア10代の頃を思い出し、何事も変わるときには一気に変わることを再確認させられたのでした。