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11月5日:
さて、今日は皮膚感覚の王道であります。背中の皮膚感覚であります。そうムチ打ちの刑であります。SM愛好者のかたはもう目の焦点がおかしくなっているようですね。昨日はソルジェニーツィンとドストエフスキーを比較したのでありますが、残念なことに「イワン・デニソーヴィチの一日」にはムチ打ちは出てきません。そのかわりドストエフスキーの「死の家の記録」には鞭打ちに関するページは100ページ以上いや200ページ近くはあるようです。
「イワン・デニソーヴィチの一日」で鞭打ちに相当するものは重営倉でありましょうか。内包、外延相当に違う概念ですが比喩的にはそう言える部分もあります。いずれにせよ、鞭打ちの刑は相当前に廃止されていたのでしょう。あやふやな記憶では帝政時代にすでに廃止されたのではなかったか。ドストエフスキーがこの小説で鞭打ちの非人道性を糾弾したことがきっかけになって廃止されたように記憶しております(正確性は保証しません。悪しからず)。
ところで、ムチという漢字は漢和辞典では六つあります。広辞苑では四つの漢字が出ています。工藤精一郎訳の「死の家の記録」では笞刑という字が当てられています。(チケイ)と読みます。パカ・ワードで変換できなくて往生したよ。
なぜ辞書を引いたかって?? 笞という字は竹カンムリでしょうが。鞭という言葉もムチを表す。こちらはヘンが革(皮)だ。獣皮で作ったということだろう。ドストエフスキーが書いているムチ打ちはどんなムチで行われたのか。そんな疑問は持たなくてもいいといわれればそれまでなんだがね。
時津部屋の時太山のばあいのように金属バットも使うが、相撲部屋では竹箒の柄で力士に気合を入れる。竹というのは痛いらしい。とくに引っ叩いているうちに竹がささくれ立って割れてくる。そうすると余計きくらしい。折れた竹の破片が体に刺さったりする。ロシアのムチ打ちは竹で行われたのか。大体ロシアに竹なんて生えるの。キルギスの平原で竹は育つのか、なんて疑問もある。
ドストエフスキーは例のねばっこさで微に入り細にわたり笞刑の状況が描写するが、ノンフィクションとしては失格な面もある。ムチは何で出来ているかというのもその一つ。もっとも、オイラみたいな疑問を持つ読者なんていないだろうがね。笞刑にはさまざまな種類があるらしい。裸にして地面にうつぶせにさせて専門の一人の刑吏が行うものもあれば、列間笞刑というのもあるらしい。
列間笞刑というのは二列に並んだ兵士(いってみれば素人)の間を受刑者が歩く。兵士が目の前を通る受刑者を次々とむち打つ、ということらしい。考証癖のあるオイラは兵士は何人で、列の間隔はどのくらい、兵士の横の間隔はどのくらい開いているのかなんていうのが書いてないと満足しない。
どころが、ドストエフスキーはこれでもかこれでもか、と書くのだがそんなことは一言も書かない。彼が興味を示すのはむち打ちの回数と、それが受刑者に与える心理的、肉体的なダメージに限定される。そういう意味ではSMファン向きだね。
おっと、時計を見ると行商に出かける時間だ。続きは夜にでも書こうヨ。
10月5日夜: 広辞苑にあるむちという言葉は二つが革偏で二つが竹冠だ。手元の漢和辞典だとこのほかに木偏のむちがある。これは棒たたきの棒だろうね。 ドストエフスキーが書いているのはおそらく革のむちだろう。むち打ちの回数は百回単位みたいだ。二千回とか四千回なんていうのがあるというから驚きだ。もっともこれは何日にも分けてやるらしい。受刑者が意識を失うと水をぶっ掛けるらしい。それで意識を回復したらまた始める。まるで時津風部屋だな。 医者が立ち会うらしい。その判断で間に30分ぐらい休憩させる。2千回とかになると、何日かにわける。適当なところで止めて病院に担ぎ込む。そこで治療をさせて直ったらまた引き出して引っ叩くらしい。だから相当の日数があく。そういうペースでしてもある程度以上の回数になると最後まで持たないらしい。実質的な死刑だ。 これを読んでいて疑問に思ったこと。むちなんていうのは一撃でも人を殺せるはずだ。家畜を相手にした場合でも500キロも1トンもある馬や牛でもやり方では致命傷を与えることが出来る。 と思ったらドストエフスキーが、同じ事をいう刑吏の言葉を半信半疑で紹介している。だから何千回もムチを打つというのはこれはテクニックなんだろう。とにかく、そういうわけで執行前の受刑者に与える恐怖心というものは大変なものらしい。ドストエフスキーは数多くの事例を紹介している。囚人は翌日に迫った刑の執行を延ばすためにはなんでもする。たとえば、理由も無く殺人を犯す。そのために裁判が行われて刑の執行が延びるからである。より重いむち打ちの刑が宣告されるのが分かりきっていても明日の刑の執行がすこしでも延ばせばいいというわけである。あるいは自殺をはかる。 棒たたきの刑と言うものもあったらしいが、ムチに較べるとうんと楽だったそうだ。そういえば時代劇なんか見ていると、棒で百叩きのうえ江戸所払いなんてのがある。日本ではむち打ちというのはなかったのかな。むち打ちと言うのは家畜を扱う牧畜民族特有のものかもしれない。宦官なんていうのも、牧畜民族の必須の技術である去勢と同じ技術だからね。宦官というのは飛鳥時代聖徳太子が大陸文化を取り入れたときにも唯一まねをしなかったものだ。 回教国では今でも石打の刑(これは死刑、バイブル・旧約聖書の記述とまったくおなじやりかたでおこなう)や棒たたきがある。サウジアラビアなんか、アルコールを飲んでいるところを見つかると棒たたきらしい。助走をつけて走ってきた大男の刑吏が樫の棒で力任せに叩く。脊髄を損傷して半身不随にさせることが多いらしい。ロシアの棒たたきとはちがうようだ。ようするに、ムチにしても棒にしてもやり方なんだろうね。 続く